谷田成吾の野球note「なぜ『由伸2世』といわれた私が26歳で球団代表になったのか」
日本最年少で就任、26歳の徳島新球団代表が執筆コラムを始動
野球の独立リーグ・四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスは19日、昨年まで選手として在籍した谷田成吾氏が取締役兼球団代表に就任すると発表した。「由伸2世」の異名で、アマチュア球界で名を馳せた元スラッガーが引退後、1年間の会社員生活を経て、プロ球団の運営トップに就任するという転身。野球関係者に驚きを呼んだ。
26歳は日本最年少の球団代表。これまでも谷田氏のキャリアを追いかけてきた「THE ANSWER」は、野球界で異例の道を歩み始めた元スラッガーのセカンドキャリアに共感し、“青年球団代表”にエールを込めた新たなコラム「徳島インディゴソックス球団代表・谷田成吾の野球note」を始動する。
26歳の若さで球団経営の世界に飛び込んだ想い、独立リーグが置かれているリアルな現実、人口減少している野球界の未来に対する願い。1人の若者としての等身大の価値観を織り交ぜながら、毎月、本人が自らの言葉でつづる。第1回は「なぜ『由伸2世』といわれた私が26歳で球団代表になったのか」。驚きの転身の裏にあった想いとは――。
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12月19日、徳島インディゴソックスの新代表就任を発表する記者会見を行いました。想像していた高揚感より、何としても黒字化させ、魅力ある球団にしなければならない責任と重圧を強く感じています。オーナーから与えられた使命は「球団経営を安定した黒字に転換させ、徳島インディゴソックスをずっと続く球団にすること」。
球団代表という仕事は一般的に、球団を代表する権限を持ち、球団運営の決定に関わることのできる役職。独立リーグの場合は、球団の経営だけでなく、チーム編成や試合の運営など、多岐の仕事に関わる役職になります。監督やコーチは当然ながら年上ばかり。しかし、私も経営面から遠慮なく意見を言い、お互いより良くなろうと議論できる関係を築くことが必要です。
現在、独立リーグで黒字として成功している球団はごくわずか。それも大きな親会社を持たず、限られた地方都市での実現は困難を極めています。先日、BCリーグの福井球団が存続危機に陥ったことからも独立リーグ運営の難しさは伺えます。しかし、私には徳島インディゴソックスを絶対に良くしたいという思いがありました。
NPB輩出数が日本一の独立リーグ球団として「選手の挑戦を支える」という側面がありますが、魅力はそれだけではありません。私を通して少しでもインディゴソックスについて伝えたいという想いから、コラムを書く機会を頂きました。今回は「なぜ、私が厳しい立場にある独立リーグの球団代表に就任したのか」について、いくつかの項目に分けて、お話したいと思います。
自己紹介「谷田成吾って誰?」
まず、私のことをご存じない方も多いと思いますので、簡単に経歴をご紹介させてください。
――1993年、埼玉県生まれの26歳。慶應義塾大学商学部を卒業し、社会人野球選手としてJX-ENEOS(JXTGエネルギー株式会社)に入社。25歳でMLBを目指して退職、クラウドファンディングを行って渡米し、メジャー8球団のトライアウトを受験。契約には至らなかったが、帰国後は四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでプレーし、引退。慶應高校時代は通算76本塁打(神奈川県歴代1位)、大学時代も東京六大学通算15本塁打(歴代13位)を記録。高校、大学、社会人野球すべてのカテゴリーで日本代表選出――
現役時代は「高橋由伸2世」と呼ばれていたこともあり、この異名でご存知の方もいるかもしれません。大学、社会人、独立リーグ時代と3度のドラフト指名漏れを経験し、海外挑戦も経験。しかし、プロ野球選手になることはできず、引退後の今年から六本木にあるIT企業で勤務していました。
私自身、3年以内の独立を目指していたため、仕事以外はほとんどの時間を経営者になるための取り組みに充て、一流のビジネスマンとしてステップアップすることを目指していました。
私は大学卒業後、4年間、野球に打ち込んでいたので、他の同年代と同じことをしていたら追いつくことができません。野球でいえば、自主練の時間と思い、まだ会社に誰もいない始業2時間前の午前8時から出社し、業務に取り組みました。
短い期間ながら、一番に学んだのは「実行力がどれだけ大事か」ということ。30歳前後で独立したり、キャリアップしたりする社員の方が多く、とにかく動いて「すぐ、やってみる」という環境は貴重な経験となりました。
なぜ、球団代表に就任することになったのか
転機となったのは、新しい仕事にも慣れてきた8月末でした。都内の喫茶店で球団オーナーに言われました。「球団の存続のために一緒に取り組んでくれないか」と。今までオーナーとは、球団や日本の独立リーグがどうすれば良くなるのかを議論したことはありましたが、実際に自分が飛び込み、改革に乗り出すとは思ってもいなかったこと。とても驚いたことを覚えています。
球団代表というのは、責任のある役職です。ましてや、赤字が続いている球団。これまでと同じことだけをしていては、いずれ球団がなくなります。自らで考え、ファンやスポンサーを増やす新しい取り組みを行い、成功させることが必要。赤字ゆえの「失敗できない」というプレッシャーもあるだろうということは想像に容易かったです。
要請を受けてから「これまで考えてきた、球団がより良くなる方法を実現したい」という気持ちと「オーナーの使命に応えられるのか」「思い描いていたキャリアとは違うが良いのか」という気持ちの間で激しく葛藤しました。アドバイスを頂いた方の中には「独立リーグは市場として伸びないのではないか」と仰る方も多くいましたし、正直、気持ちは何度も揺れ動きました。
それでも、就任を決断したのは、徳島インディゴソックスという自分にとっても大切な場所をこれからもずっと残る場所にしたい気持ちと、かつての自分と同じようにプロ野球選手を目指す選手たちのためにできることがあると思えたからです。
一緒に野球に取り組んできた同世代の存在も刺激になっていました。特に、大学時代にチームメートだった巨人・山本泰寛選手、日本ハム・横尾俊建選手の活躍はいつもチェックしています。一方で、このオフにはプロや社会人で同じ大卒4年目の世代でクビになる選手もいて、身近だった存在が新たな道を踏み出している時期でもありました。
野球界以外の友人も同様です。大学の同級生では大企業で大きなプロジェクトを任せられている人もいれば、すでに起業して経営者として活躍し始めている人もいます。それまでの視座の高さ、思考の深さによって差が出始めている時期に感じます。そうした中で社会人2年目になる私に貴重な機会をもらい、チャレンジしたいとより一層、思わされました。
不安は当然あります。昨年まで野球をしていた26歳の若輩者に球団代表が務まるのか、懐疑的な目があることも理解しています。しかし、そんな周囲の見方も受け入れ、徳島インディゴソックスを「ずっと続く、より多くの人に愛される球団にする」という目標のために全力を注ぐ気持ちです。
球団を黒字化にするために必要なこと
徳島インディゴソックスが地方球団として成功するためには「より多くの人に愛される球団になること」が必要であると考えています。一例ですが、「野球が好きでもそうでなくても、幅広い層の方々が楽しめる試合を作っていくこと」「仕事終わりに寄っていただける場所になること」「休日家族の公園代わりに親子で寄れる場所になること」など、野球を詳しく知らなくても、その人の日々の生活に関われる存在になることが重要です。より多くの方の生活に関わることで、球団の存在価値を高めていきます。
また、そのためにより多くの人を巻き込んでいくことも重要と考えています。赤字球団である徳島インディゴソックスは改革を行おうにも、最初の一歩を踏み出すのがとても困難な状況です。そこで、クラウドファンディングやオンラインサロンなどを行い、多くの野球や徳島を愛する方々の力を借りることで、新しいスタートを切りたいと考えています。
日本の独立リーグは徳島インディゴソックスに限らず、どこも厳しい環境に置かれていますが、多くの方の熱い思いが集れば大きく変わることができるのではないかと思います。より多くの方を巻き込み、「この徳島のプロ野球チーム運営に参加しているんですよね!」と言える方を一人でも多く増やすことが、解決の糸口になるはずです。
当面は既存のスポンサー様の挨拶回りに出向き、来年度の提案をさせていただきます。来年の開幕に向けた準備も同時に進め、地道に営業活動に励んでいきます。選手と同じく、球団もチャレンジする年。試合を見に来た人が楽しんでくれるような球場の雰囲気作りにチャレンジしていくので、ファンの皆さんに共感を頂き、ぜひ力を貸していただければと思っています。
私自身は徳島インディゴソックスに関わることで、日々の生活が楽しいものになることを証明するために、小さなことをコツコツ積み重ねていきます。もちろん、思い通りにならないことはたくさんあると思いますが、自分の想像する未来の徳島インディゴソックスに追いつくことが今から楽しみでなりません。(徳島インディゴソックス球団代表・谷田 成吾 / Seigo Yada)