三菱の将来は明るい? それとも前途多難!? 輝いていた頃の三菱車5選

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イキオイがあった頃の三菱車を振り返る

 2020年11月16日に、日産が保有する三菱の所有株の売却を検討するという報道が出ました。しかし、日産は即座にこの報道を否定。ルノー×日産×三菱アライアンスはこれからも継続すると表明しています。

飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃の三菱車たち

 報道の真偽は明らかになっていませんが、現在、新型コロナウイルス感染拡大による世界経済の悪化から、三菱の業績回復が遅れていること、日産の2020年度上期決算では6000億円以上の赤字を見込んでいるということなどから、こうした報道がなされたとの見方もあります。

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 実際に三菱は2016年10月に、業績悪化を立て直すべくルノー×日産アライアンスに加わっており、これまでさまざまな改革をおこなってきました。

 現在、三菱のラインナップは整理され、SUVと軽自動車を中心に販売していますが、これまで数多くの名車といわれるモデルも登場しています。

 そこで、輝いていた頃の三菱のクルマを5車種ピックアップして紹介します。

●ギャラン VR-4

高性能な2リッター4WDセダンというジャンルを確立した「ギャラン VR-4」

 1969年に三菱は初代「コルトギャラン」を発売。国内のラリーで勝利を重ね、海外のラリーでも活躍するなど、三菱のモータースポーツ活動の礎となります。

 その後、ラリー参戦車両は「ランサー」に移行して同じく好成績を残しましたが、ライバルが4WD化していくなかFRのランサーでは勝てなくなり、グループB車両の「スタリオン4WD」を開発。しかしグループB自体が消滅したためスタリオン4WDはお蔵入りしてしまいました。

 そこで三菱は1987年に、グループAで争われる世界ラリー選手権に参戦することを目的に開発された、フルタイム4WD車の「ギャラン VR-4」を発売します。

 外観は5ナンバーサイズのスクエアボディに派手すぎない控えめなエアロパーツが装着され、スポーツモデルにふさわしい迫力あるフロントフェイスを採用。

 搭載されたエンジンは最高出力205馬力を発揮する直列4気筒DOHCターボで、新世代の高性能車とあってパワフルかつジェントルな走りも可能でした。

 ギャラン VR-4は高性能な4WDターボセダンというジャンルをけん引する存在で、当初の目的だった世界ラリー選手権での勝利も獲得でき、後に続く「ランサーエボリューション」シリーズの源流となったモデルです。

●パジェロ

RVブームの頃に大ヒットを記録した2代目「パジェロ」

 1982年にデビューした初代「パジェロ」は、軍用車から民生化した「ジープ」に対して乗用車に近い使い勝手の良さを追求したクロスカントリー4WD車です。

 発売当初は小型貨物登録車しかラインナップされなかったことから、ユーザー層は限られた状況でしたが、乗用登録車の追加をはじめ、3列シート車が登場するなど改良を重ねていくうちに、世の中ではスキー/スノーボードなどのブームが起こって徐々にパジェロの人気が高まります。

 そして1991年に、高い悪路走破性をキープしたまま、走行性能や快適性、安全性を大きく向上させた2代目パジェロを発売。

 ボディバリエーションも、2ドアで後席がオープントップとなるアクティブな「Jトップ」、3ドアショートタイプの「メタルトップ」、5ドアロングボディでラグジュアリー性を兼ね備えた「ミッドルーフ」、後席がハイルーフとなる「キックアップルーフ」などが設定され、5ナンバーサイズのレギュラーボディとワイドフェンダーが装着されたワイドボディと、多彩なラインナップを展開。

 エンジンのバリエーションもガソリンとディーゼルが複数種類設定されるなど、あらゆるニーズに応えています。

 2代目パジェロは1990年代の初頭に起こった「RVブーム」をけん引する存在となり、大ヒットを記録しました。

●ディアマンテ

2.5リッターミドルクラスセダン流行の先駆けとなった「ディアマンテ」

 日本が好景気に湧いていた1990年に、ギャランの上級セダンとして同社初の3ナンバー専用ボディを採用した「ディアマンテ」が誕生。

 当時、ミドルクラスセダンは従来から続いていた5ナンバーサイズが販売の主力だったことに対し、ディアマンテは税制改正により所有しやすくなった3ナンバーサイズとし、価格も比較的安価に設定していたことから大ヒットします。

 外観は逆スラントノーズのフロントフェイスは精悍な印象で、シックで落ち着いた感じと直線的で重厚感のあるフォルムも高く評価されます。

 エンジンは全グレードともV型6気筒を搭載し、排気量は2リッター、2.5リッター、3リッターの3タイプを展開。トランスミッションは5速MTと4速ATが選べました。

 また、クラス初のフルタイム4WDシステムやトラクションコントロールシステム、4WS(4輪操舵システム)、アクティブコントロールサスペンションなどを設定し、高級車然としたドライブフィールを実現。

 そして、1990-1991日本カー・オブ・ザ・イヤーを獲得しただけでなく、1990年のグッドデザイン賞を受賞するなど、名実ともに優れたセダンと評されました。

ラインナップから消滅してしまった高性能モデルたち

●GTO

スピードだけでなく迫力のあるフォルムが印象的なスポーツカーの「GTO」

 昭和の終わりに、三菱のスポーツモデルといえば「スタリオン」がありましたが、ライバルに対して基本設計の古さは否めませんでした。

 そこで三菱はスタリオンの後継車として、1990年に4WDスポーツカーの「GTO」を発売。

 北米市場を意識したGTカーとして開発されたGTOは、全長4555mm×全幅1840mm×全高1285mmのワイド&ローな3ドアファストバッククーペで、迫力あるフォルムはまさに新世代のスポーツカーにふさわしいものでした。

 搭載されたエンジンは3リッターV型6気筒DOHCで、自然吸気が最高出力225馬力を発揮し、ツインターボは280馬力を誇り、全グレードとも駆動方式は4WDを採用。

 GTOツインターボには室内のスイッチで排気音を変えることが可能な「アクティブエグゾーストシステム」や、高速走行時に可動する可変リアスポイラーとフロントスカートからなる「アクティブエアロシステム」を装備しています。

 サスペンション形式はフロントがマクファーソンストラット、リアがダブルウィッシュボーンで、電子制御アクティブサスペンション(ECS)と、中高速域で後輪と前輪を同方向に操舵する4WS が組み合わされ、旋回性能を高めていました。

 同時期に発売された日産「Z32型 フェアレディZ」や「R32型 スカイラインGT-R」がライバルでしたが、GTOは1.7トンに迫る重量級だったことからスポーツカーとしてのポテンシャルは両車にアドバンテージがあったといわれています。

 しかし、アグレッシブなデザインの外観や、オールラウンドな走りができるGTカーとして、大いに魅力的な存在でした。

●ランサーエボリューション

当時としては驚異的な性能を誇った初代「ランサーエボリューション」

 1973年に三菱は、ベーシックなセダン/クーペの初代ランサーを発売。ラリーに出場するために1.6リッターのツインキャブエンジンを搭載した高性能な「ランサー1600GSR」を追加ラインナップするなど、スポーティなイメージが定着。

 それに続いて1.8リッターターボエンジンを搭載した2代目「ランサーEX 1800GSRターボ」も、国内外のラリーで高い評価を受けていました。

 そして、前出のギャラン VR-4よりもさらにラリーでの戦闘力を高めるため、1992年に4代目「ランサー1800GSR」にギャラン VR-4に搭載していたターボエンジンと4WDシステムを移植した、初代「ランサーエボリューション」を発売しました。

 2リッターのターボエンジンは最高出力250馬力までチューンナップされ、ギャラン VR-4よりも軽量なボディと相まって、当時の市販車としては驚異的な加速性能を誇りました。

 しかし、4代目ランサーの標準車両から大幅に強化されたシャシとはいえ、FFベースに4WDシステムを移植した急ごしらえ感は否めず、アンダーステアが強く「直線は速いけど曲がらない」と価されました。

 そうした厳しい評価を覆すため、ランサーエボリューションは短期間のうちに進化していくことになり、ライバルのスバル「インプレッサWRX」とともに超高性能セダンの二大巨頭になりました。

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 バブル景気が崩壊した後の1993年頃、ホンダは三菱に買収されるのではという噂がありました。

 実際にホンダの業績が悪化していたことは確かで、当時、ホンダのメインバンクが三菱銀行(現、三菱UFJ銀行)だったことから噂がひとり歩きしたようです。

 その後、ホンダは「オデッセイ」「ステップワゴン」「CR-V」と大ヒット車を連発したことで業績が一気に回復し、買収の噂話は消滅します。

 経済不安があるとこうした噂がたびたび出てきますが、これまで再編を繰り返してきた自動車メーカーの状況を見ると、現在のコロナ禍では何が起こっても不思議ではないのかもしれません。