広軌なので車体幅が広く通路を挟み縦と横のベッドが並ぶ(筆者撮影)

コロナ感染者がまだほとんど見られなかった今年2月にインドを旅した。インドは現在は移動禁止になっているが、筆者の滞在中は平和そのもので、その後、新型コロナが世界的流行になるなど想像もできなかった。

インド鉄道の総延長はアメリカ、ロシア、カナダ、中国に次いで世界第5位であるが、アメリカとカナダの鉄道は貨物輸送が大半で、旅客列車はわずかである。ロシアも距離は長いが列車本数は多くない。中国は鉄道の距離が長く、列車本数も多いが、近年は高速列車ばかりになり、鉄道旅行らしい旅が楽しめる列車はめっきり減った。

その点、インドでは長距離列車のほとんどが機関車が長い編成の客車を引くという、昔ながらのスタイルで国中を日夜走っている。電化区間では電気機関車が、未電化区間ではディーゼル機関車がその先頭に立つ。日本でもかつてそうであったが、鉄道らしい光景がインドでは当たり前に行われている。インドの人にしてみれば当たり前の光景であろうが、日本の鉄道ファンにしてみれば、鉄道らしさを感じるであろうし、懐かしさもあるし、魅力的にも感じる。

念のため断っておくが、日本の鉄道は100%近くが、自らが動力を持つ電車やディーゼルカーであり、機関車が客車を引くスタイルは一部のSL列車やトロッコ列車などにしかない。たまに運行する機関車が客車を引く列車は「レトロ号」などと名付けられ、イベント的に走り、多くの鉄道ファンが集まる。

鉄道の旅で垣間見える階級格差

しかし、インドでの鉄道旅は「体力勝負」「気軽には乗れない」と思っている人も多いだろう。確かに2等車自由席などは、目的地まで2泊3日もかかる列車であっても、客がドアにぶら下がっているほど混雑していて、とても外国人観光客が利用できる状態ではない。

ただ、インドが階級社会だということを忘れてはならない。鉄道も優等列車のエアコン1等車に乗るのと、輸送力重視の列車の2等自由席に乗るのでは、天国と地獄ほどに内容が異なる。同じ優等列車でも1等車と2等車でサービスにかなりの差もある。このことを理解して、なるべく等級の高い列車を選べば、快適にインドの鉄道を楽しむことができる。運賃は最も優等な等級を選んでも日本の感覚からするとかなり安い。

まずは昼間の列車に乗ってみよう。ニューデリーからタージマハルがあることで有名なアグラを往復してみた。往路に使ったのは「シャタブディ・エクスプレス」。この列車名は地名などではなく、列車の格を表していて、エアコン付き座席指定車のみで編成される昼間の列車である。夜行にはならないので、比較的短い距離を運行する。片道運賃は1405ルピー(約2200円、筆者旅行時の為替レート、以下同)、距離は199km、この運賃には食事が含まれている。切符はニューデリー駅で購入、購入時にベジタリアンかノン・ベジタリアン(チキンあり)かを尋ねられ、それによってメニューが変わる。

座席は通路をはさんで2人がけが2つの横4列であるが、線路幅が広軌なのでゆったりしていて、隣の人との間にあるひじ掛けは1人ずつある。座席には新聞、ペットボトルに入った水、紙コップが用意されていた。驚いたのは食事の給仕方法で、飛行機のエコノミークラスのように1回ですべて配るのではなく、まずはお茶からはじまり、その後に食事トレイを配り、陶器の皿を配りという順番で行われたことである。

向かい側に座っていた上流階級と思しき男性客は、バナナのおかわりを給仕係に要求し、さらには持ってくるのが遅いと給仕係を叱る場面があり、それはまるで主人と召使いのようであったが、これはインドでは当たり前の光景なのであろう。列車の旅はインド社会を端的に体験させてくれる。

復路は乗り比べの意味でシャタブディ・エクスプレスは利用せず、1つ格下の「タージ・エクスプレス」を利用した。エアコン付きであるが、座席は2―3の5列、食事はないが運賃は550ルピー(約880円)と往路の半額以下である。インドの列車としてはかなり快適なほうであるとは思うが、往路に乗ったシャタブディ・エクスプレスとは明らかに違って人口密度が高く感じる。やはり運賃相応というのは否めなかった。

寝台列車に乗ってみた

インドは世界で最後の寝台列車王国でもある。

インドの鉄道でぜひ体験したいのが寝台列車の旅である。最も優等な列車となるのが「ラージダニー・エクスプレス」であり、この列車はデリーを発着する主要都市行きのエアコン付き寝台専用列車で、座席車の連結はない。

私はニューデリーからインド第2の都市ムンバイまで、「ムンバイ・ラージダニー・エクスプレス」に乗車した。営業距離は1358kmで、昼間の列車はない。交流電気機関車が客車20両を引く堂々とした編成で、内訳は個室寝台1両、2段寝台5両、3段寝台11両、厨房車1両、荷物&電源車2両である。電源車とは、客車のエアコン電源などの発電機のある車両である。

出発時間は16時25分、到着は翌朝7時29分、利用したのは2段寝台で、運賃4164ルピー(約6700円)、スナック、夕食、朝食付きで、ペットボトル水と紙コップも付いている。寝台は2段といっても、レール幅が広軌なので、枕木と平行に寝る4人、線路と平行に寝る2人で1つの区切りとなる。長丁場なので、スナックと食事の際はお茶が各自でおかわりできるように、お湯はポットごと1人1個配られる。

最上級にあたる個室寝台を覗かせてもらったら、食事はレストランそのもので、折り畳みテーブルをセットし、お釜と鍋を持った給仕係が1人ひとりにご飯やカレーをよそっていた。

各ベッドには封印された袋に入ったシーツ、枕カバー、タオルが入っている。給仕係は各車両にいて、デッキには彼らが寝る簡易ベッドが用意されている。

同じ区画にはドイツ人旅行者と東インドからの夫婦が乗っていて、東インドの人と日本人は顔つきが似ているということが話題になりいろいろな話に花が咲いた。

この列車に乗って感じるのは、1つの列車を走らせるのにずいぶんと手間をかけていることだ。お湯を沸かしてポットに入れるだけでも大変な手間がかかるであろうし、食後にはアイスクリームも配られた。シーツも奇麗にアイロンがかけられている。そういえば駅に到着するたびに寝台車から大きな袋が降ろされトラックに運びこまれていたが、その中には大量のシーツが入っていたのだろう。こんな列車が毎日インド中を縦横に走っているのである。国鉄とはいえ収益性に富む列車とは思えないが、国鉄時代の日本を思い起こすと、やはり寝台特急運行にはそれなりに手間をかけていたと懐かしくなる。

日本の寝台列車と何が違う?

寝台専用列車以外の夜行列車も多くあり、それらの列車にもエアコン付き寝台車が連結されている。これらの列車でも寝台の乗り心地は同じなので、インドの津々浦々まで、エアコン付き寝台車にさえ乗れば快適な旅が楽しめる。

日本ではブルートレインが姿を消し、夜行寝台列車は「サンライズ」のみとなった。サンライズの寝台は個室のみなので、前述のようなたまたま乗り合わせた客との触れ合いはない。また、昔を懐かしむためといったイベント目的の寝台列車が走ることもあるが、定期列車だった頃は、帰省客、東京の子供に会いに行くための老夫婦など、さまざまな客が乗り合わせていることが旅情に結び付いていたので、イベント目的の夜行列車で旅情が味わえるわけでもないだろう。

かつてはヨーロッパでも多くの夜行列車があったが、高速鉄道への移行で多くの長距離列車が姿を消した。現在は、夜行列車が多く活躍する地域は、東欧からロシア方面などに移行している。中国でも高速列車の台頭で、長距離夜行列車は激減している。

インドは世界で最後の寝台列車王国なのである。