脳性まひのバイオリニスト・式町水晶が持つ強い意志「まだ、逃げられない!」
小脳低形成をもって生まれ、リハビリのバイオリンの腕を磨き昨年4月にメジャーデビューした式町水晶(22)。状況が一変するなかで毎日、鍛えつつも「自分の身体はピークを過ぎた」と自覚し、なおもステージに立つ。母の愛情で身につけたバイオリンと、自力で身につけたトークを武器に――。
バイオリンは家族のおかげ
「今は、無事に1周年コンサートを迎えられた安堵感と、最後まで、やりきった爽快感でいっぱいです!」
6月14日、新橋・内幸町ホール。コンサートを終えたばかりの楽屋を訪ねると、チャームポイントの太い眉毛をクイッと上げて、式町水晶は満足そうに笑顔を浮かべた。
「無事に」という言葉は彼にとって、私たちの想像をはるかに超える特別な意味を持つ。
昨年の4月にアルバム『孤独の戦士』でメジャーデビューを果たしたポップバイオリニストの水晶。彼には「小脳低形成」という脳性まひの障がいがある。
「小脳というのは運動調節を行う器官で筋肉の緊張と弛緩、つまり“力を入れる、入れない”をコントロールしているところです。それが僕には半分以下しかないので、関節が勝手に強ばったり、ピクピクッと反射しちゃうんです」
バイオリン演奏に最も大切な指も思うようにコントロールできず、地道で苦しい日々のリハビリの積み重ねの末に、今日のステージがある。
「今、困っているのは腰と肩のまひと、背中や足にもまひがあって、身体的に考えると少しずつ厳しくなっているんです。1年前より今のほうが、それを保つために努力している量が圧倒的に多いんです」
しかし、1周年のステージでの彼は、その身体的な困難を感じさせないほど軽やかにステップを踏み、バイオリンの音色は一層、優しく甘く、豊かになって観客を魅了した。
「今日のコンサートは、僕がメジャーデビューする前から応援してくれている方たちがいっぱい来てくれたので、おこがましいですけど、“少しは立派になって帰ってきたよ”って、成長した姿を見せたいと思ってたんです」
新曲では、水晶の持ち味であるエレクトリックバイオリンによる、スピード感のあるロック調の曲で、会場を熱く沸かせた。
「今日は、ばばっち(祖母の愛称)も来てくれていたので、なおさら頑張りました。うちは、ばばっちとじいちゃんと、お母ちゃんと4人でずっと離れずに暮らしてきて、僕にバイオリンをさせるために、家族が苦労してきたんです。でも、情けないことに僕はバイオリンでしか恩返しができないから、家族が喜んでくれるのが何よりうれしくて」
ショックでバイオリンを握れず
ところが、そんな大切な家族に大きな試練が訪れた。
「去年の11月におじいちゃんが胃がんだとわかり、すでにステージ3で危ない状態でした。そのショックが大きくて、僕は初めてバイオリンが握れなくなったんです」
母のがんに続いて、またもや……。念願のメジャーデビューができて、状況が一変した中で、「その期待に自分が応えられるだろうか」というプレッシャーも常にあった。
しかし再び彼を奮い立たせたのもバイオリンだった。
「うちはお父さんがいないぶん、おじいちゃんが家計を支えてきてくれたけど、定年退職した今、僕がバイオリンを握れなかったら、おじいちゃんの医療費も出せなくなる。不安とか甘ったるいこと言ってる場合じゃない。そう思って無理やり握っていたら、また弾けるようになったんです」
12月にはクリスマスコンサートの予定があり、待っていてくれるファンの人たちを絶対に裏切れない。1月にはおじいちゃんの手術もあった。
「その12月は今までにないほど、身体をとことん追い込みました。僕は決めていたんです。バイオリンの技術は死ぬまで追い求めることができるけど、身体を使ってパフォーマンスするのは、これが最後だ、と。今思えば、あの22歳の12月が僕の人生でいちばん身体の仕上がりがよかったと思います。これからは障がいによる衰えを認めながら生きていく。それが本当の強さだと思うようになりました」
年末の時点では、まだ1周年コンサートは決まっていなかった。「これが最後かもしれない」。その瞬間を、命を燃やすようにバイオリンと向き合い、障がいと向き合っていく。彼のパフォーマンスは、そんな覚悟の中にある。
生い立ちが漫画にも
「その追い込んでいた時期と重なるように、斉藤倫先生の『水晶の響』が本格的に動き始めたんですよ」
『BE・LOVE』(講談社刊)で5月から掲載がスタートし、現在も連載中のこの漫画は、3歳で脳性まひと診断された幼少期からの水晶がモデルとして描かれている。
「連載が決まったときは、うれしさと、もう逃げられないな、という思いとで、さらに追い込まれていった感じがありました」
この1周年コンサートにも、斉藤倫先生がトークゲストとして登場し、16歳で演奏活動を始めたばかりの水晶と偶然にも運命的な出会いをした話などで盛り上がった。
「漫画の中の僕は、目が大きくてフランスかぶれみたいにカッコよく描かれていますが (笑)、お母さんの顔がいちばんそっくりですね。恩師の中西俊博先生(作中では中吉)の雰囲気はまさにドンピシャ。ただ、名前が“なかよし先生”なのには、ププフプッと笑っちゃう。
親友のなつきくんは、すごくさわやかに描かれてるけど、実際はケンカが好きな子だったんです。耳が聞こえないから、彼にとってはぶつかることがコミュニケーションだったんですよね。こうして僕の人生が漫画に描かれてるなんて夢のようで、今後が楽しみです。ただ、僕の顔はもう少し眉毛を増やしてもらいたいですね(笑)」
ユーモアを交えたトークは、周囲を楽しい雰囲気にし、その飾らないまっすぐさに誰もが惹かれてしまう。
この1年を振り返ると、まさに「激動の年だった」と彼は言う。そして、家族や自らの病状も含めて、これからも、その日々は続いていく。
「僕はもともと格闘技マニアで、リハビリのためにも長くボクシングをやっていたので何でもボクシングにたとえるクセがあるんですけど。デビューする前の僕は、常に青コーナーにいる挑戦者だったんです。でも、メジャーデビューした今は、素晴らしいセコンドと名トレーナーに支えられて、挑戦者を迎える赤コーナーに立つ日本チャンピオンみたいな気持ちです。
音楽は争いごとじゃないし、何を言ってるか、わかりづらいかもしれないけど。
ファンの方たちや大勢の方が僕の背中に夢をのせてくれている。その責任は計り知れなくて、僕に逃げ道はないんです。“よし、かかって来い!”と言いながら、さらに世界チャンピオンを狙っている。それが今の僕です」
デビュー2年目への目標は、「去年の自分を超えること」。
障がいによる衰えを受け入れながらも、決してあきらめずにあらがい続ける。青コーナーに立つ挑戦者は、もしかしたら、昨日の式町水晶なのかもしれない。
(取材・文/相川由美)