日産自動車の小型SUV「キックス」は、6月の発売から3週間で9,000台の受注を得る人気ぶりだ。販売店によっては、納車が年明けになるかもしれない。小型SUV市場の競合は熾烈だが、唯一無二の個性を持つキックスはライバル車のユーザーにもアピールしそうだ。

ライバルは戦々恐々? 日産が日本で発売した新型「キックス」


○あえていえば、充電不要のEV

日本の小型SUV市場で、日産は2010年から「ジューク」を販売してきた。キックスはジュークに替わる車種という位置づけだ。欧州でジュークは、すでに2代目へとフルモデルチェンジして販売が始まっている。2代目ジュークが搭載するのはガソリンエンジンのみだが、キックスは日産特有のハイブリッドシステムである「e-POWER」を採用する。このパワートレインが、発売直後からの高い人気を支える一因となっている。

欧州で2019年9月に発表となった新型(2代目)「ジューク」。このクルマを日本でも売るという選択肢はあったはずだが、日産は新型「キックス」の投入を選んだ


e-POWERを最初に採用したのは、コンパクトカーの「ノート」だった。続いてミニバンの「セレナ」が搭載し、キックスで3車種目となる。日本で買えるキックスのパワートレインはe-POWERのみで、ほかにガソリンエンジン搭載モデルなどが用意されているわけではない。キックスで選べるグレードは2種類で、違いは内装だけだ。

e-POWERを搭載する2車種目のクルマとなった「セレナ e-POWER」


e-POWERは日産の電気自動車(EV)である「リーフ」の電気駆動系を活用し、モーターのみで走行できるハイブリッドシステムである。ハイブリッド車(HV)なのでガソリンエンジンも搭載するが、それは発電のみに利用する。ちなみに、トヨタ自動車のハイブリッドシステムはモーターとエンジンを搭載し、その両方の動力を走行に使っている。

モーターのみで走行するe-POWERでは、あたかもEVのような走行を味わえる。EVとは異なり、e-POWERを搭載するキックスは、モーター駆動用のリチウムイオンバッテリーに外部から充電しなくてもいい。走行に使う電力はガソリンエンジンで発電する。走行中に発電が始まると、エンジン音が耳に届く。

「キックス」が搭載するガソリンエンジンは発電専用。モーターのみによる走行はあたかもEVに乗っているような感覚だ


ノートやセレナでは頻繁に発電用エンジンが始動し、室内の静粛性はそれほど高くなかった。その点、キックスは、ことに市街地などを走る低めの速度領域ではできるだけエンジンを始動せず、バッテリーの電力で走り続けるような制御となっている。これにより、走行中の静粛性はかなり改善された。あえていえば、「充電不要のEV」といえるほど快適性が向上している。

郊外などで高い速度になったり、高速道路を走ったりするときには、キックスもエンジンで発電を行う。ただ、その際のエンジン騒音も、車体の遮音や吸音性能が向上しているので、エネルギーモニターを見ていなければあまり気が付かないかもしれない。

EVに乗ってみたいと考えている消費者の中には、マンションなどの集合住宅に住んでいるため、管理組合問題により充電設備が設置できず、購入に踏み切れない人がいる。キックスはHVではあるが、ノートやセレナ以上にEV感覚を体感することができるので、そうした人たちにも検討してみてもらいたいクルマだ。

マンション住まいでEV購入に踏み切れない人にとって、「キックス」は魅力的な選択肢となるかも?


○楽なだけではない「ワンペダル走行」

e-POWERの特徴として、アクセルペダルだけで加減速から停止までの操作が可能な「e-POWERドライブ」に注目したい。

e-POWERのモーターは、アクセルペダルを踏めば動力を発生し、アクセルペダルを戻せば発電機となって充電を行う。充電を行う際には磁力の影響で抵抗(回生)が生まれ、これを減速や停止に利用するため、アクセルだけのワンペダル操作が可能になる。同様の機構は、EVのリーフも採用している。

シフトを「D」レンジに入れてそのまま走ることもできるが、モード設定を「ECO」または「S」(SmartのS)にするとe-POWERドライブが作動する。以後、通常の運転状況では、ほぼブレーキペダルを使うことなく発進、加速、減速、停止を行うことができる。アクセルペダルをゆっくり戻していけば、徐々に速度が下がる。距離を目測をしながらペダルの戻し方を調整すれば、停止線にピタリと止めることも難しくない。もしも止まり切らないようであれば、ブレーキペダルを踏めばいい。減速し過ぎて停止線のかなり手前で止まりそうになったら、アクセルペダルを少し踏んで前進させ、またペダルを戻していけば、うまく停止できる。しばらく運転してみれば慣れるはずだ。

停止した後は、一旦ブレーキペダルを踏むとオートブレーキホールド機能が働く。ペダルの踏み替えをほとんどしなくて済む運転となるので、近年問題となっているペダルの踏み間違い事故が発生する可能性を減らせる。日産によれば、この機構により、ペダルの踏み替えを70%ほどは減らすことができるという。熟練すれば、90%近く減らせるという人も出てくるだろう。

もちろん、緊急時にはブレーキペダルで急減速する必要がある。それでも、アクセルペダルから足を離したとたんに回生(磁力の抵抗による減速)が働くので、ブレーキペダルを踏む前から強い減速を得られ、事故の衝撃を緩和することにも役立つはずだ。

アクセルペダルを戻すと自動的に回生ブレーキが働くので、とっさの際にも素早い減速が可能だ


以上のように、キックスはe-POWERの魅力が詰まったクルマだが、日産は運転感覚や乗り心地もおろそかにはしていない。サスペンションの上下動を制御するダンパーには容量の大きな仕様を採用。これにより、しっかりとしていながら、振動の少ない快適さも兼ね備えた乗り心地となっている。運転操作は手応えに安心感があり、操作した通りに応えてくれる爽快な走りが味わえる。

日産は「フェアレディZ」のようなスポーツカーを作ってきた実績があるし、歴史的に運転の楽しさを追求してきた「スカイライン」のような車種も持っている。そうした日産の持ち味をいかした運転感覚は、キックスにも分け与えられている。簡単にいえば運転が楽しく、かつ快適な小型SUVだ。

「キックス」は日産の持ち味をいかした小型SUV


ところで、なぜ日産は2代目ジュークではなく、キックスを日本に導入したのか。

ほぼ同じ車体寸法のジュークとキックスだが、日産によれば、ジュークが外観の造形を優先した小型SUVであるのに対し、キックスは外観の見栄えはもちろんのこと、SUVとして、荷室の広さなどの実用性も兼ね備えたクルマであるとのこと。日本の消費者の期待に応えられるのは、見栄えと実用性を併せ持つキックスの方だと日産は判断した。

キックスは車幅が1.7mを超えるので3ナンバー車の扱いとなるが、実車を目の前にすると、それほど大柄という印象はない。また、室内のダッシュボードが比較的水平な造形であることにより、運転席に座ったときの車幅感覚もつかみやすい。

あらゆる面で満足感を得られるキックスは、競合となるトヨタ「C-HR」やホンダ「ヴェゼル」と比べても高い商品力を備えている。e-POWERのみという割り切ったグレード構成ではあるが、ワンペダル操作やモーターによる快適な走行感覚などは、小型SUVセグメントの中で唯一無二の特徴といえる。ライバル車からの乗り換えも、十分に考えられるだろう。



















御堀直嗣 みほりなおつぐ 1955年東京都出身。玉川大学工学部機械工学科を卒業後、「FL500」「FJ1600」などのレース参戦を経て、モータージャーナリストに。自動車の技術面から社会との関わりまで、幅広く執筆している。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。電気自動車の普及を考える市民団体「日本EVクラブ」副代表を務める。著書に「スバル デザイン」「マツダスカイアクティブエンジンの開発」など。 この著者の記事一覧はこちら