日本の「たばこ規制」なぜこうも歪んでいるのか
日本は世界でもめずらしい「屋外禁煙・屋内分煙」がまかり通っている国だ(写真:つむぎ/PIXTA)
吸う人も吸わない人も感情論から発言してしまい、何かと炎上しがちなたばこをめぐる議論。「本当の」話を聞いてみよう。『本当のたばこの話をしよう 毒なのか薬なのか』を書いた国立がん研究センター がん統計・総合解析研究部長の片野田耕太氏に聞いた。
海外では受動喫煙問題は決着済み
──「本当の」は、「科学的な」という意味ですね。
愛煙派、嫌煙派という立場を離れ、科学的な視点を貫きました。もう1つ、世界のたばこ産業が、いかに科学を歪める働きかけをしてきたかを知ってもらう、ということも「本当の」に込めています。
──受動喫煙の健康被害を日本人が最初に指摘したんですね。
平山雄(たけし)先生が1965年に26万人超へアンケートを実施し、家庭内の受動喫煙者を推定、14年間追跡調査しました。1981年に受動喫煙のある女性の肺がん死亡率が受動喫煙のない女性のそれの1.3倍、夫の喫煙量が多いほど死亡率が高いと論文にまとめています。
当時の日本はどこでも喫煙できる社会で、平山論文はバッシングを受けました。ただ、研究者は地道な検証を続けて、2004年に国際がん研究機関が受動喫煙は「ヒトに対し発がん性がある」とし、2006年には米政府の公衆衛生総監が、肺がんをはじめ複数の疾病との因果関係があると判定、海外で受動喫煙問題は決着済みです。
──実際、欧米のみならずアジア諸国の多くも屋内全面禁煙です。
これには、2003年に採択、2005年に発効した「たばこ規制枠組条約」が影響しています。条約のガイドラインは分煙を完全否定しています。アメリカの空調学会が、屋内の全面禁煙以外に受動喫煙は防げないと結論づけるほど、屋内から煙を完全に除去することは難しいのです。
──日本だけ取り残されている。
能動喫煙の健康被害を指摘したイギリスのドール氏は爵位を受けました。
片野田耕太(かたのだ こうた)/1970年大阪生まれ。東京大学法学部を卒業後、同大学院医学系研究科へ。2002年博士課程修了、2005年から旧国立がんセンター研究員となりたばこの健康影響とがんの統計の分野の研究に従事、2017年から現職。2016年の「たばこ白書」(厚生労働省)の編集責任者。(撮影:梅谷秀司)
平山先生も世界ではヒーロー的存在なのに、国内では知られていない。それどころか、「平山論文」をネット検索すると「嘘」なんかが一緒にヒットします。日本発の研究が世界中の仕組みを変えた希有な例なのに歯がゆいですね。それだけ、たばこ産業のプロパガンダが浸透しているのです。
受動喫煙は意思に基づかない喫煙なので、たばこ産業にとってはアキレス腱。「科学的に証明されていない」ので研究しましょうというのが能動喫煙問題のときからの常套手段で、自ら出資してたばこ研究の財団をつくる。当然、利益相反が問題になる。アメリカの会社が日本での受動喫煙の研究結果を歪曲して発表したこともあります。ちなみに、JTも1986年に喫煙科学研究財団を設立しています。
また、日本ではJTが分煙コンサルタントの飲食店派遣など「分煙で十分」という非科学的なプロモーションを続けています。
分煙には「働いている人」の視点がない
──分煙は問題が多いのに。
分煙でよしとするのは客の視点で、喫煙可能な場所で働いている人に想像が及んでいない。自民党の国会議員が「(がん患者は)そういう場所で無理して働かなくていい」と発言して問題になりましたが、じゃあ、そこで働いていい人はどういう人なのか。閉鎖空間での喫煙は人権の問題です。
──公共の場での分煙が規制のガラパゴス化を招いた。
家庭に喫煙者がいないと、ガス室のような飲食店を避ければ、たばことの接点は屋外に限られます。すると屋外でのたばこの苦情が増える。対応を迫られた自治体は、屋内禁煙が世界標準と知りながら、ポイ捨て禁止条例を制定、今や全国の自治体に広がっています。
たばこ産業とつながっている飲食店などの団体、生活衛生同業組合が目の敵にするのは屋内全面禁煙。JTも屋内の喫煙環境を守るため、マナーキャンペーンで屋外規制を後押し。流れを決定づけたのは、歩きたばこの火が幼児の目に入った事件です。結果、屋内は分煙、屋外は禁煙という世界でも類を見ない状況が生まれました。
──難しいのは市民とたばこ産業の間で話が完結しない点ですね。
専売公社時代からたばこは担税商品で、民営化の際に作られたたばこ事業法でも、目的は「たばこ産業の健全な発展を図り、もつて財政収入の安定的確保〜に資する」です。
たばこの税収は年約2兆円で、国と市町村で折半。全税収の数%ですが、使い道自由な行政に都合のいい資金で、仮になくすとなると、別のもので補填するか歳出を削るか。厚生労働省が健康の観点からたばこに手をつけようとすると、所管の財務省から横やりが入るということの連続です。
たばこは政治そのもの
──日本のたばこの単価が極めて低いのもその一環ですね。
イギリス、オーストラリアなどは高単価にしてある程度の税収を維持しつつ、消費量を減らして健康を増進するという考え。日本は消費量を大きく減らさずに価格を小刻みに上げて税収を確保する。法に順(したが)っている財務省を批判しても意味はない。問題は、健康を犠牲に提供される税に頼る構造を是とするかです。
──たばこに厳しい五輪の東京開催は規制強化のチャンスでした。
北京、ブラジル、ロシアが五輪を契機に屋内禁煙となったことに比べ、職場や飲食店において専用場所での喫煙を認めた改正健康増進法は手ぬるいとする批判もありますが、罰則付きの法律となったのは評価すべきです。国の法律は最小限の決まりで、原則として屋内は禁煙と書かれているのだから、自治体がそれに上乗せすればいい。次の機会により例外規定が少ないものにする土台はできた。
──東京都は上乗せしました。
舛添前都知事が五輪招致の際に受動喫煙防止条例を作るみたいなことを言ったら、自民党の都議連が猛反発して程なく撤回。それが、小池都知事の都民ファーストの会が都議選に勝ち、公明党と組んだら、ひっくり返った。都議選にはたばこ訴訟に関わっていた岡本光樹弁護士が、政治を変えなきゃと立候補して当選、従業員を雇う飲食店は禁煙、などの条例案の作成に尽力しました。たばこは政治そのもの。その政治のダイナミズムを目の当たりにした。
──曙光(しょこう)の一方、懸念もあります。
規制派は「たばこ=格好いい」を長年かけて「たばこ=害」に変えましたが、たばこ業界は電子たばこ、加熱式たばこで再逆転を狙っています。扱う店、器具はおしゃれですが、これらにもリスクはあります。まずは8月7日のシンポジウム「令和の新たばこ対策」で議論します。