神戸の監督解任に見る企業体質の変化/六川亨の日本サッカーの歩み

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冨安健洋の招集が難しいことは、森保一監督も想定していた。さらに大迫勇也のケガも折り込み済みで、清水戦後に判断することを示唆していた。想定外だったのは、磐田戦で右足第5中足骨の骨挫傷で代表を辞退した酒井宏樹だろう。さらに24日の決戦を控えて、前田大然がコンディション不良で不参加となった。

前田は19日のリーグ戦、ロス・カウンティ戦でゴールを決めているだけに、どんな状態なのか情報が少ないので判断の難しいところ。ただ、代表戦の招集には強制力があるので、何かしらの原因でコンディション不良(例えば検査で陽性反応が出たとか)になったと推測するしかない。

これで代表のFWは浅野拓磨と上田綺世、そして追加招集された林大地の3人になった。南野拓実や久保建英をゼロトップで使う案もあるとはいえ、急ごしらえの布陣で臨むギャンブルを森保監督が選択するとは思えない。

これまで大迫勇也の1トップを始め、選手を固定して戦い、チームの熟成を高めてきた弊害が出たとの指摘も出てくるだろう。しかしクラブチームと違って活動期間が短く、さらにコロナ禍でテストマッチもできない現状では、致し方ない面もある。

このため現実的な戦い方としては、「勝ち点1」を持ち帰る方向にシフトせざるを得ない。ただし引いて守っているだけでは、オーストラリアの猛攻を呼び込むだけだ。特にパワープレーだけは避けなければならない。どれだけマイボールの時間を増やして時計の針を進めつつ、オーストラリアにもボールを回させて“地上戦"に持ち込めるかどうか。ここら辺りが試合のカギを握ってきそうだ。

さてJリーグに目を向ければ、神戸の三浦淳寛監督が20日に解任された。ACLのプレーオフこそ勝利したものの、リーグ戦は7戦して4分け3敗といまだに未勝利だ。この決断が「早いか遅いか」は、今後の結果を見なければわからない。

神戸がJFL(日本フットボールリーグ)に昇格した95年から今シーズンまで、28年間で迎えた監督は27人に及ぶ(重複を含む)。そのうちシーズン途中の監督交代は今回で14度目になり、11度が楽天グループの創業者である三木谷浩史氏が経営権を取得した04年以降に起きている。このことで思い起こされるのが企業体質の違いだ。

かつてJSL(日本サッカーリーグ)の頃は、“丸の内御三家"と言われた三菱重工、古河電工、日立製作所がイニシアチブを握った時代があった。重厚長大なこの3社は、技術職のスペシャリストを育てるのにも、営業職のサラリーマンを育てるのにも「時間がかかることを知っていた」と聞いた。このためサッカー部はアマチュアだったこともあるが、選手と監督を育てるのには「時間がかかるもの」と理解していた。

ところが吸収と合併で急成長した京セラがオーナーの京都サンガや、仮想店舗から他業種にも参入した楽天がオーナーのヴィッセル神戸といった新規産業は、「投資に見合う収益を短期間で求められる」と両チームで監督を務めた経験のあるOB各氏が語っていた。このため1年1年が勝負の年になる可能性も高いという。

また神戸で監督を務めたことのあるOBは、シーズン中に補強の必要に迫られ、自身のネットワークから選手と交渉して移籍の了解を得た。しかし決済のための稟議書が各部署を回って社長の所に行くまで2週間かかったため、すでにその選手は他チームへの移籍が決まっていたということだった。

さらに近年はIT業界やゲーム業界がJリーグに進出しつつある。鹿島はメルカリに売却し、20年以降は3人の監督が交代しているが、これは企業体質というより常勝を義務づけられたチームの宿命と言ったほうがいいかもしれない。今シーズン、オーナーがMIXIに変わったFC東京は3連勝と好調だが、今後はどうなるのか。30周年を迎えるJリーグだけに、様々な歴史があると言っていいだろう。

【文・六川亨】

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