ついに歴史に幕「ジャンボ機」 なぜ日本は「747王国」に? 爆買い続けた過去、納得の理由
このほど最終号機が顧客に引き渡され、半世紀以上にわたる歴史に幕をおろす「ジャンボ機」ことボーイング747。ここ日本は、とくに747を多く使った国でした。なぜでしょうか。
羽田も成田も「ジャンボ機」だらけだった
「ジャンボ機(ジャンボ・ジェット)」ことボーイング747の最終号機が2023年1月31日、顧客に納入されます。半世紀以上にわたり製造された「ジャンボ機」の歴史が終焉を迎えつつあるのです。そんな747ですが、日本はかつて「ジャンボ機王国」と呼べるほど、このモデルを重用していました。かつて我が国は、国際線メインだった成田空港、国内線メインだった羽田空港の両方で747が行き交うシーンを見ることができました。
実は日本がここまで「ジャンボ機王国」になったのは、我が国が747の機数増大と歩調を合わせるように経済大国へと成長した証だったということもありますが、少しいびつな日本の空港事情を反映していたともいえます。
ボーイング747(画像:ボーイング公式SNSより)。
成田空港は1978年5月の開港以来、2002年4月までA滑走路たった1本で、世界の航空会社を迎え入れてきました。こうした環境から発着枠が物理的に制限される一方で、旅客数は増え続けます。そこで機材を大型化し、一便あたりの乗客数を増して対応する方向にかじを切ったことで、747を多く見るようになったのです。
こうした特殊な環境にあったことは、世界の大空港とのデータ比較でもうかがうことができます。
たとえば2001年に成田空港へ乗り入れた飛行機のデータを国土交通省の資料から見ると、最大離陸重量が30万ポンド(136t)以上の「ヘビー機」の比率が、成田空港は98%に上ります。英ヒースロー空港の30%や仏シャルル・ド・ゴール空港の20%より格段に高い数値なのです。
この「ヘビー機」は、747以外の同時代に就航していたモデルであれば、ボーイング777やマクドネル・ダグラスMD-11、エアバスA340などが該当します。いずれも“大型機”と言い換えることができるモデルばかりです。
しかし、777の就航は1995年6月、A340は1993年3月でした。MD-11は最終生産機が2000年8月に引き渡されています。対して747は1970年代から就航しており、こうした観点から見ても747が「ヘビー機」のなかで多くの比率を占めていたのは間違いありません。
また、同じ資料から2001年の羽田空港での「ヘビー機」の比率を見ると、64%となっています。当時はほぼ国内線用だった羽田でも、747は目につきました。
羽田空港も「ジャンボ機」圧倒優勢になった経緯
「もっとも多く747を購入した航空会社」として知られるJAL(日本航空)は、1970年4月という高度経済成長期に1号機を取得。累計で114機を保有しました。ANA(全日空)も1979年に747を導入後、累計で47機を飛ばしています。
JALのボーイング747-100(画像:JAL)。
羽田で747が多用された背景にあったのは、10%前後と高かった当時の経済成長率と、進まぬ空港の拡張でした。その裏には、首都圏への人口流入が進み、物流は加速、1964年には一般の海外旅行が自由化されたことなどもあるでしょう。
発着数の増加するなか、羽田空港は機体を停める場所が不足しA滑走路を駐機場代わりにするほど混雑。滑走路を1本使用不能にするわけですから、そのぶん発着数を稼ぐのがより難しくなりました。空港の拡張も、当時の埋め立て技術では即座に対応することは難しい状況でした。そうした経緯から、1回で多くの旅客を運ぶことが出来る747が重宝されたのです。
成田空港の状況は?
そうした経緯から、2つ目の首都圏空港として作られた成田空港ですが、予定地で日本史に残るほどの建設反対運動が起き、開港予定は1972年から1978年へずれこみました。開港しても、当初3本を予定していた滑走路は、2002年4月に平行滑走路の供用開始まで、わずか1本体制で運用を続けるといった状況でした。
成田空港を離陸するピーチのエアバスA320(乗りものニュース編集部撮影)
今でこそ、日本のGDP(国内総生産)は世界3位と隣国中国に抜かれ、長距離の国際線も747より小ぶりな双発機で運航できるようになりました。しかし、当時「日本の空の玄関」と呼ばれつつも建設が進まなかったなか、成田空港が限られた発着数で多くの旅客を受け入れるのに、747は都合がよかったのです。
747を成田や羽田で見る時、筆者は日本の経済規模と発着枠のアンバランスへ思いがよぎりました。現在、羽田と成田は合わせた発着数は約100万回を目指しており、成田空港ではLCC(格安航空会社)が使うA320や737の小型機も多く見る機会が増えています。かつて「ジャンボ機王国」だった日本も、確実に時代が変化したといえるでしょう。