今も昔も芸能界は一般社会とはかけ離れた″特殊な世界″ - 渡邉裕二
※この記事は2017年02月22日にBLOGOSで公開されたものです
女優でタレントだった清水富美加の「幸福の科学」出家騒動は、北朝鮮の金正男暗殺事件で、やや沈静化した感じもあったが、まだまだ世の中の関心は高い。…と言うより、もはやこれ以上、騒ぎを大きくしたくない所属事務所「レプロエンターテインメント」と、さらに教団アピールしたい「幸福の科学」の思惑が入り混じっての攻防戦。水面下での綱引きは続いているといった方がいいかもしれない。
で、改めて思うのは当初、彼女は「出家」を決意した理由に
「休みがない」
「睡眠時間がない」
「給料が5万円でボーナスもなかった」
「やりたくない水着や映画の仕事をさせられた」
「死んでしまいたいと思った」
など教団を通して発言してきたのに対して世間からは
「そんなに働かせて。しかも安い給料で…」
「(所属事務所は)もはやブラック企業」
「死にそうだったんだから逃げて当然」
と、彼女に対する同情の声と所属事務所への批判が殺到した。
だけど、こういった文言を聞いた時は失礼ながら「芸能界だな」と思った。
おそらく、筆者が、そう思うことに対して「芸能界の中で麻痺しちゃった?」
そう言われるに違いない。
きっと「そんな時代もあったかもしれないけど、もう時代が違うんだよ!」と言う人が多いはずだ。でも、本当にそうなのか? いくら時代が変わろうとも芸能界というのは、そういうところなんじゃないか?ある意味で〝特殊な世界〟なのだ。
筆者が思うに、清水富美加の場合は、たまたま売れたから、そういったことを言えたのだろうし、世の中も彼女の叫びを聞いて、同情で反応してくれたんだと思えてならない。とは言っても、22歳の女の子が、いくら給料制になったとか、ボーナスを貰えないと言っても年収1000万円。こんな給料は一般社会ではあり得ないだろう。そう考えたら、やっぱり特殊な世界だと言わざるを得ない。
それに、裏返せば彼女が自ら望んで入った世界だったんじゃないか?理想と現実には大きな隔たりがあったかもしれないが、幼心に「売れたい」「仕事をいっぱいしたい」って思っていたはず。だから、事務所に文句を言ったら「仕事を貰えなくなってしまう」と不安にもなったのだろう。あくまで勝手な想像ではあるが、もし、彼女に仕事がなく、スケジュールがガラガラだったりしたら、それはそれで不満が出て来て、今度は「事務所を移りたい」と言うに決まっている。もちろん、今回のように「幸福の科学」だって、そんな子に興味を示してくれなかっただろう。
過酷すぎる芸能界で消耗していったピンクレディー
で、今回のことで「過酷過ぎる」と言われた芸能界のことで思い出したのが、ピンク・レディーだった。誰もが知る70年代を代表する〝伝説のアイドル〟である。
ピンク・レディーは、ミー(根元美鶴代)とケイ(増田啓子)のデュオのユニットだった。2人とも静岡市出身。中・高と同級生だった。それが76年、日本テレビ「スター誕生!」の決戦大会でビクター音楽産業(現ビクターエンタテインメント)からスカウトされたのが始まり。2人はピンク・レディーと名づけられ「ペッパー警部」でデビューした。高校を卒業して間もない18歳の2人が、極端に短いミニスカートで開脚ポーズを見せ、セクシーに歌い踊る…そのスタイルは歌謡界に大きな衝撃を与えた。
作品のほとんどは故・阿久悠氏(作詞)と都倉俊一氏(作曲)のコンビ。
「ペッパー警部」から「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」「UFO」「サウスポー」…。リズムやビートを強調したサウンドとセクシーなダンスで、人気が爆発して9作品が連続して1位にランクされた。この勢いは78年まで続いた。当時、1組のアーティストが連続してシングルを100万枚売り上げることは考えられなかったが、彼女たちは「渚のシンドバッド」から「モンスター」までの5作品を全てミリオンヒットにした。前人未到のセールスだった。
ピンク・レディーの成功について、ある音楽評論家は言った。
「最大のポイントはさわやかさ。明るく健康的なムードが良かった。セクシーな振り付けには批判もあったが、子供たちがマネするようになり、若者の間でもあの振り付けを覚えることが流行になった」。
当然だが、売れれば売れるほど彼女たちのスケジュールはハードになった。テレビ局を分刻みに移動し、睡眠時間は2時間程度と言われた。
当時、若者向けアイドル音楽番組に「ヤンヤン歌うスタジオ」(テレビ東京)という番組があった。その番組を担当していた沼部俊夫プロデューサー(故人)から、ピンク・レディーのエピソードを聞かされたことがあった。
「あの時は彼女たちのスケジュールを押さえるだけでも大変だった。しかもスケジュールをもらっても、各局を掛け持ちで回ってウチは最後になっちゃうんですよ。ある時、深夜だったんですが彼女たちを乗せた車が局に着いたので、出迎えに行ったんです。ところが彼女たちが車から出てこない。どうしたのかと思って中を覗いたら、ぐっすり眠っていたんです。これはとても無理だってことになり、収録をキャンセルしたこともありましたよ」。
沼部プロデューサーは優しかったから、それで済んだが、普通はそうはいかないだろう…。
79年、彼女たちは活動の場を海外にも広げた。米ラスベガス公演を皮切りに、世界40ヶ国でアルバム「KISS IN THE DARK」を同時発売。さらに、米NBCでは彼女たちの番組「PINK LADY SHOW」も制作され5回放送された。
ところが、その米国進出が2人の関係を壊してしまった。ミーとケイの意識にズレが出てきたのだ。2人は所属事務所を交えて「じっくり話し合った」と言うが、それでも気持ちのズレは広がっていった。そうした中で出て来たのが「ピンク・レディー解散説」だった。
「当時、彼女たちが解散か継続かの岐路に立って悩んでいたことは確か。ただ、それでも継続を選んだのは、彼女たちの条件を所属事務所がすべてのんだからだったんです」(音楽関係者)。
で、その条件とは何だったのか?
「1ヶ月に3~4日の休日を与える」とか「海外進出を中止する」
という単純なものだったという。
そこで一旦は解散が回避されたものの、やはり2人の関係は回復しなかった。ミーは「2人とも子供じゃないんですから。自分を表現するにはいろいろな方法がある」と言い出し「ピンク・レディーでいる限り、自分のやりたいことは出来ない」とまで言い切った。一方のケイも「もう22歳。いつまでも一緒にいてもしょうがない」。2人の関係は冷めきり、楽屋で一緒になっても口をきかない状態が続いた。そして80年9月1日、ついに2人は解散を発表した。
所属事務所は解散を思いとどまるように説得したという。が、解散・引退の意思は固かったという。
もっとも解散後は、引退もせず、ミーは「未唯」、ケイは「増田恵子」として個々の活動に転じた。しかし、解散から9年後の89年にはピンク・レディーとして再結成。「NHK紅白歌合戦」にも復活出場するなどイキもピッタリ。往年のファンを喜ばせている。
そんなものである。いくら時代が変わっても芸能界なんてのはアナログな世界なのだ。忙しさの中で、あるいは思考を失うこともあるだろうが、時間を置いて冷静に考えたら、あるいは感情の隔たりもなくなっているかもしれない。単に意地を張っていただけなのかもしれない。
とにかく芸能界は人間社会そのものだと言うこと。人と人との結びつき、そこには意思の疎通もあるだろうし、憎んだり恨んだりする事だってあるだろう。もちろん理屈じゃないことだってある。だけど結局はお互いを理解し合うことしかない。もちろん時代によって意識の違いは出て来るだろう。が、仕事に対しての取り組み方は変わるものではない。
今は清水富美加にしても単に冷静さを失っているに過ぎないと思う。
守護霊インタビューの前にすることがある
発刊された「全部、言っちゃうね。」。
清水が法名「千眼美子」名義で出版した著書である。今回の騒動について当初は、仕事や待遇面だけの不満かと思っていたら、どうやらロックバンドのメンバーとの恋愛の悩みも抱えていたようである。しかも、水着姿は本意ではなかったことは分かるが、握手会でのファンのことなど「何だかなぁ…」と思うような部分も多々あったが、不満は不満として、それが何故、出家に繋がるのか分からない。
と言うより、そもそも清水本人が自らの言葉で話していないだけに疑問だらけである。例えば、どういった仕事をやって給料はいくら貰えたら満足なのか? 休みはどのくらい欲しいのか? おそらく満足なんてないかもしれない。本来なら、周囲にいる人が、大川隆法代表でもいい。守護霊インタビューなんかの前にすることはあったはずだ。メディアを煽って、物事を拗らせるのじゃなく、円満に解決するように努めなければ一事が万事、これからも変わらない。そうでなければ彼女にとっても不幸なことである。
今の彼女は「仕事をやめようと思った」と言いながら「清水富美加としてやってきたことを捨てたらスッキリした」と開き直ったかと思ったら、次に「これまで培ってきたことを生かして女優業もやっていきたい」などと言う。おそらく、口述筆記した教団関係者も矛盾を感じたに違いない。しかし、教団の思惑から、このような言い方になってしまったのだろう。
「洗脳上等だよ!」。
ピンク・レディーの場合、解散したことが果たして適切だったのか? おそらく解散して初めて気づいたこともあっただろう。では、22歳の清水富美加にとって今回の行動は「本当に適切な決断だった」のかどうか? いつの日か振り返った時、清水自身は果たして、どう思うのか?
ちなみに、21日の夜、清水が主演した映画「暗黒少女」の完成試写会が行われ、盛大だったという。それはそれで皮肉なことである。