108年前の8月25日、現在のわたらせ渓谷鐵道である足尾線が全通しました。

閉山後も生き残ったローカル線


わたらせ渓谷鐵道の通洞駅。足尾中心街の玄関口(乗りものニュース編集部撮影)。

 今から108年前の1914(大正3)年8月25日。現在のわたらせ渓谷鐵道である足尾線が全通を迎えました。

 江戸時代初期からの由緒がある、足尾銅山。鉱毒事件による混乱も経た明治末期になって、鉱物積み出し用の列車として建設が開始されました。

 それまでは列車を馬が引く「馬車鉄道」が輸送手段として使われていました。1895(明治28)年に開業、渡良瀬川の各支流へ路線が枝分かれしていました。こちらは後にガソリンカーが走るようになり、1953(昭和28)まで存続しています。

 新たな鉱山鉄道である足尾鉄道は1911(明治44)年の桐生〜大間々間の開業を皮切りに、上流へ順次延伸。1914年のきょう、足尾〜間藤〜足尾本山までが開業して、全通となりました。ちなみに鉱毒事件で社会運動を行った田中正造は、前年の9月に死去しています。
 
 足尾鉄道は1918(大正7)年に国有化され、国鉄足尾線となります。足尾銅山は1973(昭和48)年に閉山。その後赤字路線として廃止が決定しましたが、1989(平成元)年にJRから第三セクターのわたらせ渓谷鐵道に移管され、今に至ります。

 1968年10月時点のダイヤは、全線通しの列車が8往復。それに加えて足尾止まりの列車が2往復、水沼止まりや神戸発の列車にくわえ、鉱夫を運ぶ足尾〜間藤のシャトル便が朝晩に運行されていました。

 間藤から先の鉱山用貨物線はそのまま廃止となり、現在も橋梁や線路跡が各地に残されています。

 全線で渡良瀬側の渓谷に沿って走るわたらせ渓谷鐵道。その景観を活かし、現在は観光列車「トロッコわっしー号」「トロッコ渓谷号」が運行され、旅人を楽しませています。