亡き親友と見た都市対抗… 中日・京田が遺族に伝えた想いと譲り受けたグラブを返す意味
23歳の若さで他界した元遊撃手の中井諒さんは最大のライバルだった
三塁側スタンドに、背番号6のユニホームを着た家族を見つけた。28日、都市対抗が開催されている東京ドーム。中日の京田陽太内野手はゆっくり歩み寄り、距離をとって話しかけた。特別な思いで過ごした2020年シーズンを終え、どうしても伝えたい思いがあった。
3か月遅れてプロ野球が開幕した6月19日。前日届いたばかりのまっさらなグラブを手に、遊撃の定位置に立った。これまで愛用していたものとは大きさも形状も違う。「でも、不思議と怖さはなかったんです」。ともに120試合を戦い抜いた商売道具には、自らの背番号「1」ではなく「6」と刺繍されていた。
今年4月、友を失った。青森山田高時代の2学年後輩だった中井諒さんが他界。骨のガンである骨肉腫が、23歳の未来を絶った。桐蔭横浜大からNTT西日本へと進んだ遊撃手は、もちろんプロの舞台を目指していた。「初めてショートで負けるかもって思った相手が、諒なんです」。最大のライバルだった後輩が叶えられなかった夢を、グラブを借りて一緒に背負う。それが、せめてもの務めだと思った。
11月に入ってシーズンを終え、26日には秋季練習を打ち上げた。都市対抗の日程表を見て、居ても立っても居られない。「ちょうど行けるタイミングだなって」。世の中の状況は気になったが、できる限りの感染防止策をして東京へ。NTT西日本ナインを応援するためドームを訪れていた中井さんの両親に、頭を下げた。
「1年間、諒に助けてもらいました」
自らも2児の父…わが子を失った中井さんの両親の思いに寄り添う
今度は、京田が亡き友にエールを送る番だった。その場で借り受けた中井さんのユニホームを着て、スタンドからHonda鈴鹿との2回戦を見守った。試合は7-2で勝利。ベンチにも背番号6のユニホームは飾られていた。「すごくチームの雰囲気がいいですね。このまま勝ち上がりそうな気がします。これも、諒の力ですかね」。観客席へ一礼するナインに、立ち上がって拍手を送った。
少し離れた場所で、笑顔を見せる中井さんの両親。わが子はグラウンドにいなくても、チームの勝利を心から喜んでいた。その姿に、京田は堪えるのに必死だった。自身も2児の父。親としての思いに、少しでも寄り添う。
「どんなに時間がたっても、つらい思いは消えないと思うんです。でも、こうして諒のユニホームを着てチームを応援することが、また諒を思うことにつながるんですよね」
今季ともに戦ったグラブは、中井さんのもとへと戻すことにした。「僕は諒の力を借りただけなんで、グラブが元気なうちに返そうかなって」。その代わり、来季用に新調するグラブに、思いを乗せる。長女、長男の名前とともに「諒」の文字を刺繍する。中井さんと同じ久保田スラッガー製で、年内には手元に届く。またすぐ、新たなシーズンがやってくる。
「これからも一緒に戦いますよ」
ドームを出た京田に、秋の日差しが降り注ぐ。2人の遊撃手を繋ぐグラブはきっと、頼もしいに違いない。(小西亮 / Ryo Konishi)