河尻 亨一(かわじりこういち)/1974年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、美大予備校講師を経てマドラ出版入社。2009年独立。イベント、企業コンテンツ企画制作も。東北芸術工科大学客員教授。訳書に『CREATIVE SUPERPOWERS』(撮影:今井康一)

伝説的アートディレクターの仕事と人生を追った540ページに及ぶ大部。広告業界にセンセーションを巻き起こし、アメリカに拠点を移して映画・演劇等の衣装デザイン、美術で世界的名声を築いた石岡瑛子。完全武装したクールなポートレートと裏腹の素顔、最後まで自作は手がけず自称「アルチザン」に徹した姿を、フランシス・コッポラ、マイルス・デイビス、レニ・リーフェンシュタールほか大物たちとの共作風景と共に描く。『TIMELESS 石岡瑛子とその時代』を手がけた編集者の河尻亨一氏に大規模な回顧展を開催中の東京都現代美術館で話を聞いた。

「すごい熱量」「衝撃」「圧倒的な美力」

──予想に反し20、30代の来場者がとても多くて驚きました。

実体験で石岡瑛子の名を知っているのは、僕ら40代半ばが下限でしょうね。彼女が亡くなったとき、僕は美術大学で約80人のクラスを持っていたんですけど、彼女を知っていたのはたった2人でした。つまり、現在30代前半でアート系の仕事をしている人間でその程度だから、今の20代はほぼ知らないと言っていい。ところがツイッター上には「すごい熱量」「衝撃」「圧倒的な美力」「もはやパワースポット」などのコメントがあふれていて、それが多くの若者を引きつけているんだと思います。

──ご自身も、彼女がパルコの広告で一躍“時の人”となった、ちょうどその頃のお生まれですね。

僕が瑛子さんを知ったのは高校生のとき。映画『ドラキュラ』の衣装で米アカデミー賞を受賞し、すごい日本人がいるんだなと思いました。その後、就職して雑誌『広告批評』に携わる中で“瑛子さん伝説”をさんざん聞かされた。初めて取材でお会いしたのは、彼女が2008年北京オリンピック開会式の衣装を準備していたとき。伝説の人が突如リアルな人として僕の前に立ち現れた。

──そのときの印象は?

一言で言うと、圧倒的なエネルギーです。パワー、生命力、熱量、情熱、それらの言葉で言い換えられる一連の何かがほとばしっていた。知的にして過激。

いっさい飾りがなく、今こんなことを考えてて、このプロジェクトに熱中しているの、と何時間でも同じテンションでしゃべり続ける。取材前には「どんな質問をあなたはしたいの?」と直接メールでガンガン聞いてくる。インタビューは2時間が5時間になる。

若い一介のインタビュアーに対し、高みから、話してあげる・教えてあげるというのではなく、同じ目線で一緒に考えようみたいなマインドなんです。僕のちょっとした一言に「今それが若い人にウケてるの?」って食いついてきて、それに対して私はこう思う、と真剣に惜しげもなくエナジーを注いでくる。

時代をサバイブするヒントが石岡瑛子にはある

──今、その石岡さんを世の中に再提示しようとしたわけは?

瑛子さんが一石を投じる存在だと確信したから。石岡瑛子という生き方と彼女の仕事は、時代に対する批評的な存在。今の状態で本当にいいのか、と考えさせてくれる存在です。SNSが爆発的に普及して、みんなが緩くつながり和気あいあい。何となく流れでやっていくのが平和でいいよね、みたいな時代です。

それは瑛子さん的な、人と人とが熱くぶつかる中から、とんでもない見たこともない作品を生み出すやり方とは完全に異なる。そこへキラキラ輝くめちゃくちゃ硬質の宝石を投げ込んでも、絶対届かないだろうなとは思ったけど、変化の時代をサバイブするヒントが石岡瑛子にあるのではないか、と確信するのです。

──彼女が仕掛けた一連の広告は、当時子どもの目にも鮮烈でした。

あれは戦後の広告の極致でした。たとえば「あゝ原点。」というシリーズ。最先端のファッションを売るパルコという企業と、インド奥地の集落で、脇に赤ん坊を転がして真っ赤に焼けた鉄を打つ女たちに、本来接点はない。彼女は1カ月待機して村の長老たちを説き伏せ撮影した。

それも当時新進気鋭の写真家・藤原新也を起用し、ファッションの原点とは何か、日本人に問いかけました。アートとしてでなく、企業の声に変換してギリギリを攻めた。そしてそのメッセージは世の中に響きました。

──伝説の経営者と石岡さん、天才2人の奇跡のタッグが共振し生み出されたもの、とばかり思っていました。しかし裏では、経営者とクリエーターの熾烈なバトルがあった、と推察されていますね。

昔も今も、いや今はもっとですが、表に出せない舞台裏がある。けど、瑛子さんが当時書いたものや話した内容を読むと、端々から葛藤は伝わってきますね。僕はそれがやっぱり必要だと思うんです。

ガチンコバトルで最終的には決裂にまで至るような熱い関係性を、日本の企業とクリエーターは忘れているんじゃないかと。経営者や新しい事業を創造しようという人が、パルコという当時のイノベーションを通して、本当に世の中に伝わるものを生み出すには、ここまで熱い結束や衝突が必要なんじゃないか、と。

日本のクリエーティビティーは年々凋落している

──単に広告宣伝の話ではない?

クリエーティブは単なる装飾ではなく、その企業の存在自体をつくっていくもの、ということです。


カンヌ映画祭の広告業界版「カンヌライオンズ」をご存じですか? 世界最大級の広告賞で、3万〜4万点のキャンペーンやプロジェクトがグランプリを競う大イベントです。

十数年取材していて、日本のクリエーティビティーが年々凋落しているのを実感します。そこでの成績不振は、企業がクリエーティブというものを有効活用できていないという証し。そのことで成長の機会を失っているのではないか。そんな視点を欠いたまま、生産性がどうとかと言ってるこの状況って何なんだろうと。

──クリエーティビティーが生産性に直結すると。

企業の戦略、ビジョンをエンパワーするのはデザインであり、クリエーティビティーです。パルコは石岡瑛子という人をものすごく上手に使ってやり遂げた。その関係性は当時でも希有でした。今、日本でその重要性を認識している会社ってあるのかな。ナイキやP&G、ユニリーバなどグローバル企業の列強はそれができていて、何十年かのスパンでサバイブしていくと思う。大海に投じる小石ではあるけれど、日本の経営者に気づいてほしい、そんな意図を込めました。