なぜ立川志らくはそこまでしてテレビに出続けたいのか
■「気違いは志らくしかいない」
落語家・立川志らく(56)は天才である。ある一点だけを除けば。
師匠の立川談志は、「オレの狂気を継げるのはこいつしかいない」といっていた。
昔、談志が志らくにこういったという。
「俺は百年に一度の天才ではなく、突然変異、気違いだ。気違いでない落語家は上手くなるか面白くなるかしか方法はない。気違いは志らくしかいない」(立川志らく『雨ン中の、らくだ』太田出版より)
談志は昨年亡くなったフランスのシラク大統領が好きだった。シラクは相撲が好きで、日本文化にも精通していた。その名前をとって志らくと名付けた。いかに談志が、志らくに期待していたかがわかろうというものだ。
多才である。映画好きが高じて自ら脚本を書き、監督をして何本も撮っている。映画を題材にした「シネマ落語」という持ちネタもある。演劇は落語より好きなのではないかと思うほど熱心だ。自前の劇団を持ち、脚本、演出、主演もこなす。
本人は学生時代、『ゴッド・ファーザー』のアル・パチーノに憧れ、俳優になろうと思い立ち、ニューヨークのアクターズ・スタジオに入ろうと考えたこともあったという。
■音楽家の家庭で育ち、本を書かせれば速い
師匠談志は、呆れるほど記憶力のいい人だったが、志らくも負けていない。『男はつらいよ』シリーズを全て覚えていて、何話のマドンナは誰と、即座にいうことができる。 昭和歌謡といわれる懐メロも、すべての歌を諳(そら)んじていて、歌うことができる。歌はうまいというレベルではないが。
父親はクラシックのギター弾きで、母親は長唄の師匠という血筋を引いているのだろう、ハーモニカも習い始めてすぐにうまくなり、舞台でもハーモニカの名手・ミッキー亭カーチスと競演するまでになった。
師匠談志は何十冊も本を書いた。志らくも書く。内容はともかく、書くのはすこぶる速い。
談志が若い頃に書いた『現代落語論』(三一書房)は、落語を語るうえで欠かせない“古典”だが、志らくも『落語進化論』(新潮選書)という落語論を出している。もっともこちらはほとんど注目されなかったが。
師匠が太鼓判を押した“狂気”と、よく通る声、背はやや低いが、なかなかの男前でもある。
■60人ぐらいを集めて「志らくを聞く会」を催した
私が志らくと会ったのは、だいぶ昔になる。談志師匠の弟さんで『立川企画』の社長だった松岡由雄さんを介してだった。
松岡さんから、志らくに文化人の応援団をつくりたいので、手を貸してくれといわれたのだ。それならと、神楽坂の毘沙門天「善国寺」の裏手にある講堂を借りて、作家の嵐山光三郎さん、坂崎重盛さん、版画家の山本容子さん、毎日新聞の朝比奈豊社長など、60人ぐらいの親しい人に声を掛け、一夜、酒を呑みながら「志らくを聞く会」を催したのである。
最後に「死神」を熱演してくれた。終わって、神楽坂の居酒屋で飲みながら、「志らくはいいね」と嵐山さんや山本さんがいってくれた。
その頃のことを志らくはこう書いている。
「嵐山先生は私をとっても可愛がっていてくれて、そのきっかけは講談社の元名物編集長・元木昌彦さんが、昔の落語家の名人のように志らくの周りに文化人を置こうとしてくれたからでした。それは明治時代に夏目漱石が『三四郎』の中で、三代目柳家小さんについて、『小さんは天才である……彼と時を同じゅうして生きているわれわれは大変な仕合せである』と書いていることに影響されたとも聞いております」(『雨ン中の、らくだ』より)
その後、月に1回、国立演芸場で、嵐山さん、山本さん、さだまさしさん、私などが月替わりで演出する「志らくひとり会」を12回続けた。
演じるたびにうまくなっていく志らくの落語を聞くのが楽しみだった。
■「Web現代」をきっかけに酒井莉加と知り合う
だが、天才肌の志らくには、芸人が持っていなければいけない、人懐こさというものに欠けていた。立川流の落語家は落語協会を飛び出したため、寄席や、談志が始めた日テレの「笑点」には出られない。志らくも客を集めるための知名度に欠けていたから、500人近いハコになると集客に苦労した。
志らくとは別の因縁もある。彼の現在の奥さん、酒井莉加(38)は、1999年に私が講談社で立ち上げたインターネットマガジン「Web現代」が取り持った縁であった。
私は、ここでいろんな試みをした。その中に、アイドルグループをつくって売り出そうとしたことがあった。「リンクリンクリンク」という10代の女の子3人グループがそれである。CDをつくり、パパイヤ鈴木さんに振り付けをお願いして、都内のあちこちで販促のためのショーをやった。その中の一人が酒井だった。芸能界に入りアイドルとしてデビューしたが、挫折した子だった。
「Web現代」では、談志師匠の動画、志らくの短編映画などもやっていたので、志らくも出入りしていた。師匠の担当編集者が志らくと酒井を引き合わせたと聞いている。志らくは、学生時代に結婚し、その後離婚しているが、子どもは奥さんのほうが引き取って育てているようだ。
私が知らない間に、志らくと酒井は一緒になっていた。
18歳も年下の元アイドルに、落語家の女房が務まるのかと、松岡さんと心配したが、志らくの芝居にも出るようになり、うまくやっているように見えた。
舞台を見に行くと、終わってから挨拶に来てくれた。彼女は落語家たちの中に溶け込んでいるように見えたので、安心していた。2人の間には子どもが生まれ、談志が亡くなった後、練馬にある師匠の家に移り住んで、暮らすようになった。
このまま落語家にとって大事な50代を、落語一筋に精進すれば、談志、志ん朝とはいわないが、現代を代表する落語家の一人にはなれるかもしれない。そんなことを松岡さんと話していた。
だが、志らくは、私たちが考えていたのとは、真逆の方向へ突っ走っていってしまうのである。
■妻の酒井と弟子による「車中わいせつ行為」
「立川企画」を離れ、独立した後、芸能事務所ワタナベエンターテインメント(通称ナベプロ)に所属するのだ。当然だがナベプロは志らくを一タレントとして考える。バラエティに出たり、ワイドショーのコメンテーターとして起用されるようになった。中途半端な毒舌が茶の間に受け、50代にして人気が出たのである。
それを見たテレビ局が、何を考え違いしたのか、朝のワイドショーのMCに迎え、志らくも喜んで、それに飛びついたように見えた。
雉も鳴かずば撃たれまい。週刊誌は落語家としての志らくには見向きもしないが、茶の間の人気タレントとなれば、少しは商品価値があるとみなす。週刊文春(3/12号)が、「立川志らく(56)アイドル妻(38)と弟子の自宅前『わいせつ』行為」を報じるのである。
深夜、酒井莉加と志らくの弟子が狭い車の中で、「女は男の股間に顔を埋めた。頭が上下すること数分」と、目撃譚を書かれてしまうのだ。文春によれば、2人は夫婦同然だそうで、子どもを連れてランチに行くなど、志らくなど存在しないかのような行動をとっているそうだ。
その弟子以外にも、彼女が好きになって追いかけた別の弟子は、志らくに知られ、破門されて一門を離れたが、精神的におかしくなってしまったという。
■「離婚は1億%ない」といい切った
酒井は文春の直撃に対して、
「問題があったとしたら、酔っ払った私の責任です。お弟子さんは私にとっても息子(のような存在)。私は酔っ払って、チューとかハグしちゃう。交遊関係もなくてそういうことしちゃう私の頭がおかしいんです」
と、少しろれつの回らない口調で語っている。志らくのほうはというと、
「妻のことは信じてるし、まあ、この程度のことだったらば、夫婦の絆は壊れない。酒飲んでいきすぎちゃったってだけのこと。離婚とかにはならないんで」
これだけの“行為”を、志らくは「この程度」といったのである。
文春が発売された翌日の「グッとラック!」でも志らくは、「離婚は1億%ない。妻を命がけで守る」といい切った。
志らくの度を超えた寛容な対応は、2人を多少知っている私には違和感があった。
文春は次の号でも、酒井の男狂いの話を追いかけている。志らくが怒って破門した弟子に宛てた自筆の恋文にはこう書いてある。
「宇宙一好きなのでケイタイを送ります。(中略)好きをあきらめない事に決めました。苦しい、毎日。“酒井莉加”をやめたい」
これでは、落語の「紙入れ」で、女房を出入りの若い奴に寝取られても気づかない、バカな旦那と同じではないか。
■テレビに現を抜かしているのが心配だ
なぜ、妻にここまで浮気されて、彼は離婚どころか怒らないのだろう。まさか、女房の浮気は、自分の芸の肥やしだと思っているわけではないだろう。
もしかすると、師匠の談志がいみじくも定義した、「落語は人間の業の肯定」というのを、わが身で実践しているのかもしれない。
女房の浮気をじっと耐えているのは男にとって不条理である。だが落語には、不条理な噺(はなし)がいくらでもある。不条理を体験することで、落語がもう一段ステップアップする。そんなバカなとは思うが、落語は理詰めではない。
それとも、冒頭に書いた談志の言葉ではないが、結婚以来、若い妻の奔放すぎる生き方に、苛立ち、怒り、離婚を考えているうちに、本当に気が違ってしまったのか。どちらにしても、志らく夫婦の問題だから、他人がとやかくいうことではない。
だが、落語家として一番大事な時期に、電気紙芝居に現を抜かしている志らくのことが心配だ。
彼が芝居に夢中になっているとき、談志は、「志らくは落語を嘗めている」といったそうだ。志らくは『雨ン中の、らくだ』で、この談志の言葉を聞いて、芝居は道楽、ちゃんと落語と向き合おうと書いている。
談志は、参議院議員になったりした。「しかし談志は魂を政治に売ることはしなかったが、自分は魂を芝居に売りかけていたのです」と自著に書いているではないか。今は電波芸者になって、魂を、視聴率や銭、人気に売り渡しているのではないか。
■今回の騒動を機に、落語一筋に打ち込むべき
この本の中で、談志の言葉「修業とは矛盾に耐えること」について触れているところがある。
ある弟子が、「師匠のいうことは絶対でござんすよね。師匠が黒いといったら白でも黒になるんですよね」というと、談志が、「そんな馬鹿なことがあるか。じゃあ、俺がお前のかみさんとヤラせろといったらどうする。駄目だというだろ。ほれみやがれ、師匠は絶対じゃないんだ。ケースバイケースだ」といったという。
だが、志らく一門では、女将さんは絶対で、女将さんがヤラせろというと、弟子は嫌とはいえないようだ。弟子入りする人間に、志らくが、それも修行の一つだ、耐えろと、いい含めているのではないのか。
今回の騒動は、落語をやる上できっとプラスになるはずだ。これからの客は、志らくの人情噺には、作り物ではない実があると思いながら、聴くはずだ。
談志の十八番「芝浜」を志らくが演るときのことを想像してみよう。大晦日の夜、大金の入った財布を拾ったことを、夢だといってなかったことにしてしまったことを、女房が魚屋の亭主に告白し、話し終えた女房が、泣きじゃくりながら、「でも捨てないでおくれ」と亭主に縋りつく場面では、志らくの実人生をそこに重ねて、客は滂沱(ぼうだ)の涙を流すことだろう。私も泣くだろうな。
今回の騒動を機に、テレビも芝居もやめて、落語一筋に打ち込むべきだと思う。あえて、苦言を呈するのは、立川志らくという才能を惜しむからである。
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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)