【ファンキー通信】電車の中に見るオバタリアンサラリーマンの姿

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 朝の通勤電車、それはある意味戦場である。快適な通勤時間を過ごすため、また職場に到着後、すぐに気持ちよく仕事を始めるためにも通勤電車の中では「座れるかどうか」が重要だ。そのおかげで空いている席をめぐって戦いが起きるのである。

 そんな中、この「座れるかどうか」を描いた映画が上映されるというのである。その名も『だからワタシを座らせて。通勤電車で座る技術!』。ぜひ見て参考にしたいものである。しかし、座る技術を学ぶ以前に解決しなければいけない問題が通勤電車にはある。

 それは是が非でも座るため、必死で席を取ろうとするオヤジである。彼らには譲り合いの精神はなく、ただただ、自らが席を奪うことのみを考えている、オバタリアン的精神を兼ね備えたオヤジである。人の迷惑をかえりみず公共の場で自分本位に行動してしまう、こんなサラリーマンの典型例を聞いてみた。

 「大きく股を広げて席を2人分とっているのは、だいたい中年のオジサン。たとえ電車が混んできても気にしないなんて、迷惑過ぎます」(26歳 女性 会社員)

 「若者のケータイのマナーが悪いってよく言われてるけど、オッサンだってそう。仕事の話で大切なのはわかるけど、大声で堂々と話すのはやめてほしい」(17歳 男性 高校生)

 群れるとタチが悪くなるのもオバタリアンと同じ。電車内という公共の場にもかかわらず大笑い、井戸端会議を始める。その多くは会社の愚痴だ。金曜の夜、電車の中で、ホロ酔いサラリーマンの姿をよく目にするであろう。

 こういったオバタリアンサラリーマンが減ってくれれば、会社への行き帰りも快適になるというもの。座りたいあまり、私達がこんなオヤジにならないように心がけたいものである。(加藤克和/verb)

■関連サイト
映画監督になろう - 映画「だからワタシを座らせて。通勤電車で座る技術!」の監督のブログ