※この記事は2017年09月06日にBLOGOSで公開されたものです

セクハラ、パワハラ、モラハラ....。あらゆるハラスメントが社会問題になっているが、大学内で行われるハラスメント(アカデミックハラスメント、アカハラ)も注目されている。2015年11月、山形大学工学部(米沢市)の男子大学生が、指導教員である男性助教(40代)のアカハラを苦に自殺したことが8月になって明らかになったばかりだ。報道によると、大学が設置した第三者調査委員会は自殺とアカハラの因果関係を認めた。

一方、某公立大学医学部6年の男子学生・片岡健太郎(仮名)も教授のハラスメントに悩んでいる。片岡は就職活動の影響で、うつ病となり、成績も思わしくなかった。しかし、ある教授の対応をきっかけに、さらにうつ病が悪化し、希死念慮も強まった。いったい、片岡はどんな対応をされたというのか。

就活や実習をきっかけに抑うつ状態に

ほとんどの大学では「ハラスメント防止委員会」が設置されている。ハラスメントの一例として、教育・研究上の地位または権限を利用して、学生らに教育上不適切な言動をし、研究意欲や研究環境を著しく阻害するようなものを「アカデミック・ハラスメント」と位置付けている。

片岡は就職活動などで悩んでいた。そこに実習でのストレスも加わってか、うつ病を患うことになる。2015年5月ごろには、精神科に受診していた。

「これまでもうつの気がないわけではなかったかもしれないですが、就職活動や実習などをきっかけに抑うつ状態になったのです」

成績も落ち込んでいく。大学では16年7月、成績不審者を対象にした面談が行われた。その面談を主導しているのは、今回、アカハラではないかと問われているA教授だった。面談には、そのほかに4人の教授がいたという。なぜ成績が落ち込んでいるのか、を聞き取りによって明らかにし、学生の勉強を支援することが目的の面談だ。

この面談で、片岡は「うつ病で精神科に通っている」と告げた。面談前くらいから、体が動かないことがあり、ずっとベッドの上で寝ていることがあった。そんなときは「死にたい」という言葉が脳裏に浮かんだ。そのため、「これが希死念慮だ。危ない」と感じていた。

しかし、そのことを告げることは勇気のいることだった。医療関係者の間では「プシコ」という言葉が使われることがある。元々はドイツ語のpsychiaty(サカイエトリィ)から来ており、精神病患者を指す造語だ。

「この言葉は、医学部内では精神病患者をややバカにしているニュアンスで使われています。ただ、A教授を信用していたこともあり、うつ病であることを告げました」

当初は都内の精神科クリニックで受診していたが、この面談を機に、片岡が通う大学内病院に通ったらどうか、と助言された。そのとき、B教授が主治医と決まったという。当初はB教授には、「死にたい」という希死念慮があること言えずにいたが、徐々に言えるようになった。うつ状態も徐々に改善していく。

うつ病を認識しているはずの教授から厳しい叱責

「当初はB教授に、希死念慮のことは言っていないんです。もし言うと、下手すれば入院かな?と思っていたからです。この時期、しかも自分の大学で入院は嫌でした。このころは自分がうつ病だっていうことに抵抗感があったんです。今はないんですけどね」

片岡は、このときの面談を特に問題とすることはなかった。面談はさら10月にもあった。このときもまたA教授が中心になっていた。7月にうつ状態を告げていたが、まるで、うつ病患者への対応とは思えない態度で、叱責された。これを機に、片岡のうつ状態が悪化していくことになる。うつ状態には波があり、特にこのころはつらい時期だった。

「7月の面談の段階で成績不振の理由がうつ状態であることを告げ、A教授との共通認識を得ていると思っていたんです。しかし、この時、A教授は豹変していました。高圧的になられると自分でもわけがわからなくなりました」

医学部の教授であれば、うつ病患者である学生に対して、一定の理解を踏まえた上での指導をするものだろう。精神科が専門でなくても、あらゆる場面で精神科の知識は一般人に求められるものよりも期待は高い。医学部の教授であり、、事前にうつ病であることは告げていることから、片岡もそれなりの対応を期待していた。しかし、それが裏切られたことになる。

「ハラスメントではないかと思い、ネットで弁護士を探しました。ようやく見つけることができました。相談に行くと、『ハラスメントのラインは超えていると思うが、イリーガルなラインは超えていない。法的に争うのは難しい』との答えでした」

11月。先の面談後初めてのB教授の診察があり、10月の面談について話した。「同じような面談はやめてほしい」と伝えた。そのためか、同種の面談はその後、開かれていない。ただ、A教授への怒りが高まり、さらに「死にたい」という希死念慮が高まった。ますます、勉強が手につかなくなる。卒業も就職も難しくなった。

補償求めるも大学側とは合意できず

17年1月、片岡は学内のハラスメント防止委員会に被害を訴えた。その結果、まずは当事者間で話し合うことになった。

まず片岡が確認したのは、同じ学年で、ハラスメントではないものの、2人の自殺者が出ている、ということだ。

「当事者間の話し合いでは、2人の自殺者が出ていることは認めています。大々的には取り上げられていません。理由についてはあくまでも噂が流れているだけですが.....」

2人の学生が自殺で亡くなっている。そのことを知りつつ、反省を生かしていない。片岡が問題にするのは、それを知っていながら、A教授はうつ病患者に対する適切な接し方をしてないのではないか、ということだ。

「10月の会合後、うつ病が悪化し、一歩間違えたら、死んでしまっていたかもしれません。そういうリスクを負いましたし、結果、就職ができなくなりました。A教授には謝罪をしてもらいたいです。また、A教授はまだ同じ面談を後輩に繰り返しています。後輩のためにも、A教授には面談をやめてもらいたいのです」

話し合いは5月に開かれた。片岡とA教授、また他の教授も出席している。そのなかで、A教授は話し合いの冒頭でこう釈明している。

「このタイミング(10月の面談)を逸したらほんとに悪い結果になってしまいます。やっぱりその後のことを考えるとかなり大変な状況になるんじゃないかと思い、私のほうできつい言い方をしてしまいました。心よりお詫びしたいと思います」

その後、こうしたやりとりがあった。

片岡「うつ病で治療中ということを知っていたら普通に考えて,最初に聞くはずですよ。最近の生活の状況とか勉強をどれくらいできているかとか。私が勉強を、たしか一日4、5時間とかいいましたかね。そしたらものすごく少ないみたいな言い方をしましたよね。あれがうつ病治療中の人間に対する言い方だとは思えないんですけど。忘れていたんじゃないんですか?」

A教授「いやそれはない」

片岡「忘れていてこういうことをやったのなら、人間ですからミスもあります。そこはひとつ反省の材料として、善後策を考えることもできると思います。しかし、僕がうつ病に罹患していると知っていて、ああいう面談をしたのなら非常に問題があると思います」

A教授「ちょっと厳しく言い過ぎたかなと先ほども話しています」

片岡はさらなる具体的な説明を求めるが、A教授は無言になることが多くなった。この話し合いで、片岡は、対応への謝罪、就職が取り消しになったことへの補償を求めた。というのも、勉強ができず、卒業試験もクリアできなかった。国家試験を受ける状態ではなく、内定していた研修先の病院にも行けなかった。期待された収入がなくなった上に、大学に通うことになるため、学費も必要になるからだ。

しかし、合意できないとの連絡が入った。つまり、当事者間での話し合いは不調に終わったことになる。片岡は今後、ハラスメント防止委員会での調査委員会での設置を求めていく。