ドイツ・ブンデスリーガの1部・2部入れ替えプレーオフ。1部16位のシュツットガルトが2部3位のハンブルガーSVに2連勝で下し、1部残留を決めた。

 試合直後から選手・スタッフの喜びの表情を収めたいくつもの写真がシュツットガルトのSNSには連投された。そのなかに、シュツットガルトから約600キロ・6時間以上かけて遠路はるばるハンブルクまでやってきたサポーターたちで占められた、アウェースタンド前での一枚がある。


32歳の原口元気が来季ピッチで輝く姿を見たい

 そこには、ガッツポーズとはじける笑顔の面々の中央で、直前までウォームアップをしていたことを示すオレンジのビブスを着用したまま、はにかむ原口元気が写っている。原口はこの日も、ベンチスタートで出場機会は与えられなかった。

 原口元気にとっては「結果」から見放された苦しいシーズンが終わった1試合だった。

 シュツットガルトの残留において、大きかったのはセバスティアン・ヘーネス監督の就任だ。今季チーム4人目となる当時40歳の監督は、最下位だった4月3日から指揮をとり、3勝4分1敗で順位を16位まで引き上げ、このプレーオフ2連勝でチームを1部残留に導いた。

 ファビアン・ヴォルゲムートSD(スポーツディレクター)は「この監督を最高のタイミングでつれてきた。彼は正しい舵取りをしてくれた」と、自らのスカウティングおよび決断能力と指揮官の実力を自画自賛した。

 ヘーネス監督は元ドイツ代表FWディーター・ヘーネスの子どもで、バイエルンの名誉会長でドイツサッカー界の重鎮ウリ・ヘーネスの甥にあたる。だが、七光りだけではなく、しっかりと実力を示しての残留劇となった。

 ただ、このヘーネス監督の就任こそが、原口元気にとっては悲劇の始まりだった。原口はヘーネス体制下の8試合で先発1回、途中出場2回、ベンチ入り出場なしが5回と、試合から離れることになってしまった。

【心機一転の移籍のはずが...】

 ヘーネス監督は、それまでチームを率いてきたミヒャエル・ヴィマー暫定監督(2022年10月〜12月)とブルーノ・ラッバディア監督(2022年12月〜2023年4月)が採用していた4バックをやめて、3バックに変更した。

 シュツットガルトの3バックは、2019年末から指揮をとって1部昇格に導き、昨秋までチームを率いていたペッレグリーノ・マタラッツォ監督時代から慣れ親しんだシステム。チームキャプテンの遠藤航は「今の監督になって元のシステムに戻ったことでやりやすくなった」と、ある程度浸透した戦術に共通理解があることを認めている。

 その一方で原口は、ラッバディア監督時代だった今年1月の移籍市場でシュツットガルトに加入した。移籍後、2月5日の第19節から4月1日の第26節までの8試合すべてに先発し、フル出場3回、ほか5試合も試合終盤まで出場して合計2アシストを挙げた。

 だが、チームは1勝6敗1分。順位は自動残留の15位から最下位の18位まで転落の一途をたどった。ラッバディア監督時代は4-3-3システムで中盤の底に遠藤を配し、その前に原口、アタラン・カラソル、時にはエンツォ・ミローという組み合わせだったが、システム変更とともに原口が外される形となり、結果的にそれがうまくいったわけだ。

 原口にとっては、心機一転の完全移籍だった。前所属のウニオン・ベルリンは今シーズン首位争いを演じ、最終的に4位でフィニッシュ。CL出場権も獲得するなど、クラブ躍進のシーズンとなった。

 原口も「リーグで上位争いしていて、ヨーロッパでも勝っていて、ここ(ユニオン・ベルリン)では非常に面白いミッションのなかにいられて楽しんでやっています」と話していた。

 原口は常に先発していたわけではないが、それでもEL と準決勝まで進んだドイツカップがあって試合数も多く、ターンオーバーを含めて出場機会が巡ってくる回数は少なくなかった。少なくとも、シュツットガルトでのヘーネス監督就任以降のようなことはなかった。

【契約は来シーズンいっぱい】

 出場機会に関して、原口は「あと一歩、自分自身の結果さえ出してしまえば完全に逆転するのかなっていうのはある。最後は自分でいい流れに持っていけるようにしたい。スタメンで出て勝って、状況が変わらないんだったら数字を残すしかない」と話し、何かきっかけを掴むもうと必死で日々、爪を研ぐような状況だった。

 カタールW杯メンバーから落選したことも、移籍のきっかけとなっただろう。

 昨年11月、落選直後の取材では「代表のことは話したくない」と言いながら、自ら触れてしまうということもあった。代表が原口を構成する大きなひとつであると、あらためてわかった。

 森保ジャパンでシステムをいくつか試すなか、原口の落選は予見できたという声もあったが、それは結果論に過ぎない。それまで招集され続けてきた原口にとっては、非常にショックな出来事だった。

 その直後、ウニオンから強く慰留されながらも、原口は残留争いを演じるシュツットガルトに旅立った。都落ちであるとか、消極的な選択であると揶揄する声もなかったわけではないが、やはり自分が主力として戦える場所を探した、というのが妥当な見方だ。それが、シーズン終盤はうまくチームと噛み合わなかった。

 本人としては、変わらずシュツットガルトでの戦いに意欲を燃やしているという。契約は来シーズンいっぱいあり、イチから立て直し、本気でもう一度スタメンを奪いにくるだろう。

 若手が続々と出現するブンデスリーガでの復活は、32歳の原口にとって簡単なことではない。だが、それでももう一度、ピッチで輝く姿が見られると信じたい。