スケートボード・ストリートの新設大会『UPRISING TOKYO』(5月26〜28日/有明アリーナ)。東京五輪金メダリストの堀米雄斗をはじめ、ジェイミー・フォイ、シェーン・オニールらスケートボード界のビッグネームが集うなか、ひと際目を引くスケーターがいた。


見事なトリックを成功させ、会場を盛り上げたフェリペ・ヌネス

 アダプテッドスケーター、フェリペ・ヌネス。ブラジル出身の23歳だ。両足のないヌネスは、両手を使ってスケートボードを走らせ、腰や背中でバランスを取る。セクションを攻める姿勢は他のトップスケーターに勝るとも劣らない。

「足がなくても、自分をマックスまで押し上げたい。自分の姿を見て『人生で何が起きたとしても気にするな』というインスピレーションを感じてもらいたいんだ」

 今大会では50秒の「ラン」2本のベストスコアを争う予選でフルメイクならず。採点にハンデはなく、2本目の60.5点が採用されて41人中29位に終わった。それでも、最後に12段の長い手すりでトリックを成功させ、オーディエンスを盛り上げた。

「ものすごく鳥肌が立ちました。歓声もうれしかった。本当にありがたいことだよね」

 日本での初めてのイベントを終え、満足そうに語った。

「人生はうまくいくことばかりではない。でも、僕はチャンスに恵まれています。スケートボードにも出会ったし、こうして日本に来られたように、いろいろなところに行くことができる。トップスケーターと交わる機会は刺激的だし、成長できるチャンス。こういう機会を大切にしていきたいと思います」

 ヌネスは6歳のとき、事故で足を失った。友達と駅に停留していた貨物列車で遊んでいて、その電車に轢かれた。「自分がここに寝転がっていて自分の足はあっちにある。助けを待っているとき、向こうでお母さんが叫んでいて......」。事故のことは、すべて昨日のことのように覚えているという。

 一命をとりとめたヌネスは、病院のベッドで目が覚めると、自分の足がないことに気づく。「幼心に、医者があえて告げないようにしていたのがわかりました。でも、自分のなかでそれほど衝撃はありませんでした」

悲壮感はない。もともと明るい性格だった、と本人は言う。

 そして、自転車、水泳、オートバイ、四輪車などいろいろなことに挑戦した。

「事故によって何かを失った思いよりは、他の子どもたちと一緒に楽しみたいという気持ちの方が強かった。『できない』という気持ちよりも、『楽しみたい』気持ちが上回っていたと思います」

 そのポジティブなマインドには、思わず敬服してしまうほどだ。

「確かに悪いことが起きてしまったかもしれない。でも、またあの時に戻って同じ駅に遊びに行くか?と問われたらきっと遊びに行くと思います。それだけ、自分にとっては事故から得るものが大きかった。人生とはギフトだと思います。後悔して生きるよりも、生かされた人生をどう活かしていくか考える道を選びました」

 そんなヌネスは、ひとつの夢中になれることに出会う。12歳のときに乗り始めたスケートボードだ。移動手段として使っていたロングボードからスケートボードに乗り換えたことがきっかけだった。

「最初は乗りなれたロングボードからの乗り換えに躊躇しました。でも、友人たちはスケートボードに乗り換えた方が絶対にいいよ、と言うんです。実際に乗り換えたら......スケートボードのほうがずっと軽くて自由に動くことができました。タイヤが柔らかいので慣れるまでちょっとだけ苦労しましたが、今でも車いすには乗らず、移動もスケートボードです」

 生活の手段だったスケートボードは、やがて自らの生計を支える柱になる。14歳の時に出場した国内の大会で健常者を抑えて1位になると、18歳でフロリダの国際大会へ。そこで、スケートボード界のレジェンド、トニー・ホークに見出され、ヌネスはプロの道へと進むことになる。

「何かにトライするとき、自分のなかで制限は設けていません。言い訳は一切なし。やるからには全力で挑戦します」

 以来、ヌネスはリスクのあるトリックにも挑戦。複数のスポンサーを得て、様々な大会に出場する。

「大会でヤバいと感じる瞬間は、自分の出番の直前です。みんなが声をかけてくれて応援してくれて、自分の中で競技に向かう気持ちが高ぶります。"プレッシャー"と"楽しむ"という気持ちの狭間にいるときが一番楽しいですね」

 健常者の大会のみならず、障がいのある選手の大会にも出場しているヌネス。スケートボードはパラリンピック競技に採用されていないが、実施されれば、その舞台での挑戦を目指すのだろうか。

「パラリンピックは障がいを持っている選手たちにとって、一般の人たちに自分たちの能力を見せる最高のプラットフォームだと思っています。スケートボードができるのであれば、健常者の大会と障がい者の大会のどちらがいいとか言うつもりもありません。今、僕は自分で掲げた目標のためにフリップなど高得点の技を磨いています。その目標は、障がいのあるブラジル人選手として史上初のオリンピック選手団に入ること。実現のためにはオリンピック出場のためのランキングポイントを稼ぐ必要があります。常に目標を掲げて進化していきたいと思います」

 可能性は未知数。ヌネスの走りと言葉にはポジティブなメッセージが詰まっていた。