父親から解放されたいと悩んできた飯田りょうさん。その呪縛から解放されるにはどうしたらいいのだろうか(筆者撮影)

「毒になる親」、略して「毒親」という言葉は、医療関係のコンサルタントやグループセラピストをしていたアメリカのスーザン・フォワードが作った造語である。

彼女は、その著書『毒になる親 一生苦しむ子供』で、「この世に完全な親はいない」と前置きしつつ、「世の中には、子供に対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親がたくさんいる」と指摘。そうした親を「毒親」だと定義している。

今回、取材に応じてくれた飯田りょうさん(仮名・50代)は「ぼくの父親は毒親とも言えたでしょう。しかしいまは母親が認知症になり、今度は母親が毒親のようになっています。昔の父親と同じように突然、荒れ狂い、父親が対応に苦慮している。まったく立場が逆転してしまったんです。そのおかげというべきか、父親が以前より温和になっています。まったく意外なことです」と話す。

感情の起伏が激しい父親の呪縛

飯田さんの父親は現在、80代後半で、公務員の技官をしていたという。母親は専業主婦で、2人のきょうだいがいる。

「ぼくの父親は、家ではとにかく感情の起伏が激しい人で、べたべたするか、突然、激怒するか、この両極端しかありませんでした。中間の穏やかな時間というのがない。子どもに近寄ってきて『かわいい』といって頭をなでたり、抱きついてきたり。そうかと思えば、突然、怒り出して怒鳴り始める。

何が理由かは全然わからない。外で嫌なことがあっても怒鳴るし、家のなかで気に入らないことがあっても怒鳴り散らす。その繰り返しです。父親がいるときは、気が休まることがありませんでした」

そんな父親に対して「とても子どもを愛しているが、いつか子どもを殺してしまうんじゃないか」という恐怖が、物心がついたころから40歳ぐらいまで続いたという。その影響は飯田さんの人間関係にも少なからぬ影響を与えている。

「まず、人とうまく人間関係を築けない。『みんな、機嫌が悪くなると、突然、ナイフを持って襲ってくるんじゃないか』と思ってしまう。そのせいか、周囲の人から言わせると、ぼくはその場にそぐわない、突拍子もないことを口走ることがあるようです」

「ちょっとした声がけも苦手で、例えば、作業をしている人の後ろを通るときに、『すみません、通ります』のひと言が言えない。ぶつかりそうになってムッとされたこともあります。そういうコミュニケーションがうまくできない。だから、無意識に失礼なことをやっているんじゃないかと思います。

でも、ぼく自身が怒ったり、怒鳴ったりすることはほとんどありません。むしろ、へらへらしたり、にこにこしたりしています。

ぼくが付き合えるのは、温和な人ばかり。自分に厳しく必死に生きている人は苦手です。概して、そういう人が世の中では成功していますが、父親もそういう意味では成功した人間なので、それに対する反感もありますね」

子どもの頃、家庭が平和なときも安らぎの場ではなかったという飯田さん。自分の精神状態を保つのに、何か助けになるものがあったのだろうか?

「とにかく、1人で外出する。いまもそうですが、ぼくが好きなものは地図、時刻表、鉄道に乗ること。小学生の頃は電車で日帰りで出かけたり、中学生になると新幹線に乗って親戚の家に行ったりしていました。ぼくにとって1人になる時間が非常に重要だったのです。

たとえ、親しい友人がいたとしても、ずっと一緒にいると自分が自分ではなくなってしまう。気を遣いすぎてしまうんですね。大学を卒業すると同時に一人暮らしを始めましたが、実家から離れられたときは本当にホッとしました」

仕事にも悪影響が出た

いまは派遣社員として英語に関係した仕事をしている飯田さんだが、意外にも文系ではなく、理工系の大学に進学している。

「ぼくが英語を好きになったのは中学生の頃で、社会人になってから英検準1級を取っています。よく知り合いからも、どうして文系の大学に行かなかったのかと聞かれますが、ぼくには『技術畑の父親を見返してやりたい』という気持ちが強かった。だから、理工系の大学に入ってエンジニアを目指したんです。

ところが、これが大誤算。エンジニアには知識や情報だけでなく、ロジカルな思考も必要なんですね。ものを設計するにしても創意工夫が必要だし、みんなと協調して作業をしなくてはいけない。そういうときのコミュニケーションもうまくできませんでした」

「それでも正社員として40歳まで勤めていました。上司がぼくを育ててくれようとしてくれたのですが、うまくいかなかったのです。言われたことはできるのに、それ以上のことができない。年齢が上がってくると、自分の仕事だけやっていればいいというわけにはいきませんよね? 若い社員が入ってくれば、リーダー的に動くことも必要になってくる。でも、ぼくにはそれができなかった。全部、失敗する。

おそらく『完璧な人間になってはいけない』という呪いのようなものがあるのだと思います。父親が成功者としてお金を稼いでくることに対する無意識の反発のようなものでしょうか。上司が親身に指導してくれても、それに応えることができず、最後には『おまえはダメだ』という評価になってしまう。

それで30歳ぐらいから翻訳とか通訳の勉強を始めました。方向転換しなくちゃいけないと思ったからです。エンジニアとしては先が見えていましたから。最初は技術系でも英語が必要な部署にいたのですが、それも厳しくなって、結局、辞めざるをえなくなり、非正規で英語を使える仕事をしているというわけです」

どうすれば「普通」になれる?

飯田さんと初めて会ったとき、カバンから取り出したのが、前述したスーザン・フォワードの『毒になる親 一生苦しむ子供』だった。購入したのは10年ほど前だそうだが、内容はあまり読んでいないという。なぜなら、親がどういう人間であるかということより、自分の状況をどうやったら克服し、改善できるのかに関心があったからだ。

「ずっと以前からアダルトチルドレン関連の本は読んでいました。ダン・カイリーの『ピーターパン・シンドローム』などですね。ただ、本には事例は載っているものの、その改善方法や答えがはっきりとは書かれていなかった。

『自分だけじゃない』とわかることで役に立つことも多少はありましたが、安堵することはなく、不十分でした。『普通』の社会人になるためにはどうしたらいいのか、答えを探し、『愛があるから真っ向勝負』というスパルタ式な教育論の本も読みました。

「世の中には自分と同じような境遇の人でも、それを克服して会社や家庭という組織をリードしたり、親や兄弟を助けたりしている人もいます。そういう意味で、ぼくは世間並みの苦労をしていないといえます。自分が変わらなければ世界は変わらないのに、ぼくはそこを変えずに人生を逃げ延びようとして失敗したのです」

そういう飯田さんに「それは自分のせいなのでしょうか? 親の接し方のせいではないのですか?」と尋ねてみた。

「それもあるでしょうね。社会をリードする人というのは、父親のように突然、激怒したりする人なのだと思っていたのです。偉大でも、あのような人の側(がわ)には居たくないとも思っていました。身近に男性のロールモデルがなく、40歳過ぎまでまったく見つけられませんでした」

「自分らしく軟弱でいたい」

アダルトチルドレンに関する本を読みあさったという飯田さんだが、「結局、答えは見つかっていない。自分では何も変えられなかった」という。「それでも」と飯田さんは言葉を続けた。

「以前は『私は、いまはダメですが、立派になろうとしています』と、努力をしようとしていました。あるとき、それをやめて、『私は周囲の人に迷惑をかけるかもしれない。早く死ぬかもしれない。それでも自分らしく軟弱でいたい』と自分の気持ちを変えたのです。そうしたら離れていく人もいましたが、好感を持つ人もいたのです。無理のない自分になることで理解してくれる人もいるんですね」

ずっと父親の影響から逃れられなかった飯田さんだが、ここ1年ぐらいで「親も外界も悪かったのだ」と開き直ることができたという。それまでは「自分が変わらなければ」と悪戦苦闘してきた。毒親の下で育った人のなかには、その毒をはねのけ、克服できる人もいるだろうが、そんな強い人間ばかりではない。「開き直る」というのも、毒親の支配から逃れる方法の1つと言えるのではないだろうか。