『エロ事師』と『全裸監督』 - 吉川圭三
※この記事は2017年04月10日にBLOGOSで公開されたものです
「エロ事師たち」・・・。
1963年文藝雑誌連載開始の作家・野坂昭如による処女長編小説である。テーマはずばり人間とエロ。エロ写真屋・ブルーフィルムの運び屋・コールガール・トルコ風呂経営者・エロ本製造業者・白黒ショー出演者(性交渉有りのストリップショー)がこれでもかこれでもかと出て来る。地の底に這いずり回るかのようなエロ事師たちを魔術的に捌き、描いたこの小説は三島由紀夫や澁澤龍彦にも激賞され、1966年今村昌平により映画化される。
私が“テレビ”でこの作品を見たのは小学校五年生。思い出すのは小沢昭一演ずるエロ事師が裸で抱き合う二人の人物の局部を親指で隠しサラリーマンに500円で売る場面だった。小沢は金を受け取ると逃げる様にその場から居なくなる。サラリーマンがよく見るとそれは相撲取りのまわしの取り合いの写真でその股間を小沢は親指で隠していたわけだ。私は子供心に「自分の知らない世界への好奇心」を刺激され興奮した覚えがある。
野坂昭如は単行本の「あとがき」にこう書いている。
『ぼくはオチンチンの小説を書きたいと考えて、「エロ事師たち」を書いた。これは決して男根、魔羅、玉茎の事ではなく、はかなくあわれなオチンチン小説であり、スブやん(注・主人公のエロ事師)はそれを本来の姿にもどすべく努力するドン・キホーテといえよう。』
さすが野坂先生、人間を描くのに「オチンチンの小説」を書くとはなかなか鋭い目の付け所である。
野坂昭如の小説の事を思い出したのは、AV監督・村西とおるを主人公にしたノンフィクション「全裸監督」を読んだからである。著者の本橋信弘氏は早大政経卒のインテリだが、吸い込まれる様に「現代のエロ事師たち」ビニ本屋の世界に入り、AV業界に関与する様になる。だからこのノンフィクションは資料やインタビューを集めただけではなく、「ビニ本帝王・AV帝王」の姿をほしいままにした村西とおるという稀代の怪物的人物を著者の本橋氏が内部から目撃して描いた稀有な記録という事になる。
本橋氏は既に「村西本」を何冊か出版しているが、今回は満を持して本人・関係者の再取材・インタビューを決行、実に700ページ越えの大冊に仕上げた。
1か月前、この本を読み始めた私はペラペラめくると読み急ぐことを避け、就寝前に毎日20ページほど噛み締める様に読んだ。
著者は村西とおるをある時は新興宗教の大教祖の様な描写をし、ある時は理不尽な理由で部下に鉄拳を振るう性格の複雑怪奇さを描写をし、ある時はヤクザのヒットマンより恐ろしい目をした男として描き、ある時は魔術的な応酬話法により美女を次々AVに出演させる情熱のほとばしる男として描き、ある時は社会的に問題のある人物(殺人犯など)にもチャンスを与える姿を描き、ある時は誰よりも子煩悩な父や理解のある夫として描き、ある時は村西を突き放す様に口先だけの胡散臭い詐欺師の様に描く。・・・
私は一人の人間の中にこれだけの強烈な要素が入り超エネルギー体の様になっている人物例はあまり知らない。もしかするとあの「ビートたけし」ぐらいかな?とも思う。
この本の惹句にはこうある。
『「人生、死んで しまいたい時には下を見ろ!おれがいる。」前科7犯、借金50億、米国司法当局から370年の懲役。奇跡の男か、稀代の大ボラ吹きか。“AVの帝王"と呼ばれた裸の男の半生。』
大富豪から大貧乏に転落したジェットコースターの様な人生とこんなキャラクターを持った男を主人公にしたノンフィクションが面白くない訳がない。
「お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。」等と言って現れる 怪し過ぎる村西とおるは独特の話法を全編で炸裂させ森羅万象を語るのだがこれがまた絶妙である。
もう一つこの本を面白くしている要素がある。著者の本橋信宏氏の熟練さを増した筆使いとエネルギーのつぎ込みかたである。本橋氏はビニ本・AV業界・男女の裏側等の本から政治・思想やサブカルまで広いテリトリーを持つ著述家である。
そして最近、本橋氏は面白い方向に舵を切っている。テーマは「街」である。たてつづけに3冊「東京最後の異境・鶯谷」「迷宮の花街・渋谷・円山町」「上野アンダーグラウンド」というかなり「エロ・エネルギー」が沈殿していると思われる街を歴史も辿り、今の姿まで稀有な切り口で書いている。ある街をエロという視点で多角的に見る。しかし、それは決して浅くはなく何かの因業や因縁の様な妖しいパワーを放っているから不思議なものだ。
私が時々知人に今、「村西とおる伝・全裸監督」を読んでいると告げると「吉川さんが何故?」という顔をして、皆例外なく私の前から去ってゆく。
しかし、わたしはこの書をエロという視点で「人間の複雑怪奇性」を描いた極めて稀有な存在の本だと思う。野坂昭如が50年以上前にフィクションで描いた「人間という存在の怪異性」をリアルな一人の人間を描くことで描いたのだと思う。故・三島由紀夫や故・澁澤龍彦がもし生存したら是非読んでほしかった。・・・と言うのは少々大げさだろうか。