マルチに活躍中のハヤカワ五味さんがアパレルの世界に足を踏み入れたきっかけとは?

女子大生起業家として脚光を浴び、経営者、デザイナー、コメンテーター、インフルエンサーとマルチな活躍をする若手経営者・ハヤカワ五味さん。

生まれたときからIT技術や製品に囲まれて育った“ジェネレーションZ”世代の旗手として活動の幅を広げている彼女は、どんな経緯でビジネスの世界に足を踏み入れたのか。情報が増え、選択肢があふれる現代を生き抜くヒントを、これまでのハヤカワさんの人生からひも解いていきます。

みなさんは“ジェネレーションZ”という言葉を耳にされたことはあるでしょうか。

この“ジェネレーションZ”(以下、GZ)とは“ミレニアム世代”のようなある世代の総称なのですが、GZは1990年代半ば以降に生まれた「生まれたときからデジタルネイティブ」の世代を指すそうです。

その区分けからすると、1995年生まれの私は、日本の定義だとギリギリ“ジェネレーションZ”と呼ばれるクラスタになります。

今から6年前、18歳のときにランジェリーブランド「feast by GOMI HAYAKAWA」を立ち上げ起業した私は、多摩美術大学の学生でありながら、課題解決型アパレルブランドを運営する「株式会社ウツワ」の代表取締役社長として会社を経営してきました。24歳となる現在は、これまでの活動と並行して、テレビやラジオのパーソナリティーや生理用品にまつわるプロジェクトにも携わっています。

初の著作となる『私だけの選択をする22のルール あふれる情報におぼれる前に今すべきこと』でも触れていますが、私が立ち上げたビジネスは、インターネットの時代だからこそ実現できたものだと思います。では、どんな経緯でこの世界に足を踏み入れたのか。それは、中学生時代にさかのぼります。

楽しいと思えれば、苦手なことでも身に付いていく

裕福な家庭の生まれだとよく勘違いされるのですが、会社員の父と、パートタイマーの母、そして3つ下の妹というこれといった特徴のない家庭の生まれです。

実家は千代田区神保町にある古い2LDKのマンション。2つある部屋の1つを父が使用していたため、私と母と妹の3人でもう1つの部屋をシェアして過ごしていました。

小さな頃から両親とは不仲で、まともな会話をしたことはほとんどありませんでした。小学生のときは、教師や同級生の親からいじめを受けて心を閉ざすように。教室では隅っこで過ごし、家でも本や漫画を読んだり、ゲームをしたり、アニメを観たりと1人で過ごす時間が多い子ども時代だったと思います。

中学生になってからは、アニメ好きが高じてコスプレに目覚めました。お年玉を使って中古のミシンをネットで購入し、ボーカロイドの初音ミクや『マクロスF』のヒロインであるランカ・リーの衣装を友だちと一緒につくって着ていました。もともと図工など、ものづくり自体は好きでしたが、服をつくる経験はこのときが初めて。わからないなりに見よう見まねでミシンを動かしていたら、意外と形になるので驚きました。

ちなみに、私の中学生時代の家庭科の成績は5段階評価で3。もとより裁縫が得意なわけではありません。それでもつくりたいという意欲があったから、どんどん上達していったのです。自分が楽しいと思えることは、特別得意なことでなかったり、未経験だったとしても、自然と身に付いていくんですね。

私は、何かを選択をする際に後悔しないよう、自分だけのルールを決めています。そのなかに「ないならつくってみる」というものがあるのですが、それはまさに、このときの経験が出発点だったと思います。

大好きなロリィタファッションがビジネスにつながった

コスプレに目覚めた私が次に興味を持ったのが、ロリィタファッションです。きっかけは、中学2年生のときに読んだ古屋兎丸先生の漫画『彼女を守る51の方法』でした。ヒロイン・岡野なな子の強くたくましい姿と、彼女が着ていたゴスロリの服装に惹かれていったのです。

それから『KERA』などのロリィタファッションが掲載されている雑誌も読むようになり、どんどんのめり込んでいきました。

しかし、ロリィタ系の服は1着2万〜3万円が相場。中学生ではとても購入できません。

当時、私の家はバイト禁止かつお小遣い制ではなかったので、お年玉などの臨時収入で好きな漫画やゲームを購入していました。だからといって、パートタイマーとして働いている母にお金をせびるのは申し訳ないですし、そもそも親の好みのファッションではないので、買ってくれるはずもない。そこで最初は自分でロリィタ服をつくっていたわけです。

しかし、ある問題が発生します。当時のロリィタファッションは、金髪ツインテールが鉄板。さすがに髪の毛は染められないので、ファッションウィッグを探すことにしました。

そこで驚きの発見をします。フリマサイトや原宿などでは8000円程度で販売されているウィッグが、オークションサイトでは500円程度で出品されていたのです。

ただ、掲載されている写真の画質は最悪だし、商品の説明文も翻訳ソフトで変換したような怪しい言い回し。正直なところ、買ってもいいものか不安でした。でも、ほしいという気持ちのほうが上回っていたし、粗悪品をつかまされても500円なら安いもの。一か八か落札することにしました。

購入してから1週間後、私のハラハラする気持ちとは裏腹に、商品はあっさりと届きました。しかも実物は、オークションサイトに掲載されていた写真より数倍かわいい! その瞬間、「フリマサイトで市販価格より安めに設定したら売れそうだ」と閃きました。

その頃、毎日のようにオークションサイトやフリマサイトで中古のロリィタ服を探し求めていたので、さまざまなことに気づきました。例えば一般の若い人も多く使うフリマサイトでは写真や説明文がきちんとしているけれど価格が高く、一方で、業者が多く一部のハイリテラシーな人だけが利用していたオークションサイトは写真や説明文は雑だけど価格が安く設定されていること、などなど。

こうして私は、オークションサイトでウィッグを仕入れ、フリマサイトで売るようになりました。そして、月に3万〜5万円程度、多いときで10万円を超える収入を得るようになったのです。

ネット転売から学んだ、小売業の極意

当時、転売をする際に意識したのは、「写真の撮り直し」と「タイトル・商品説明文を吟味すること」の2点です。

写真については先にも述べたように、オークションサイトの写真は画質が最悪だったうえ、ほかのサイトからの盗用なのではないかと思われるものも多くありました。また、当時のファッションウィッグの商品写真は、多くがマネキンに商品をつけた白バックのもの。これでは無機質な印象を与えるうえに、着用したらどうなるかが想像しにくいと感じました。

そこで私は、100円ショップで購入したヘッドトルソーにウィッグをつけ、あえて自室で撮影した写真を使うことにしました。ほかにも、実際に自分が着用した自撮り画像(顔はスタンプで隠しましたが)を商品写真として使うことも。そうした工夫を施すことで、私自身がオークションサイトから購入した際に感じた不安を解消できたと思います。

タイトルと商品説明文に関しては、とにかく一目でわかりやすく、正直な内容を心がけました。タイトルではファッション用のウィッグであること、新品であることを少ない文字数で的確に表現し、商品説明文では「少し絡みやすいですがテカリがなく自然な髪質です」というように、商品の特徴を正直に伝えることを意識しました。

さらに、写真やタイトル、説明文を吟味するうえで大事なのは、「ターゲットを絞って価値提案をする」ことです。例えば、私が当時転売していたウィッグの中には、コスプレ用として販売されていた商品も多くありました。


ですが、「以前はやったキャラのコスプレ用ウィッグ」を求めている人よりも、「かわいいロリィタ服に合うファッションウィッグ」を探している人のほうが多いだろうと思ったのです。そこで、写真にしろ、文章にしろ、ファッションウィッグとしての価値を提案し、理解してもらえるよう意識しました。

ターゲットがどういうことに不満を持っているのか、どういう商品がほしいのかを考え、その人たちの購買意欲を後押しする見せ方は、小売りの仕事をするうえで非常に大事なポイントです。今思えば、このときに身に付けた「ターゲットを明快にすること」「ターゲットの購買意欲を後押しすること」という2つのルールは、ものを売ることの基礎であり、後に小売りを職業とした際にもとても生かされました。

このウィッグ転売の経験から、オンラインでものとお金のやり取りをすることに対しての抵抗感が、私は人一倍低かったのだと思います。この後、15歳のときにロリィタ服に合わせようとつくった「キリトリ線タイツ」が好評となり、インターネットを使って販売するようになりました。この頃から“ハヤカワ五味”と名乗るようになり、ビジネスの世界に足を踏み入れていったのでした。