絵の具がどうやって作られているか、考えたことはあるだろうか。

中学卒業以来絵の具に触れていない筆者が漠然と思い描いていたのは、様々な色の液体が並々入れられた巨大なバケツがずらりと並んでいる光景だ。何か全自動で動くような機械で、同時に大量の絵の具を作っているのだろうと想像していた。

しかし、東京・銀座にある月光荘画材店が公式ツイッターに投稿した動画には、丁寧に油絵の具を練る職人の姿が映っていた。

材料を練って、絵の具を作っていく作業のようだ。ぼろぼろとした土のようなものがローラーで練られ、鮮やかな赤色の絵の具になって職人の手元に出てきている。しかし、まだ絵の具は完成していないらしく、出てきた絵の具は再びローラーにかけられる。

絵の具を手作りする様子を見た人からはツイッターに

「絵の具作り、はじめて見た。すごい!ずっと見ていたい」
「こんな風にして作られてるのか...すごいな」
「上質なものだけだろうけど、絵の具って手作りなんだ。絵心はないけど、そんな絵の具を含ませた筆を紙に滑らせて色を見てみたいな」

など感嘆のコメントが寄せられている。


これがなめらかな絵の具に

販売される絵の具になるまでに、どれくらいの手間がかけられているのだろう。Jタウンネット編集部は月光荘画材店を取材し、絵の具作りに込める思いを聞いた。

最初の「純国産絵の具」を作った月光荘

話を聞かせてくれたのは、月光荘画材店店主の日比康造さんと、映像に映っている職人の鈴木竜矢さん。

同店は、1917年に創業し、1940年に純国産の絵の具を初めて誕生させた画材店。創業当初は、海外から輸入した材料を練り合わせて絵の具を作っていたため、絵の具の質は届いた材料の質次第だった、と日比さん。

「絵の具の粉と、それをキャンバスや紙にくっつけるための、バインダーという糊状のものと練り合わせることで、水彩絵の具になったり、油絵の具になったり、アクリル絵の具になったりするんです。
(創業当時は)輸入した粉が劣悪であれば、劣悪な絵の具しかできなかった。それが日本の画家たちが苦しんでいたところです。
そこで、月光荘画材店は日本で最初に、粉から絵の具を作っていったんです。
一から鉱物を焼いたり、他の薬品を練り合わせたりしながら、いろんな粉を開発していって、それを見よう見まねで手ですりつぶしてみたり、ローラーにかけてみたりというのを経て、今の絵の具作りの礎を築いていきました」(日比さん)


国産の青い絵の具「コバルト・ブルー」誕生を喜ぶ画家たちの寄せ書き

日比さんによると、戦争で海外から絵の具や材料が輸入できなくなった時も、純国産の絵の具の開発に成功した月光荘だけは絵の具を製造することができた。

「戦争中に描かれた洋画っていうのは、ほとんど月光荘の絵の具で描かれている」

と日比さんは話す。猪熊弦一郎、梅原龍三郎、宮本三郎、藤田嗣治ら著名な画家も月光荘の絵の具を使っていたそうだ。


戦時中の絵の具

ところで今日では、月光荘以外にも絵の具を販売している企業はいくつもあるし、100円ショップでも絵の具を入手することができる。そんな中で、月光荘はどんなところにこだわって絵の具を作っているのだろうか。日比さんに尋ねてみると、

「コンビニにもご飯があります。美味しくて、お腹いっぱいになりますよね。でも、同じお腹いっぱいになるので、1食5万円のレストランもある、料亭に行って10万円っていう場合もある。
100円ショップにも絵の具は売ってるし、月光荘のように1本1000円を超える絵の具を売ってるところもあるというのは、コンビニにもご飯はあるし、10万円のご飯もあるというのと一緒で、良い悪いじゃなくて、お客様がその時の求めるクオリティに、どのように応えるかということなんです。
月光荘が取り組んでいるのは、その場でだけかければ良い、というのではなくて、できるだけ長く品質良く保てる絵の具を作ること。パレットに色を出した時に、胸が踊りワクワクすること。世界のどの絵の具やさんと比べても、胸を張ってご提供できる品質のものを作ること。
そして、本物に触れたいという人が現れた時に、ちゃんと本物はここにありますよ、と言える店でありたい」(日比さん)

日比さんは、ツイッターに絵の具作りの映像をアップすることで、このこだわりを伝えようとした。

「絵は、絵描きさんの『絵を描きたい』という思いからスタートする。それをどうにか具現化するために絵の具屋、筆屋、キャンバス屋...画材屋がいる。
僕ら(画材屋)は、絵描きさんの思いに応えるためにあるけれども、それは同時に鑑賞者のためでもあります。
描くときはよかったけれども、半年経ったら色が変わっちゃったとか、1年経ったらはがれちゃったとか、それは責任を果たしていないよね、と。
絵描きの気持ちに応えて、見てくれる人に対しても責任を果たす。それが、月光荘が創業以来ずっと大切に胸に刻んでいる100年の約束なんだ、という意味で動画を投稿しました」(日比さん)

1日8時間、同じ色の絵の具をつくり続ける

そんなこだわりの絵の具を作っているのが、鈴木竜矢さんだ。

もともと月光荘の社員として働いていたが、3年ほど前から職人として絵の具作りに携わっている。約40年間にわたって絵の具をつくり続けてきた職人が高齢になってきたため、後継者として職人に転向したそうだ。現在は、師匠と弟子として、2人で絵の具を作っているという。

投稿された映像は、鈴木さんが「ライトレッド」という色の油絵の具を作っているところ。


赤い土のような色の「ライトレッド」

「顔料っていう粉と、バインダーっていう、油絵の具だと油ですね、油と防腐剤とかそう言ったものを配合して、粉状のものを粘性のある絵の具にしていく作業です。
顔料と顔料がくっついていると、固まっちゃったりするので、なるべく均一にローラーで分散させています。
ローラーから出てきたやつをホーローの鍋に入れて、全部出てきたらまたローラーに乗っけてっていう作業を何十回も繰り返して、絵の具にしていきます」(鈴木さん)

1度に作る絵の具は6リットルほど。1色の絵の具を完成させるのは、一日がかりの仕事になるそうだ。何回ローラーにかければよいか、というのは絵の具の様子を見ながら判断するという。

「冬と夏でも変わってきますし、顔料を同じメーカーから取り寄せても、ロットによって色が違ったりとか、そういうのがあるので。色が違っている場合は、他の色を足して調整したりとか、微調整をします。見本として前回つくった絵の具と新しく作っているものを、両方ともキャンバスに塗ってみて、判断しています」(鈴木さん)

鈴木さんによると、色を見なくてもつくれる絵の具(白色など)の場合は同時に2色作ることもあるが、ほとんどの色はつきっきりになって様子を見る必要がある。顔料によって固まりやすかったり、熱を持ちやすかったりという特徴もあり、状況を見ながらローラーのかけ方を変えているそうだ。

1人が1日でつくれるのは1色で、毎日、足りなくなった色から補充していくという。

順調にいけば8時間ほどで絵の具は仕上がるそうだが、それ以上かかるときもあるそうで、「重たいし、夏はちょっと辛いですね」と鈴木さん。


絵の具を作る鈴木さん(公式ツイッターより)

「顔料にもよるんですけど、結構重たいんです。チタンホワイト(白色の絵の具)とかは異常に重たいのでなかなかの肉体労働になります」(鈴木さん)

そんな過酷な作業を経て迎える絵の具が出来上がる瞬間は、とても印象的なものなのだそう。

「(絵の具を)練っていると、ある段階で表情が変わるんですよ。しっとりと色っぽくなるというか、『あ、絵の具になってきた』という瞬間があって。その時はやっぱりゾクゾクっとしますよね」(鈴木さん)

絵の具の表情が変わる――。それが具体的にどんな現象なのか、言葉にはしづらい、と鈴木さんは話す。

「配合とか、だいたい決まってはいるんですね。この色を作るために、これを何グラム、何グラム、みたいな。でもそれを使って同じようにやっても、毎回同じにはできないんです、なぜか。色は一緒なんですけど、何かが違う時がある」(鈴木さん)

そんな時、どうやって絵の具を完成させるかというと、「最終的には勘になる」。その勘を培うためには絵の具作りの経験を積むことが必要で、鈴木さん自身も「最近はなんとなくわかるようになってきた」という段階。絵の具の完成は、師匠と相談して判断しているという。

「絵の具作りには、こうすれば良いという正解がない。だからこそ、仕上がった時、出来たものが愛おしいですよね。『良い絵の具に仕上がってくれた』と」(鈴木さん)

鈴木さんは、絵の具を作っている時こそ無心で作業に集中しているが、チューブに詰めるときには「これが(絵を描く人に)届けばいいな」と考えているそう。そして、より多くの人に使ってもらえるよう、常に絵の具の「新しい着地点」を目指して研究を重ねているという。


チューブに充填された「ライトレッド」

「月光荘の絵の具を昔から好んで使ってくださっている方は多いです。いつも考えているのは、前から使ってくださっている方々の期待に添いながらも、よりよい着地点はあるんじゃないかということ。
昔から好きでいてくれる人の期待にも応えながら、新たに使ってくださる方にもちゃんとマッチするような色を作っていきたいと思っています」(鈴木さん)

1色の絵の具を作るために、これほどの手間がかけられているとは...。

図画工作に苦手意識のある筆者でも「こんな絵の具で絵を描いてみたい」と思わされた。すると、「色を重ねるだけでも楽しいですよ」と鈴木さん。


月光荘画材店の絵の具

月光荘には様々な色の絵の具がある。油絵の具だけでなく、水彩絵の具やアクリル絵の具も扱っている。

数多くの絵の具の中から、自分のお気に入りの1色を見つけてどこかに塗ってみる。たとえ絵が描けなくても、それだけで十分楽しめそうだ。