北ドイツの町リューベック。かつてはハンザ同盟の中心として栄えた町には当時の威厳を称える美しい街並みが残され、中心部の旧市街は世界遺産にも登録されています。

そんなリューベックはノーベル文学賞受賞者であるトマス・マン、ギュンター・グラスとゆかりの深い場所。そしてリューベックのノーベル賞受賞者として忘れてはならないのが、この町出身の政治家でノーベル平和賞受賞者でもあるヴィリー・ブラントの存在です。

ヴィリー・ブラントはドイツがまだ東西に分断されていた1969年、当時の西ドイツで社会民主党(SPD)として初めて首相になった政治家。積極的な東方外交を展開してドイツ統一の基礎を築き、これによりノーベル平和賞を受賞しました。

リューベックの中心部には「ヴィリー・ブラント・ハウス」という記念館があり、彼の生い立ちや政治家としての業績、当時の世界の動きが学べる場所となっています。

ヴィリー・ブラント・ハウスは入場無料。館内に足を踏み入れると、彼の彫刻が訪問者を迎え入れてくれます。

内部はテーマごとに部屋が分かれており、生い立ちがテーマの部屋では彼のリューベック時代を解説。ここから青年期や政治活動、反ナチス活動ほか、スウェーデンへの亡命へと続き、文章や写真を使っての説明が分かりやすく展示されています。

場所によっては写真の様なカードをかざすことで音声での説明が流れます。文章や写真だけでは伝わりきれない説明も聞けるので、各所で使用することをおすすめします。

ヴィリー・ブラントの最大の功績ともいえるのが、さきほども触れた東方外交。首相に就任してからは東ドイツに関して「相手を国家として認めない」という態度を改め、対等な立場で話し合いをする事で問題解決の糸口をつかもうとしました。このほかソ連やポーランドにも歩み寄って関係改善につとめ、これらの功績により1971年にノーベル平和賞を受賞しました。

また1972年には東西ドイツが武力行為を放棄して関係を正常化する事を定めた「東西ドイツ基本条約」が締結。実現不可能とさえ言われていた東西ドイツ統一への第一歩となったのです。

1974年には秘書の一人に東ドイツのスパイ容疑が持ち上がったことで辞任に追い込まれたヴィリー・ブラント。彼がいなかったら今のドイツはなかったかもしれないと思うと、その業績の偉大さが実感できるでしょう。それを称えるかのように彼の名前を冠した通りや広場が各地にあるほか、所属していたSPD本部ビルの名称も「ヴィリー・ブラント・ハウス」。

さらには2020年10月に開業予定のベルリン・ブランデンブルク国際空港も、副名称がヴィリー・ブラントとなる事が決まっています。

東方との歩み寄りや東西ドイツの基礎を築くなど、多大な功績を残したドイツの政治家ヴィリー・ブラント。リューベックのヴィリー・ブラント・ハウスは、彼の生涯や偉業を肌で感じることのできる貴重な場所です。

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