「くるりのこと」著者が語るくるりと日本の音楽業界の変遷 - BLOGOS編集部
※この記事は2016年10月20日にBLOGOSで公開されたものです
日本の音楽業界に最も勢いのあった1998年にメジャーデビューを果たし、今年9月でバンド結成20周年を迎えた「くるり」。彼らのデビューからこれまでの歩みをメンバーの岸田繁と佐藤征史へのロングインタビュー、及び関係者の証言に基づいてまとめた書籍「くるりのこと 」は、この20年の日本の音楽シーンを記した年代記として、現在30~40代の彼らと同じ時代を過ごしてきた人々にとっての仕事論として、くるりファン以外の間でも話題を集めている。
同書の執筆・構成を手がけたのは「1998年の宇多田ヒカル」の著者である音楽ジャーナリストの宇野維正氏。宇野氏に、これまでのくるりの歩みや日本の音楽業界をとりまく環境の変化について、話を聞いた。(取材・執筆:永田 正行【BLOGOS編集部】)
くるりは、オルタナティブの音楽シーンの“象徴的存在”
-最初に最新作「くるりのこと(新潮社)」執筆の経緯から教えてください。
宇野:昨年、くるりの岸田くんから「来年、バンドが結成20周年を迎えるので、これまでの歴史を1冊にまとめてくれないか」と相談を受けたことがきっかけでした。
その時は、自分の著作としては前作となる「1998年の宇多田ヒカル」を書いている最中だったのですが、あの本は冒頭に1982年、1998年、2014年という3つの年代のヒットチャートを載せたことにも象徴されているように、この20年の日本の音楽シーンのメインストリームについての本なんです。
音楽シーンというのは、メインストリームとオルタナティブの2つが健全に両立していることで活性化していきます。98年にデビューした宇多田ヒカルが、それ以降の日本の音楽のメインストリームの1つの象徴であったのと同じように、くるりというバンドは、日本のオルタナティブの音楽シーンの象徴的存在と言えるでしょう。
自分自身が、1990年代後半から2000年代まで、少なくとも当時はオルタナティブの側であったロッキング・オン社で仕事をしていたことも含めて、「1998年の宇多田ヒカル」を書いている時は、どこか肩輪だけで走行をしているような気持ちだったんですね。ちょうどそのタイミングでくるりから今回の本の話をもらったことで、あの本ではメインストリームに振りきることができたし、その後にこの「くるりのこと」を書けたことで、98年以降の音楽シーンをメインストリームとオルタナティブの両側から振り返る仕事がようやく出来たと感じています。
-この20年間、日本の音楽業界は右肩下がりでした。こうした環境は、くるりというバンドにどのような影響を与えたのでしょうか。
宇野:くるりの岸田くんは、音楽をまったくビジネスとしては捉えていない人なので、そういう部分は基本的に無頓着ではあるのですが(笑)、一番変わったこととして、「音が悪くなった」と言っているんですね。それは、とても“ミュージシャン”としての意見だなと思います。
ダウンロードやストリーミングが主流になったことで、「MP3音源だから」「AAC音源だから」という圧縮音源の話になりがちですが、CDセールス全体の低下の中で、大本のレコーディングにあまりお金をかけることができなくなってしまいました。レコーディングにおける純粋な音質面に関してはテクノロジーの進化でカバーできる部分も大きいのですが、もっと重要なのはレコーディング・スタジオの中で脈々と受け継がれてきた様々な技術の方で、それは音楽にとって残念なことです。
今の日本の若いバンドには、「メジャーでやる意味をそれほど感じない」と感じている人も多いのではないでしょうか。自分で発信できる方法がいくらでもあるので、流通や宣伝といった部分でのメジャーのアドバンテージはどんどんなくなっています。
でも、98年にメジャーデビューしたくるりが「メジャーでやってきて一番良かったこと」として「くるりのこと」の中で語っているのは、デビューアルバム時に、佐久間正英さんというプロデューサーとレコーディングしたことを挙げているんです。
GLAYやジュディマリをはじめとする90年代の日本のロックやポップの立役者だった佐久間さんと仕事をしたことで、彼らは、「どうやったらいい音が鳴るのか」「どうやったら正しいレコーディングが出来るのか」という基礎を叩き込まれました。それは自分たちが選んだことではなく、レコード会社側が決めたこと、いわば当時まだ大学生だった彼らが大人に押し付けられたことなのですが、「佐久間さんにプロデュースを頼むという発想は、自分たちからは絶対に出てこないものだった」「それがなかったらこんなにバンドは続いていなかった」と振り返っているんです。これは非常に説得力があるなと思いました。
佐久間さんも亡くなられる前に、CDの制作環境の変化を非常に嘆いていましたが、くるりは音楽にお金を掛けることが出来た時代の技術的、精神的なものを受け継ぐことが出来た最後の世代なのかもしれません。宇多田ヒカルのニューアルバム「Fantôme」を聴いて最初に驚かされたことの一つも、やはりその圧倒的な「音の良さ」でした。
音楽好きの中には、メジャーやメインストリームというものに中指を立てることがかっこいいといった風潮もありますが、やはりメジャーで培われてきた文化や伝統、スキル、ノウハウというものはあるわけです。それがどこかで分断していったんだろうなという気はします。また、くるりは4枚目のアルバムの「THE WORLD IS MINE」以降、ほとんどのアルバムを海外でレコーディングしてきましたが、そんな贅沢なことも今の日本の音楽業界では考えられなくなってます。どうして彼らが海外でレコーディングするようになったのかについても、「くるりのこと」の中ですごく納得のできる理由を語ってくれています。
クリエイティブな“チーム”の重要性が高まっている
-現在では、YoutubeやTwitterなどのソーシャルメディアを使って、自らの楽曲を自由に流通させることができます。一方で、拡散のためのマーケティングに意識を取られてしまって、本来の音楽スキル、アーティストとしての活動に注力できなくなっているということはないのでしょうか。
宇野:最近はよく若い世代のミュージシャンには本人たちにも戦略が必要だという話になりますが、実感としては、戦略性や拡散力だけが高くて音楽的才能はないというミュージシャンはあんまり思い浮かばないんですよね(笑)。音楽自体の魅力と、それを拡散させる方法の斬新さという二つの側面は、わりと比例している。音楽的に新たな局面を切り開いてパイオニアになるような人というのは、やはり戦略面でも優れているんですよね。
一番わかりやすい例だと、レディオヘッドですよね。彼らは今から約10年前、2007年の時点で、自分たちのサイトにニューアルバム「イン・レインボウズ」の音源をおいて、リスナーに値段をつけさせた。あれが、今に至るまでの配信先行リリースのはしりになっています。さらに、2013年にはビヨンセが完全に事前の情報をシャットアウトしてニューアルバム『BEYONCÉ』を配信でサプライズ・リリースしました。それ以降、そうしたリリース方法は海外の音楽シーンのスタンダードになっています。
レディオヘッドもビヨンセも大物だから、やりたいようにやることができて、それが大きな潮流になるという見方もあるでしょう。もちろん、そうした側面も事実なのですが、結果的に新しいことをやってきたのは、音楽的に突出した表現をしてきて同業者からの信頼も厚いミュージシャンが、ここぞとばかりに自信作を世に問う時だったんですよ。レディオヘッドがコールドプレイでも、ビヨンセがレディ・ガガでも、同じことが起きたとは自分は思いません。
音楽がつまらなくて、でもマーケティングスキルに長けていたから売れたという人は、それほどいないと思うんですよね。一時的に売れることはあったとしても続かないし、続かなければ、音楽シーンに影響を及ぼすようなことはない。それは日本のボカロのシーンから出てきた人にしても同じだと思います。きっかけとしてボカロのシーンは大きな役割を果たすことはあったとしても、継続的に優れた作品をリリースしている人は、きっとどんな時代であれ、どんなかたちであれ、世に出てた人なんじゃないでしょうか。
また、我々はついバンドやアーティスト個人にすべてを還元してしまいがちですが、これまでCDを売る作業というのはアーティストではなくて、事務所やレコード会社といった大きな組織の役割でした。それが変わっていったのが、ゼロ年代以降の最も大きな音楽業界の変化で、その時に重要になってくるのは、そのアーティストがどのような「チーム」で仕事をするかということです。実際にサカナクションもPerfumeもよくインタビューなどで「チーム」という言葉を出しますが、まさにそこが重要なんです。
アーティスト本人やメンバーを中心にして何人かのブレーンが、マーケティングやミュージックビデオやライブの演出などのプランを練っていく。テイラー・スウィフトが何故あれほど世界中で話題を振りまいているかというと、そのチームの力が圧倒的に優秀なんですよ。よく「ミュージシャンが戦略とかネットでの拡散のことばかり考えて、肝心の音楽のことがおろそかになっていくというのは、本末転倒じゃないか?」というようなことが言われますが、もうそんな単純な話じゃないんです。
アーティストが音楽だけ作っていればいい時代はとっくに終わってます。ミュージックビデオも、ライブも、マーケティングも、すべてクリエイティブな仕事としてとらえないといけない。この時代に活躍することができるアーティストというのは、それを当たり前のこととしてとらえることができるアーティストだと思います。その上で、重要なのが事務所とかレコード会社といった会社組織の枠を超えた、アーティストをサポートするチームの力です。
どれだけ強いクリエイティブなチームを作れるかというのが、今の音楽シーンをサバイブしていく上で重要になってきていると思います。もちろん優れた人材は水面下で取り合いにもなりますから、作品ごとに座組は少々違っていてもいい。でも、ある種の継続性がないとブランディングできないし、そのブランディングこそが、単発的なCDのセールスではなく、現在の音楽業界における収益の主流となったライブの集客や物販やファンクラブ運営では重要になってきます。
くるりが2014 年に、これまでの事務所から独立したというのも、基本的にはそういうことだと思います。なるべく組織をコンパクトにして、すべてを自分たちで見通せる範囲において、そこで全責任を負えるかたちで次の動き方を決めていく。そうしないと、この新たな音楽シーンの環境の中でサバイブできないのではないかという危機感が彼らにはあった。レコード会社を中心とするこれまで音楽業界がこのまま続くわけがない。だからこそ、なるべく先手を打っていく必要があった。彼らのように今も人気のある、98年というCD全盛期にメジャーデビューをしたバンドでも、そういうことを考えなければいけないのが、今の時代だということでしょうね。
前時代のものになりつつある“ロックバンド”
-通信技術の発達などによって、物理的な距離の制約が少なくなっていることは、アーティストの活動にどのような影響を与えているのでしょうか。
宇野:音源制作に時間と手間がかからなくなったことは大きいですね。世界中の才能がダイレクトにつながるようになりました。
例えば、近年のビョークはARCAというベネズエラのカラカス出身のトラックメイカーと共同作業をしています。ビョークよりも先にARCAに声をかけたのは、今や世界中のクールな音楽を発掘する“クール・ハンター”と化しているカニエ・ウェストですが、その後、ARCAはビョーク、FKA twigs、フランク・オーシャンらと仕事をして、音楽シーンの最先端におけるキーマンとなっています。
それは、必ずしもスタジオで共同作業をしているわけではないんですよね。エレクトロニックミュージックの世界では、データのやり取りだけでコラボレーションが成立します。実際にARCAが今住んでいるのは、確かニューヨークですが、言ってしまえば(ビョークの)アイスランドのレイキャヴィークと(ARCAの)ベネズエラのカラカスがダイレクトに繋がってしまう、そういうダイナミズムが現在の世界の音楽シーンをかつてなくおもしろいものにしています。
実は今、ロックバンドという表現フォーマットがメインストリームにおいて健在で、まだ新人バンドが次々に出てくるというのは、ほとんど日本の音楽シーンだけの現象なんです。現在、海外のヒットチャートにはロックバンドはほとんどいなくなってしまいました。
たまにチャートに入ってくるのは、それこそレッド・ホット・チリ・ペッパーズのような30年以上のキャリアを持つベテランバンドだけ。レディオヘッドとかボン・イヴェールの新作は言うまでもないですが、コールドプレイやマルーン5だって、もはやバンドとは言えないほどエレクトロニックミュージックの手法を作品に取り入れています。で、それは時代の必然でもあるんですよ。
つまり、リスナーがデータで音楽を聴くようになってリスニングの環境が激変したのと同じかそれ以上に、作り手側の制作の環境が変わってきたということです。だから、今年リリースされた注目作において、まるで分身でもしているかのようにジェームス・ブレイクやハドソン・モホークがいくつもの作品に参加しているという状況が生まれてくる。トラックにラップをのっけるという意味では、ラッパーも同じですよね。ケンドリック・ラマーやチャンス・ザ・ラッパーのもとには世界中の大物アーティストからオファーがきていて、彼らはそこからトラックを選び放題なわけです。
そうやって、世界中でミュージシャンたちがデータをネット上で飛び交わして、ある意味、一筆書きのような鮮やかでシンプルな方法でも素晴らしい楽曲が生まれるような状況になっています。制作に手間と時間がかからなくなって、物理的な距離の制約もなくなるという現状のメリットを享受出来ているエレクトロニックミュージックやヒップホップの世界ではどんどん表現が更新されていって、そこで旧来のロックバンドだけ進化が取り残されているという状況になっています。
そんな時代に何をやるべきか考え抜いて活動しているバンドの一つが、くるりですよね。彼らは今、正式なドラマーがいないこともあって、非常に音楽的なフットワークも軽い。「くるりのこと」の中でも、彼らはもう新しいドラマーを探していないと明言しています。その上で、「バンドであることの必然」を音として鳴らすというのはどういうことなのかを突き詰めて考えている。キャリアの早い段階からメンバーの出入りが激しく、「バンドであること」が自明ではなかったからこそ、彼らの音楽は進化し続けているのかもしれませんね。
※後編に続く
(うの・これまさ)1970(昭和45)年、東京都生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。「ロッキング・オン・ジャパン」「CUT」「MUSICA」などの編集部を経て、現在は「リアルサウンド映画部」で主筆を務める。著書に『1998年の宇多田ヒカル』『くるりのこと』(共に新潮社、2016年)。
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