【新連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第3回>

◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第2回>>中村憲剛さんに言われた「そろそろキャプテンをやったほうがいい」

 川崎フロンターレでリーグ連覇に大きく貢献し、Jリーグ屈指のディフェンダーとして地位を確立していたのにもかかわらず、谷口彰悟は2017年のE-1選手権後、日本代表に呼ばれる機会がなくなっていた。

 しかし、決してあきらめなかった。Jリーグ王者のキャプテンとして己を律し、カタール・ワールドカップという舞台をずっと見据えてきた。その努力が2021年6月、ついに結実する。

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谷口彰悟は完璧な守備でスペインの攻撃を封じた

 自分のサッカー人生をかけて毎日を過ごしていたと、言いきることができる。

 2021年6月、4年ぶりに日本代表に選んでもらえた。それからは1日、1日が勝負だと思っていた。

 常に周りの選手とは違って、自分はギリギリの立場にあると、言い聞かせてきた。

 日本代表の常連選手でもなければ、結果を残している選手でもない。加えて年齢も当時は30歳に差しかかろうとしていた。ほかの代表選手とはスタート地点も違えば、置かれている状況も異なる。

「だから、お前は1日も無駄にできない。1日、1日が勝負なんだ」

 苦しい時は、そう言い聞かせて歯を食いしばった。甘さが顔をのぞかせそうになった時にも、そう言い聞かせて姿勢を正した。

 日本代表に選んでもらい、活動に参加しても、試合に出られないこともあった。でも、そこに呼んでもらい、日の丸をつけて戦うことができる機会は、これ以上にない誇らしい仕事だと思っていた。その権利を与えてもらっているからには、全力で準備して、全力で戦う──。それは責務だった。

 当時の所属チームである川崎フロンターレでは、当たり前のように試合に出場できていた自分が、日本代表ではなかなか試合に出られない。それは苦しくもあったけど、その悔しさがまた、自分のエネルギーになっていた。だから毎回、日本代表の活動が終わり、所属クラブに戻ったあとも、充実した日々が送れていたんだと思う。

 それくらい、ワールドカップは子どものころからの憧れであり、サッカーを続けてきた自分にとっては絶対に立ちたい舞台だった。そこに手が届きそうな位置にいるのであれば、何としても掴みたかった。

「ワールドカップを見るのではなく、戦いたい」

 海外でプレーすることが願望から目標に変わったあの日のように、ワールドカップに出るチャンスを掴みたい、もしくは掴まなければならない目標になった。

 実際、カタール・ワールドカップを戦う日本代表に選ばれた時は、ありきたりだが言葉にはできないほどうれしかったし、試合に出ようが出まいが日本のために、チームのために戦おうと決めていた。でも、それと同時に、ただ選ばれただけで終わるのではなく、チャンスが巡ってきた時には絶対にやってやる、やれるとも思っていた。

 グループステージ第1戦のドイツ戦、第2戦のコスタリカ戦に出場できずとも、準備を怠らずに、トレーニングも含めてベストを尽くしていたから、第3戦のスペイン戦の出場、2-1での勝利につながったと思っている。

 それくらいブレることなく、ワールドカップ前も含めたあの1カ月半は、いつチャンスが来ても掴めるだけの状態を保つことができていた。

 思い起こすと、プロになってからの9年間、フロンターレでいろいろな人たちを見てきたことが大きかった。

 試合に出るか出られないかの瀬戸際にいる選手たちのなかに、言い訳をすることなく、そして他人を妬むことなく、黙々と取り組んでいる選手がいた。そういう選手の姿勢を見ていると、その選手が出場機会を掴んだ時には、自分もその選手に結果を残してほしいと思って一緒にプレーをしていた自分がいた。

 なにより、そうした少ないチャンスをモノにして、自分のポジションを確立していった人たちをたくさん見てきた。もちろんそのなかには、自分が置かれた境遇に、時には甘んじてしまったり、時にはクサってしまったりして、チャンスを逃してしまった選手もいたんだと思う。

 自分は練習の時から、チームメイトの表情や言動、さらには姿勢を比較的汲み取ろうとする性格だったこともあり、その選手がどういう精神状態で今、取り組んでいるのか、臨んでいるのかを感じ取っていたことも大きかったように思う。

 だから、この選手は頑張っているからチャンスが来るかもしれないなと思っていると、実際に監督が試合に臨むメンバーに選ぶことも多く、監督が一人ひとりのことをよく見ていることもわかった。特に、多くの時間をともに過ごした鬼木達監督は、選手の小さな変化に気づく人だっただけに、自分自身も鬼木監督の思考や視点には影響を受けていた。

 なにより、少しでも準備を怠れば、それは自分自身に返ってくる。

 だから、第2戦のコスタリカ戦で出場機会を得られなかった時に、自分自身がそこであきらめてしまっていたら、第3戦のスペイン戦で先発出場することがわかった時も、きっと動揺していただろうし、不安になっていたことだろう。

 最後の瞬間まで、ベストを尽くすではなく、貫く──。それは決して、当たり前のことで、当たり前ではないことは、自分自身も苦しく、つらかったからよくわかっている。

「何のために、この数年間を費やしてきたのか」

 そう思えば、それまでの試合に出られずとも、踏ん張ることはできたし、悔しい反面で素直にチームメイトの勝利を信じることができた。だから、もちろん緊張はしたけれども、この舞台を、この機会を楽しもうと思って、スペイン戦のピッチに立つことができた。

 カタール・ワールドカップの舞台で対戦したスペインもクロアチアも強かったし、うまかった。同時に試合をしながら、ワールドカップを知っている国であり、多くの修羅場をくぐってきたチームでもあることを感じていた。

 そこに、日本と世界の差もあるように思った。一人ひとりの技術の高さ、個人戦術の理解度、かつ強度というものを当たり前のように備えていた。ワールドカップで上位に進出するチームであればあるほど、そうした礎(いしずえ)はしっかりしていると感じたように、技術、強度、戦術、経験、そして自信といった細かいことの差で勝敗が決まることを改めて実感した。

 夢にまで見ていたワールドカップを経験して、海外でプレーしたいという思いは、さらに加速したけど、大会に臨む前から、日本を飛び出そうという考えは決まっていた。

◆第4回につづく>>


【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。