なぜだ!? 元光GENJI・大沢樹生、北区長選出馬を辞退「ジャニーさんなら“よくぞ決意してくれた”と言ってくれると思います」「バイブルは『田中角栄 100の言葉』」会見1週間前に集英社オンラインに語っていた北区への熱い思いとは

80年代後半から90年代前半にかけて一世を風靡したアイドルグループ「光GENJI」の元メンバー・大沢樹生。昨年12月に統一地方選挙で行われる東京・北区長選への出馬を表明し、話題を呼んだ。しかし告示まで2週間を切った5日、一転して出馬辞退を表明。いったい、何があったのか。

残りの人生も応援され続けて終わりたくなかった

大沢樹生さんは昨年、北区を舞台にした映画「サムアップ」に主演。区長選出馬の大きな理由の1つは、その際にお世話になった北区の方々への恩返しだとしていた。

「映画のキャンペーンで北区の店舗さんや飲食店をまわったときも、コロナで大変な打撃をくらったという話を耳にしました。そんななか私も以前より国政に関心が出て、最近はロシアのウクライナ侵攻などもあってニュースにすごく注目するようになりました。

もちろんタレントという立場では、なかなか政治的な発言はし難い部分はあります。ただ、私は12歳で芸能の世界に入り、この4月で54歳になりますが、『これまでずっと応援されてきて、このあとの人生も応援され続けて終わることが果たしてどうなのか』と、ふと思ったんです。平均的な寿命で考えれば残りの人生は30年くらいですかね。その期間を地域貢献、社会貢献に当てたいなと思ったときに、目の前に存在していたのが北区であり、北区のみなさんだったわけです」(大沢樹生、以下「」同)

昨年12月1日に出馬表明すると、同月に住民票を北区に移し、この約4カ月は芸能の仕事をセーブし、JR赤羽駅や王子駅前で街頭演説を行なうなど積極的に地元区民と交流してきた。2月の政策発表会見には報道各社が30社以上集まるなど注目を集めた。

3月29日には集英社オンラインのインタビューに応じ、こう話していた。

「なぜ区政なのか? 『知名度からすれば国政でしょ』などと声をかけていただくこともありましたが、始まりは“恩返し”の思いからですから。私は文京区の本郷で生まれ、育ちは江東区ですが、江東区も北区も下町情緒あふれる街で、個人的に肌に馴染んだ部分があります。もし神輿に乗せられて担がれているんだったら、どこかで心にノッキングや違和感があると思うんですが、それはいっさいありません。

元々映画が好きで、40代では4本の映画製作に携わり、うち2本は監督をやらせていただきました。映画監督は役者、撮影、照明、音声、ヘアメイク、衣装らあらゆる担当を統括し、スケジュールや予算を管理しながら進める仕事です。そういう意味では、規模は違っても組長という部分では区長と似ている部分がある気がします。

それに信じてもらえるかどうかはわからないですが、俳優は人を演じる以上、一般社会の人の感覚で生活していないと演技の引き出しも作れないので、普段はみなさんと同じように暮らしていて、多くの方々の気持ちは理解できているつもりです。アイドルというジャンルでは頂点も経験させてもらいましたが、その後は(ジャニーズ事務所を退所し)どん底も経験しました。順風満帆な人生ではなかったからこそ、弱者の方にも向き合えるのは自分の強みだと思っています」

4月5日の出馬中止の会見1週間前、集英社オンラインの取材中にも、北区の地域住民ににこやかに挨拶をしていた

北区への思いがブレたわけではありません

1時間以上に渡った集英社オンラインのインタビューのなかで、言葉を選びながらひとつひとつの質問に真摯に応える大沢さんの姿からかつてスーパーアイドルだった驕りなどを一切感じることはなかったし、何より本気度を感じていた。そのぶん、4月5日の夕方に行われた記者会見で出馬の取りやめを正式に発表したことには驚いた。

北区長選には大沢さん以外に現職で6選を目指す花川与惣太(よそうた)区長(87)ほか、3人の女性候補者が出馬表明をしていた。花川氏とそろって会見に臨んだ大沢さんは、花川氏と選挙協力することで合意し、辞退の理由についてはこう続けた。

4月5日に行われた出馬辞退の会見中の大沢氏

「立候補を取りやめることは、重たい決断でした。ただ、政策実行をより確実なものにするためには、私の政策を評価していただいた花川区長をサポートすることが最適だと判断しました。私の北区への思いがブレたわけではありません。

(花川氏は全国の区市長で最高齢で多選への批判もあるが?)年齢はただの数字です。実際にお会いすると、とてつもなく元気。生涯現役という部分を貫いておられることは、同性としても人生の先輩としてもリスペクトしています。(花川氏が当選後は)私自身が広告塔となり、多くの観光客を北区に流入させられるよう尽力したいと思っています」

花川氏をサポートすることを約束した

昨年12月にいち早く出馬表明し、地元での活動に積極的だっただけに突然の不出馬には、さまざまな臆測を呼んだ。会見は約20分で質疑応答なく終了。だが、大沢さんはその場に1時間以上残って集まった記者らの取材に最後まで対応していた。

「(任侠ものの映画出演も多かったが)私は平和主義者。誰かの足を引っ張ったり、批判したりすることが好きではないので性格的に政治家向きではないのかもしれません。ただ、これまで自分の人生にターニングポイントがいくつかありましたが、1度も逃げたことはなかった。最終的には自分の判断で手を下げましたが、そこには党(東京新党16)や陣営の考えがあることも理解していただきたい。

こういう決断になって当然、頭が真っ白になり気持ちを切り替えないといけないと思いましたが、完全に切り替わらないまま今日を迎えました。今後のことは何も決まっていません。芸能界は出馬を取りやめたからといって、すぐに戻れる簡単な世界ではないので、すべては選挙が終わってから、ゆっくり考えたいと思っています」

会見での発言について、大沢さんは所属する東京新党16の大野公寿代表から用意された原稿があったものの、自分の言葉で伝えたいと自ら手書きで原稿を用意したことも明かした。

「古い人間なんでパソコンで打った文字よりも自分で書いた方が頭に入ってくるんです(笑)。(政治の)経験がないので、わからないことも多い。ただ、わからないことは素直に聞けばいいですし、恥ずかしいことではないじゃないですか」

大沢さんが元ジャニーズのアイドルだったということで、通常の区長選の域を超えて、様々な報道がされてきた。先のインタビューでは、こんな胸のうちも見せていた。

「ジャニーさんなら“よくぞ決意してくれた”と言ってくれると思いますよ、もうジャニーズをやめてからの人生の方が長いんですけどね。自分的には一般の候補者として出馬表明をさせていただいたつもりです。ただ、タレント候補としてみられるのは仕方がない。それがハンデだとしたら自分自身でひっくり返していくしかないですから」

バイブルは数年前に駅のホームのキヨスクで買った『田中角栄 100の言葉』(宝島社新書)だという。

「どの業種の仕事にも当てはまる名言集。区長という目標に邁進しているなかでは、『大臣室の扉はいつでも開けておく』という言葉は響きました。もし自分が、そうなったときにはそうしていたいというか。とにかく北区が大好きですし、みなさんが笑って生活できる舞台作りがしたいんですよね」

出馬を断念する大沢さんの表情からは悔しさもうかがえた。だが、ひとつひとつの言葉に嘘はなかったように思う。

取材・文/栗原正夫 撮影/井上たろう(会見以外)