エンゼルス・大谷翔平【写真:Getty Images】

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「10球種」を考察する著書を上梓したケプナー氏が見る投手・大谷

 ヒマワリがうつむく季節にMVP論争が白熱している。

 9月7日(日本時間8日)現在、ホームラン王争いを独走するのは、55本塁打を放ったヤンキースのアーロン・ジャッジ。ロジャー・マリスが持つ球団記録並びにア・リーグ記録の61本越えが現実味を帯びている。そして、投打の二刀流で奮闘するエンゼルスの大谷翔平が33本で2位につける(MLBはABEMAで毎日生中継)。差は開いているが、誰の目にもわかりやすい豪快なアーチの競演は、MVP論争の熱量と相関の糸でつながる。

 今季ここまで11勝を挙げ、野球の神様と謳われるベーブ・ルースが記録した「2桁勝利&2桁本塁打」に、104年ぶりに並ぶ偉業を成し遂げた大谷を栄えある賞に推す声は、口うるさい論者にとってはノイズであろう。しかし、数字が一方的に他者を駆逐していく過程に焦点を絞るだけでは、二刀流を続ける大谷が深奥に抱く想いを酌み取ろうとする意識は薄れてしまう。

 二刀流の元祖、ベーブ・ルースが「投げるのはつらい」と発言して打者に専念したことは、史実から明らかになっている。伝説のプレーヤーが嫌ったマウンドで果敢に打者に挑む大谷。二刀流ゆえに受ける重圧は、他の選手のそれとは、真剣での勝負と木刀での勝負ほどの差があると言えば穿ち過ぎだろうか――。

 こんな思いの連鎖から浮かんだのが『A History of Baseball in Ten Pitches』だ。ニューヨーク・タイムズ紙の元ヤンキース番記者、タイラー・ケプナー氏が2019年に上梓。米国でベストセラーとなった書籍の一覧を掲載する同紙のノンフィクション部門でリスト入りした。

 この名著は、米野球殿堂入りを果たした名投手たちと現代に活躍する投手たち、監督やコーチ、球界関係者、そして打者からの視座も据え、300人以上を取材。その中から抽出したエピソードに加え、今は亡き偉人投手たちに関する史書と史論を博引し、スライダー、ストレート、カーブ、ナックル、スプリット、スクリュー、シンカー、チェンジアップ、スピットボール、カットの10球種でそれぞれのエキスパートを厳選している。

 著者のケプナー氏に率直に聞いた。大谷は選考基準を満たしていなかったのか――。

「原稿の締め切りが発売の1年前(2018年)でした。執筆を終えたのが3月の頭。その頃、オオタニは米移籍1年目で春のオープン戦を迎えたばかりでした。もちろん、日本で二刀流で鳴らしていたことは知っていましたし、その実績を見れば、ここでも高次の存在になり得る可能性があると思っていました」

 では、今はどうなのだろうか。水を向けた。

ケプナー氏が読み取る大谷の覚悟、MVP争いに一石を投じる視点とは…

「『スプリット(=フォーク)編』で絶対に選びます。かなりの質ですから。スギシタから受け継がれてきた日本人投手たちのスプリットへの想いは、地道に重ねた取材で理解しているつもりですが、オオタニがそこをどう感じるのか、どのように習得して磨きをかけてきたのかを知ることができれば、私は彼が投げるその球にもっともっと魅了されるはずです」

“スギシタ”とは「フォークの神様」の異名を持つ杉下茂氏を指す。2002年にメッツを担当したケプナー氏は、ロッテを指揮した経験を持つボビー・バレンタイン監督から聞いた杉下茂と野茂英雄評を参考にしつつ、オンタイムで取材をした佐々木主浩、上原浩二、田澤純一、長谷川滋利ら大リーグで活躍した日本人投手たちの話を咀嚼。さらに、松井秀喜や西武でプレーし、後に米球界に復帰したタイ・バンバークレオら打者目線に照らして、日本人投手が“魔球”を投げることの意味を潜考する。ほどよく盛り込まれた逸話や秘話は、プロ野球ファンにとっても侮り難い説得力を備えている。

 ケプナー氏が「投手・大谷」の背後に光を射し入れた。

「2018年のオフに右肘の靭帯修復手術を受けたオオタニは、2020年に本格的な二刀流で本領を発揮し始めましたが、正直、それまでは職業的生命を案じていました。しかし、その艱難(かんなん)が二刀流への想いと信念を押し通す覚悟をより強くさせたのではないでしょうか」

 当書の表紙には、三振を表す大きな「K」の文字が浮かぶ。その中には名投手たちの姿がびっしりと詰まっている。ページを開くと、印象的な言葉が目に飛び込んできた。

「握りと持ち方を微妙に調節すれば、単なるボールが偉大な打者をも封じる凶器に変わる」

 読み手をあれよあれよという間に、マウンド近くへと連れ出してしまう1冊を世に出したケプナー氏は話の最後にこんな言葉を用意していた――。

「1人のホームラン打者を探し出すことより真のエースを1人探し出すことの方がずっと難しい」

 その声は、激化する大谷翔平とアーロン・ジャッジのMVPレースを射抜くかのように余韻を残した。(木崎英夫 / Hideo Kizaki)