「監督として微妙だった」ユナイテッドのレジェンド9名
先日オレ・グンナー・スールシャール監督を解任することを発表したマンチェスター・ユナイテッド。
由緒あるクラブだけにレジェンドは数多く、選手を引退した後は監督として活動した者も数多い。
今回は『The SUN』の記事から「監督として成功していないマンチェスター・ユナイテッドのOB」を9名紹介する。
ギャリー・ネヴィル
率いたチーム:バレンシア
引退後はサルフォード・シティのオーナーを務めながら辛口解説者として活躍していたギャリー・ネヴィルは、2015年に旧知の仲であるピーター・リム会長の計らいによってバレンシアの監督に招聘された。
しかしその統治は28試合しか続かなかった。ライバルのバルセロナを相手に0-7と大敗するなど全く結果が出なかった。後にネヴィル自身も「あの仕事にYESというべきではなかった」と明かしている。
フィリップ・ネヴィル
率いたチーム:イングランド女子代表、インテル・マイアミ
ギャリー・ネヴィルの弟であるフィル・ネヴィルは、兄よりは成功を収めている。イングランド女子代表では一定の成果を残し、シービリーブズカップでは優勝も果たした。しかしワールドカップでは4位とやや落胆の成績。
代表を離れたあとはデイヴィッド・ベッカムが経営するインテル・マイアミへと移ったが、ゴンサロ・イグアインやブレーズ・マテュイディらを擁しながらイースタン・カンファレンスで14チーム中11位に終わった。
ライアン・ギグス
率いたチーム:マンチェスター・ユナイテッド、ウェールズ代表
2014年にデイヴィッド・モイーズが解任された後、コーチを務めていたギグスが暫定的にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任。4試合で2勝をあげるなど、厳しい状態のクラブに僅かな光を差した。
それからルイス・ファン・ハールのアシスタントを経験した後、2018年に母国のウェールズに代表監督として凱旋。ただ、EURO2020の予選を戦っているなかでDV事件のために逮捕され、それ以降は長期の休暇を余儀なくされている。成績はともかく、このトラブルは…。
ロイ・キーン
率いたチーム:サンダーランド、イプスウィッチ・タウン
マンチェスター・ユナイテッドではまさに「ピッチ上のリーダー」「鬼軍曹」であったロイ・キーン。その勝者のメンタリティは指導者としても発揮されるかと思いきや…。
最初に率いたサンダーランドではプレミアリーグ昇格を成し遂げたものの、選手との溝が深まったことで2008年に辞任。続いて率いたイプスウィッチ・タウンでは2部で21位まで転落し、解任されている。
それ以降はアイルランド代表、アストン・ヴィラ、ノッティンガム・フォレストでアシスタントコーチを務めたが、どれも長続きしていない。
ヤープ・スタム
率いたチーム:レディング、ズウォレ、フェイエノールト、FCシンシナティ
マンチェスター・ユナイテッドやミランなどで世界最高のストッパーとして活躍したスタム。引退後はレディングで監督としてのキャリアをスタートさせ、まずは昇格プレーオフに導くなど成功した。
しかしながら、2年目は18試合で1勝と極度の不振に陥り解任。2018年にはズウォレの監督に就任したものの、わずか3ヶ月でフェイエノールトに移ることを発表するというウルトラCで世間を驚かせた。
フェイエノールトではシーズンが始まってからまもなくアヤックスに大敗して10月に辞任。昨年からはFCシンシナティで監督を務め久保裕也をボランチにコンバートするなどして話題を呼んだが、成績は伸びず今年9月で解任された。
ポール・スコールズ
率いたチーム:オールダム
もはや誰も覚えていないかもしれないが、辛口評論家として活躍するスコールズは2019年にオールダム・アスレティックの監督を務めたことがある。
低迷するオールダムは2019年2月にスコールズを監督に招聘したが、なんと31日で辞任に。のちにスコールズは「クラブから『あの選手はプレーさせるな』などと指示されたため」だと語っている。
なお後に自身がオーナーの一人でもあるサルフォード・シティで暫定監督に就任したこともあるが、短期的な就任のみであった。
スティーヴ・ブルース
率いたチーム:バーミンガム・シティ、ウィガン・アスレティック、ハル・シティ、ニューカッスルなど様々
かつてマンチェスター・ユナイテッドでキャプテンを務めていたスティーヴ・ブルース氏は、これまで10のクラブを指揮。ウィガン・アスレティックに至っては2度監督を務めている。
2014年にハル・シティでFAカップ準優勝を果たしたのはそのキャリアのハイライトであるが、監督としては常に評価が分かれる存在でもあった。果たして有能なのかどうなのか…。
ブライアン・ロブソン
率いたチーム:ミドルズブラ、ブラッドフォード・シティ、WBA、シェフィールド・ユナイテッド、タイ代表
マンチェスター・ユナイテッドの伝説的なキャプテンの1人であり、イングランド代表でも90試合に出場したレジェンドである。日本人には稲本潤一が所属していたころのWBAで監督を務めていたことで有名だ。
選手兼監督としてスタートしたミドルズブラではプレミアリーグ昇格を成し遂げたものの、その後はなかなか成績が出ず。タイ代表での仕事を終えた2011年からは現場に出ておらず、マンチェスター・ユナイテッドの公式アンバサダーを務めている。
ポール・インス
率いたチーム:マクルズフィールド・タウン、MKドンズ、ブラックバーン、ノッツ・カウンティ、ブラックプール
引退前にスウィンドン・タウンで選手兼監督として指揮を取り始め、それからマネージャーの道を歩み始めたポール・インス。MKドンズ時代にはクラブをリーグ2に昇格させ、FAトロフィーも獲得した。
しかし上のレベルに挑戦したブラックバーンでは17試合で僅か3勝とまったく結果が出ず、半年で解任。それからはMKドンズに復帰しても成功せず、息子のトム・インスがプレーしていたブラックプールでも40試合で解任となっている。