「このイボは第2の耳」脳性まひのバイオリニスト・式町水晶に隠された秘密
「生まれたときは3日間の命と言われて。脳なり目なりに障がいが出るということは最初から覚悟していました」
バイオリニスト・式町水晶(22)の母で『脳性まひのヴァイオリニストを育てて』(主婦と生活社)の著者・式町啓子さん(49)が聴衆に語りかけた。
「気持ちは水晶のマネージャー」という啓子さん。
地元・小田原の平井書店・平井義人店長に直接、本の売り込みに訪れたことから、母子でのブックトーク&ミニコンサートが決まり、6月30日に駅近くのオービックビルで開催された。
「小脳低形成」という障がいを克服するためにリハビリではじめたバイオリンでメジャーデビューを果たした水晶。1歳のころに訪れたディズニーランドで聞こえてきた『小さな世界』のメロディーに反応しているのを見て、「耳がいいのかな」と思ったことが音楽への挑戦のはじまりだった。
また、3歳の時には耳の後ろにイボがあることを発見し耳鼻科で取ってもらおうとしたところ、医師に「これはイボじゃない。第2の耳だ。取ってはいけない。この子は音楽家になる」と言われたエピソードも初めて明かし、
「水晶はまず目に障がいが出て、斜視の手術を2度しました。それもあって、悪いところがあっても別のところが補うのかな。それで耳がいいのかななんて思っていました」
そんな経験からリトミックやピアノを試して行きついたバイオリン。幼少時から音が好きだった水晶は、ピアノよりもバイオリンのほうが反応がよかったという。
そんな水晶が葉加瀬太郎の演奏を初めてみた時の輝いた顔を見て、啓子さんが「本気でやらせたい」と思ったこと。20万円もするようなドレスを発表会で1回しか着させない家庭ばかりの世界で、裕福ではないのにバイオリンを続けさせるのに苦労したこと。
脳性まひのためなかなか先生が見つからず、13人目でやっと恩師の中澤きみ子先生に出会えたこと。バイオリンの月謝の高さに驚いたこと。水晶とは血のつながらない祖父が自分の家を売って費用を出してくれたこと。2DKの平屋に4人で暮らし、どんなところでも演奏ができるようになったこと。デビューをさせると言われて騙されたりしたこと、などなど本には書かれていないことも交えての話は地元から集まった老若男女50人の耳を引き付けた。
書籍の担当編集者で芸能ジャーナリストの荒木田範文氏(現:フライデーデジタル)も駆けつけ、出版のきっかけを問われると、「私が死んでもこの子が生きていけるようにしなければと話す啓子さんが、脳性まひの水晶くんをお金持ちでもないのにバイオリンで食べていけるようにと考えたことに非常に興味をひかれた」と当時の驚きを吐露。
「バイオリンはものすごくお金がかかる世界。それを乗り越えようとした啓子さんの熱意とバイタリティに心を打たれた」と語ると会場から拍手が沸いた。
消防士に大人気の『孤独の戦士』
後半は式町水晶のミニコンサート。エレクトリック・バイオリンとクラシック・バイオリン、2台のバイオリンを使い9曲を披露した。1曲目はデビューCDの『孤独の戦士』。演奏が終わると語りかける。
「この曲は刑務所の慰問や消防署のイベントなどで喜んでくれる人が多いんです。人はつらいとき、悲しいときに慰めてくれる人がいるとうれしいですよね。でも、そう都合よくいかないときも多い。ひとりぼっちで困ったときに、“自分には力がある”って気づいてもらいたくて作った曲です」
陸前高田の『奇跡の一本松』を素材にした『TSUNAMIヴァイオリン』では『上を向いて歩こう』などを演奏。
「母は苦労人だけどポジティブすぎて、何もしてないのにがんがステージIIからIに下がっていた。母みたいなタイプはいちばん、がんが嫌がるんです」と病気の話なのに面白おかしく笑い飛ばす。
「僕も何度か死にかけたけど元気でやってます。病気ってそういうもの。心配してるとどんどん具合がわるくなる」
水晶は「みなさんが幸せになるように」と言うと『星に願いを』『スマイル』を続けて演奏。
「母は何よりも“人を大事にしなさい”と言ってくれました。お金も大事だけれど人とのつながりはもっと大事。人と関わっていたら助けてくれることも多いかもしれない。そんなことを考えながら、僕もいつもやっています」
会場中がトークと美しい音色に聞き入り、元気とパワーをもらって帰っていった。