老舗バス会社の札幌観光バスが「たびポス」というウェブサービスを始めました。いわばレシピ投稿サイトの旅行版。畑違いの事業に進出する背景には、バス業界の危機と、昭和からあまり変わっていない旅行のあり方という課題が存在します。

老舗バス会社が始めたウェブサービス

 2023年1月23日、北海道内の旅程作成を支援するウェブサービス「たびポス」がスタートしました。
 
 旅行会社のツアーではなく個人旅行をしようとすると、旅程作成に苦心することがあるはずです。広大な北海道ならなおさらです。「たびポス」では、既に旅行を楽しんだ人や観光の専門家らが投稿した旅程をサンプルとし、自分用に旅程をカスタマイズすることができます。いわば、“レシピ投稿サイトの旅行版”。料理のレシピを投稿するように、旅程を「作品」としてシェアできるサイトです。


札幌観光バスの貸切車両(画像:札幌観光バス)。

 運営するのは札幌観光バス。技術面はナビタイムジャパンが開発を担い、筆者(成定竜一:高速バスマーケティング研究所代表)も共同企画者という立場でお手伝いしました。

 札幌観光バスは、老舗の貸切バス事業者です。ANAの大株主である名鉄と、東亜国内航空(後の日本エアシステム。その後、日本航空と経営統合)大株主の東急が、競うように道内の乗合バス事業者を傘下に収めていた1964年、名鉄によって設立されました。名鉄グループを離れた今も、『旅行新聞』による「プロが選ぶ優良観光バス30選」全国第7位に選ばれるなど旅行会社からの信頼が厚く、修学旅行などの団体旅行や、旅行会社のツアーの足として活躍しています。

 そのような会社が、ウェブサービスの開発・運営に乗り出しました。しかも、「たびポス」の対象は団体旅行ではなく、公共交通やレンタカーを使う個人旅行です。一見、本業とは反対を向いているよう見える分野に、老舗の貸切バス事業者が挑戦する理由はどこにあるのでしょうか。

観光の変化がいわれて20年以上 縮小する貸切バス

 戦後、日本の観光産業は、「旅行会社主導」「団体旅行中心」で成長しました。日本社会にはもともと強固な村落共同体が存在し、戦後は町内会や農協、また「家族的」といわれる日本型の企業に、その機能が引き継がれました。旅行会社はそれらのコミュニティに営業をかけ、慰安旅行という文化が生まれました。

 しかし、1990年代後半から、コミュニティの衰退やバブル崩壊の影響で団体旅行は減少しました。当初は団体ツアーによる訪日が多かったインバウンドも、FIT(個人旅行)中心に変化しています。団体の足を担う貸切バス業界は、長いあいだ、市場が縮小傾向にあります。

思うように変わらない旅行市場 貸切バスは危機に

 そこにコロナ禍が追い打ちをかけました。同社の福村泰司社長によると、道内の貸切バスの需要は、コロナ前の7割程度までしか回復していないということです。札幌観光バスのようなブランド事業者でも、従来の市場がさらに縮小することを覚悟しないといけないのです。

 観光産業では、2000年頃から、変革のビジョンを描き続けてきました。従来の「物見遊山」的なツアーから、テーマ性の大きい旅行へ。文化財的価値のある工場などを対象とする「産業観光」、農村に滞在し農作業体験や豊かな食を楽しむ「農泊」など、唱えられたキーワードは枚挙に暇がありません。

 ツアーの形態は、「発地型から着地型へ」の変化が謳われました。大都市の旅行会社が企画する従来型のツアーは、有名観光地を総花的に回る凡庸なものになりがちです。しかし、地元を愛する目的地(着地)側の旅行会社なら、地元の人しか知らないような体験を組み込んだツアーを企画することができます。現地参加型とすることで、各地から集まった旅行者を対象に、テーマ別に多数のツアーを同時に設定することもできると言われました。

 それらを、ウェブの普及が後押しするとされました。ウェブ上で得られる情報は多く、旅行者自身が、それぞれの関心に基づく旅程を組み予約するだろうとされました。往復の足と宿泊、現地のアクティビティを旅行者自身がウェブ上で組み合わせ、一括で予約、決済するダイナミック・パッケージが普及すると考えられました。


観光バスを活用した「昭和の旅行」のイメージ(画像:札幌観光バス)。

 しかし、日本人の旅行のスタイルが、当時の見込み通りに、抜本的に変わったとまではいえません。グルメなりスポーツなり、好きなアニメの「聖地巡り」なり、旅行者自身が本当に関心のあるテーマで自由に旅行を楽しむには何が不足しているのか、という疑問が「たびポス」開発のきっかけになりました。

 旅好きな人やバス・鉄道の愛好家らは、複雑な時刻表を読み解いて自由に旅を楽しんでいます。しかし、ごく一般的な旅行者にとっては、どこにいい温泉があるとか、地点間のおおよその所要時間、といった知識をあまり持っていません。経路検索サービスが示してくれるのは、効率のいい乗換ルートであって、最も楽しめるコースではありません。「1日目はどこを回って、どの宿に泊まろう。2日目は…」といった「旅のあらすじ」を書くことが難しいのです。

今できること「専門家の知恵を結集」

「あらすじ」さえ書けたなら、経路検索サービスで交通機関の詳細なダイヤを調べ、予約サイトで宿を取れば旅は完成します。将来は、AIが旅行者の趣味嗜好を分析し最適な旅を提案するのかもしれませんが、今の技術では「一人ひとりの心の琴線に触れる」旅程を提案するところまで届いていません。

 今できることは何か考えたとき、開発チームの答えは“レシピ投稿サイトの旅行版”でした。札幌観光バスの佐藤圭祐常務取締役によると、ごく一般の旅行者が実際に旅した内容と感想をシェアするのに加え、旅のプロや、アニメやアウトドアスポーツなど特定の分野に精通した人が「専門家お勧めコース」を投稿することを想定しています。その投稿をベースにオリジナルの旅程を作成できるサービスこそ、日本の観光産業変革の重要な1ピースになるのではないかといいます。さらに、投稿された数多くの旅程は、デジタルデータとして、隠れた人気スポットや新しい広域観光周遊ルートの発見にも活用できます。自社で着地型ツアーを企画し、「本業」である貸切バスの稼働向上につなげることもできるのです。

やっと脱するか?「昭和の旅行」


「北海道の観光の価値を伝えよう」と北海道運輸局の水口観光部長(画像:札幌観光バス)。

 目指すのは、旅程作成の権限を、旅行会社から旅行者自身に取り戻す「旅程作成のエンパワーメント(権限移譲)」、いわば「旅行の民主化」です。

「たびポス」サービス開始を記念したセミナーでは、国土交通省北海道運輸局の水口 猛観光部長が講演しました。同氏は、北海道の観光が札幌周辺に一極集中している点を指摘し、「お手軽な体験の提供を、“観光”だと考えていないだろうか。わざわざ足を運んでもらえる価値を伝えよう」と、集まった北海道内の観光事業者に呼びかけました。同時に、「たびポス」に対しても、「旅行者の熱意が伝わる投稿を増やしてほしい」と激励しました。

 日本の観光産業の将来は、観光事業者らが、旅行者にとって本当に価値のある体験を提供できるかという点と、旅行者自身がそれらを組み合わせて上手に旅程を作成できる環境づくりにかかっていると言えそうです。