【寄稿】ノースキル文系のための就活のヒント「志望動機で苦しんでいる君に」 - 大石哲之 - BLOGOS編集部
※この記事は2015年03月25日にBLOGOSで公開されたものです
志望動機とは、「人生の目標アピール」ではない
いよいよ就職活動シーズンが始まりました。就職活動の最初の一歩として広く信じられていることに、「自己分析」を行って、「志望動機」を考えだすに至るというものがあります。これは最も大事な作業だと言われています。 しかし、志望動機にこそ、就職活動の最大の茶番と矛盾が詰め込まれています。まったく馬鹿げた話です。
就職活動の常識では、自己分析を行った結果、志望動機に至るとされています。就活の世界における自己分析とは、「やりたいこと探しです」。つまり自分がなにをやりたいのかを明確にすること。そして、志望動機とは、それをやりたいという理由付けをすること。そんなふうに捉えられていると思います。そして、それが上手く考えつかずに、多くの学生が苦しんでいるのです。
典型的なパターンは以下のようなものです。
「自己分析の結果、自分は、人に物事を伝えることが好きだとわかったので、本が作りたいと考えました。ですから、出版社を希望します。」
自分探しの結果、みつかったやりたい事が、志望動機に直結して、それがやりたいから、御社を志望します、という論理になっているのです。
あなたの「人生設計プラン」=「志望動機」というお約束になっています。
本来の志望動機とは、そういう人生の目標のアピールやマッチングではありません。
あなたが生涯かけて何をしたいかなどは、どうでもいいのです。あなたが、本をつくって知識を広めたいとか、政治家になりたいとか、途上国の発展に貢献したいとか、起業したいとか、そんなことを聞きたいわけではありません。
なぜ、茶番のような志望動機になってしまうのでしょうか。それは、いままでの就活は、自分を会社に預けること、就職ではなく就社を前提にしていたからです。
自分が定年までの一生をとおして、ブレない軸を学生のうちにまがりなりにも考えなければならないという強迫観念を持ってしまったり、最初に選ぶ会社が大事で、それが一生続くという前提になっているのです。
そして、それは採用する企業のほうも同じです。志望動機を聞く際には、「なぜうちの会社を選んだのか」という聞き方をします。そして、どういう人生を送りたい人なのかということを見極めて、会社にフィットしているかどうかを知るのです。
こういう、人生のマッチングみたいなことを、たかだか就職の場で行うのは、本当におかしなことです。就職の面接は、あなたが個人として、生涯にわたってなにをしたいとか、そういうことをマッチングする場ではないはずなのです。
原発事故の後処理におわれる電力会社の志望動機が言えるか?
では、本来の志望動機とはなんでしょうか?
それは、「その企業のビジネスにどこに興味を覚えて、どういう仕事に取り組みたくて、どういうことが出来るのか」を端的に述べるということです。
例えば、多くの就活生は、原発事故を起こした電力会社に対して、志望動機を作ることができないと思います。現在の電力会社では、やりがいが見つけられないと考えてしまうからです。自分の夢との接点が見えない。
私はかつて、コンサルのプロジェクトで、後ろ向きの人員削減も、撤退戦も考えたことがあります。人員のカットや長期にわたる撤退プランを考えてプロマネするといったプロジェクトの勘所がわかります。電力会社における原発事故の後処理の仕事は、確かに後ろ向きです。ただ、仕事の性質をみてみると、いろいろな物を淡々と整理したり調整しなければならないので、プロジェクト・マネジメント力が必要とされることがわかります。
ですから、私は志望動機として、「御社の後始末の部分に興味があります。過去にも同じようなことをやったことが有りますので、うまく出来ると思いますし、そうして組織が健全になることのお手伝いをさせていただきたい」ということができます。 これがホントの志望動機なのです。
もし自分にできることがなにもなければ、志望動機すら作れない
これは、私が人生においてなにをやりたいかということとは、全然関係がありません。私の人生の目的は、自由に生きたり、世界をこの目で見て回ることですが、それと会社に貢献できることが一致している必要はまったくないのです。
電力会社で仕事をしたら、世界を自分の目で見て回るということはできないと思います。でもだからといって、東電の志望動機が言えないわけではありません。その2つは違うことだからです。
このような志望動機を言うためには、自己分析や、やりたいこと探しをする必要はありません。その代わりに次の2つのことをする必要があります。
ひとつめは、相手の会社が足りないと思っている分野を見極めること。つまり、どういう人材を欲しているのかを見ぬくことです。 これは、一般的な学生が行う会社研究とは違います。学生の会社研究とは、その会社がどのくらいのステータスがあるかということを見極めて序列をつける行為に過ぎません。
企業の研究で一番大事なのは、企業が具体的にどういう分野でどういう人材を欲しているのかを知ることです。例えば、現在アジアに進出していて、日本とアジアをブリッジできる人材がほしいとか。海外での店長候補になれる人材がほしいとか。そういうことです。
それができたら、あとは自分ができること、得意なこと、認めてもらえそうなことから、その企業が欲していることを探して結びつけます。これが志望動機であり、そのまま自己PRになります。
こういうと、「そんな自分にできることなんて何もない」という反論が返ってきます。 なにもできることがない。英語もできない、スキルもない、なにもできない。そういうひとがいます。なにもできないから、自分ができることを結び付ける形で志望動機なんて言えない。 まさに、そうなのです。
もし自分にできることがなにもなければ、志望動機すら作れません。 これが本稿を通して、最も言いたいことです。 自分に(相手に評価される)経験やスキルや売りがなければ、志望動機は作れないのです。
ですから、経験も英語も喋れないノースキル学生は、結局は、自分の人生を40年間企業に丸投げをするためにアピールをしまくって、その忠誠心を売り込むということしかできなかったわけです。
社畜として働くこと、従順であること、疑問を抱かないこと、過労死もいとわないことが最大のスキルなので、そういう安い労働力がどうしても必要なブラックな会社のニーズと見事にマッチします。
「サークルのリーダーとして頑張りました」「努力家です」「私の夢は多くの人を笑顔にすること」で入社出来るのは、ブラック企業にほかなりません。
経験やスキルがある、スーパー学生はほんの一握りです。ですから、そういうことができるスーパー学生がすべての内定をかっさらい、ほとんどの人が就職で苦労するのです。 これは就活の仕組みが悪いのではなく、ごくごく当たり前の話です。日本では、採用に値する学生の数が少なく偏っているだけなのです。
ゼロからスタートする勇気を持とう
ですから、ほんのすこしでもいいので、みなさん、経験をつもう。
現時点で、なんらの取り柄のない人は、過去の20何年間の不作為を呪うしかないのですが、かといってごまかしはききません。ゼロからのスタートかもしれませんが、なんらかの仕事をして、経験を積んでアピールできる点を増やしていくしかないのです。
もう一つの方法は、戦う場所を変えることです。「時間通りに出勤できる」「日本語が喋れる」「とりあえず安い賃金でもOK」といったスキルでも、たとえば、私が住んでいるベトナムにおいては、そういう社会の基本が守れて、日本語ができる人材は、逸材です。時間を守ることができない人が多い国で、きっちりと言われたことだけでも出来るだけで、あっという間に競争力になるのです。
また、給与面で妥協すれば、海外で仕事が見つかるかもしれません。そして、これこそが、自分のスキルを売れる場所をみつける(相手のニーズを見極める)という、本来の会社研究でもあるのです。そこで、経験を積んで、今度は、ちゃんとした志望動機が言える人材に成長することが大事です。
ノースキルの学生が、本稿の志望動機を含め、資格取得、履歴書づくり、企業研究、自己分析などを、どのようにすべきかという事は、拙書「英語もできないノースキルの文系はこれからどうすべきか 」にまとめました。もしよろしれば一読いただければ幸いです。
謙虚さをもって、ゼロからスタートする勇気をもてば、あなたの可能性は、無限に、広がっています。
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