最近では、観光名所に乱立する注意を促す看板などが景観を乱している。看板を立てる前にマナー違反の対策をきちんと考えるべきだ(写真:JACK SWING/PIXTA)

右肩上がりで増加する訪日外国人観光客。2018年度はついに3000万人を超えると見込まれているが、京都をはじめとする観光地へ観光客が殺到した結果、トラブルが続発している。
オーバーキャパシティーがもたらす交通や景観、住環境などでの混乱。その影響は、景観を最重視すべき観光地での「看板の氾濫」といった形でも表出、深刻化している。
この問題にいったいどう対応すべきか。京都在住の東洋文化研究者アレックス・カー氏と、ジャーナリスト・清野由美氏が建設的な解決策を記した『観光亡国論』から、観光公害に苦しむ京都の最新事情と取るべき対策について紹介する。

観光公害」以前にあったもう1つの「公害」

前回記事で、京都と世界での観光公害の話題を記しました。実は日本の観光地には、外国人観光客増加がもたらす「観光公害」以前に、もう1つの公害が長いこと存在しています。そしてそれは、残念ながら多くの日本人の目には映っていないようです。

それが「看板公害」です。

観光公害がニュースなどで取り上げられるときは、キャパシティーを超えた混雑や、違法民泊の問題がクローズアップされがちです。しかし名所や町にあふれている看板も、観光や文化に間違いなくダメージを与えています。

試しに観光名所を訪ねてみましょう。

近くに行くと、街角に「何々寺はこちら」、駐車場には「入り口はこちら」、門には「重要文化財」、参道には「順路はこちら」、路地には「トイレはあちら」の看板が。中に入れば、その玄関に「土足厳禁」「禁煙」「火気厳禁」。廊下と座敷前、庭の前には「撮影禁止」。美術品には「撮影禁止」に加えて「ガラスに触るな」。

見終えて名所を出れば、その出口には「売店はこちら」。出たところでもう一度「駐車場はこちら」と、最初から最後まで、際限なく看板に迎えられます。従来の文字による注意や標識に加え、最近ではアニメやゆるキャラを加えたバージョンまで増殖しています。

どんなに由緒のある寺社仏閣であろうとも、ひとたび足を踏み入れれば、「境内禁煙」「立ち止まらないでください」「危険」「柵外に出ないでください」といった、注意のオンパレード。境内を見渡して目に入ってくるのは「有料駐車場/ご参拝の方は無料です」「受付所」「TOILET」「厄除け祈願受付」……。

私は日本の「神道」に関心を持ち、インバウンドツアーに向けた特別参拝の手配や、神道の歴史についてのレクチャーなどを行っています。神社と神道の儀式は、水で「禊」、「大幣」で清め祓いを行い、「祝詞」をあげて「祓へ給ひ清め給へ」と願うなど、あらゆる形で潔癖で、清らかな「神の世界」を表しています。

「神社の境内は『神が宿る地』ですので、参拝する際には手と口を清めます」と、外国からの参加者には説明しますが、その後でみんなを連れて神社を訪れると、境内は見苦しい看板だらけ。潔癖どころか、ゴミゴミした環境を見て、「清らかさはどこにあるのか」とびっくりされます。

確かに近ごろの神社仏閣は、歴史や信仰というよりも「指示」と「注意」、または客を迎える「商売」の場になってしまっています。

寺社がそのような状況であれば、街中はいわずもがな。通りを歩けば、店や商品の宣伝看板の洪水。聖域から俗域まで、そして都会から田舎まで、至る所看板だらけで、それが景観への大きな阻害要因になっているのです。

キリがない「多言語表示」は必要なのか

看板公害とは、インバウンドが急増する以前から、日本の観光名所に長く存在していた問題でした。つまり、観光に関連した「公害」とは、全部が全部、インバウンドによって引き起こされたものではない、ということです。

最近では、世界各国から観光客を日本にお迎えしましょう、という背景もあり、英語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、アラビア語と、看板に記される言語もキリがありません。国際的な観光機運の中で、多言語表示は、基本的にはいいことではあります。

ただし日本の場合、インバウンド増加を呼び水に、もともと過剰な看板が多言語化して、2倍、3倍と増えていく事態を招きかねません。

実際に福岡県のあるお寺では、外国人観光客が急増したことで、境内での飲酒飲食やスケートボードの乗り回しなどマナー違反も急増。12カ国語でマナーを喚起する看板を設置しました。しかし、それでも効果はなかったそうです。

さらに気をつけるべきは、観光名所や商業施設などで、マナー喚起のアナウンスを多言語でエンドレスに流す動きです。

看板は目をそらせば見なくてすみますが、耳を直撃するアナウンスからは逃れられず、それは精神的なストレスになります。アナウンスにも適切なやり方を取り入れなければ「視覚汚染」のみならず「聴覚汚染」も広がってしまいます。

言語に限って言えば、日本語と英語、もしどうしても必要なら中国語、という3カ国語でほぼ事足りるはずです。

しかも今はアプリを使った翻訳の精度が日進月歩で高まっている時代です。テクノロジーの発展に任せられるところは、どんどん任せればいい。それでも多言語での説明が必要な場面では、説明用のパンフレットやオーディオガイドのほうで多言語展開をすればいいのです。

1つの救いは、日本の役所がそのような認識をベースにし始めていることです。

例えば観光庁は「観光立国実現に向けた多言語対応の改善・強化のためのガイドライン」(2014年)で、「駅名表示、立ち入り禁止、展示物の理解などに関する基本ルールは、日本語と英語の2言語」と記しています。つまり、際限なく広がりがちな多言語表示について、ルールを示しているのです。

一方で総務省も、2020年東京オリンピック・パラリンピックを前に、交番、観光案内、入国管理などを想定した自動翻訳の導入を推進しています。実際に、日本語、英語、中国語、韓国語、ベトナム語など31言語の翻訳が可能なスマートフォン向けアプリ、「VoiceTra」を開発しています。

景観を壊す可能性の高い看板による多言語表示ではなく、アプリなどを用いたテクノロジーによる解決は、上手に進めていただきたい動きの1つです。

翻訳で陥りがちな失敗

多言語化について少し補足をするならば、翻訳の質にも注意することが必要です。日本では、翻訳する際に起こりがちな失敗が2つあります。

1つは、せっかく多言語にしても、翻訳の質が低く、かえって対象の価値を損ねてしまっているパターン。もう1つは、欧米人や中国人向けの案内を、相手側ではなく日本人から見た興味だけで書いてしまうことです。

観光客が興味を持つポイントは、それぞれの母国の文化によって違いますし、また興味を満足させるための文章表現、スタイルも変わってきます。そのためには、外国からのインバウンド動向に詳しく、文章表現のスキルのある人に頼む必要があります。外国人の翻訳なら誰でもいいわけではないのです。

翻訳には、その国の文化レベルが如実に表れます。翻訳は、きちんとしたプロにお願いしてほしいと強く感じています。

ここでまた観光公害に悩まされている京都の事例を挙げたいと思います。京都といえば祇園、祇園といえば花見小路ですが、近年そこに「パパラッチ観光客」が大挙して押しかける事態になっています。

日暮れ時に花見小路に行ったとき、お座敷に出る芸妓さんと舞妓さんを観光客が取り巻き、顔先にスマホを向けて、バシャバシャと写真を撮っている光景に出くわしたことがあります。あまりのマナー違反に、思わず眉をひそめましたが、聞けばそのような光景がむしろ常態化しているといいます。

祇園ではパパラッチだけでなく、スナック菓子を食べたその手で舞妓さんの着物に触る、着物を引っ張って破く、袖にタバコを入れる、といった悪質な行為も報告されています。舞妓さんはおこぼ(高さ約10センチメートルの下駄)を履いているので、着物の袖を引っ張られたりすると転ぶ恐れもあり、あぶないのです。

よその土地に観光に来ている、ということで、普段よりはしゃいでしまうのでしょうが、舞妓さんへのちょっかいだけでなく、祇園では木造の建物の軒先でタバコを吸ったり、飲食をしたり、完全にプライベートな空間である置屋の玄関をいきなり開けたりするなど、観光客による数々の不行跡は枚挙にいとまがありません。

その不行跡への対策として祇園が選んだのは何か。それは「舞妓さんに触れてはいけません」「食べ歩きはやめましょう」といった禁止行為をイラストで記した看板の設置でした。結局、「看板」に頼る以外のアイデアがないのです。

世界で問題化する観光客の「マナー違反」

観光客のマナー違反は、祇園に限ったことではなく、世界中で問題になっています。

フィレンツェでは、サンタ・クローチェ聖堂など世界遺産の周囲で飲食をする観光客が問題になりました。ミケランジェロやガリレオが眠る聖堂の前に、食べ残しのゴミが散らかる事態に対抗して、フィレンツェ市はランチの時間帯に階段や建物の周囲に水をまいて、人が居座れないような強硬作戦に出ました。

タイのチェンライにあるホワイト・テンプル(ロンクン寺院)は、敷地中が白で統一された奇妙な味わいの観光名所ですが、ここにも近年は観光客が大型バスで押しかけて、さまざまなトラブルを起こすようになりました。

例えば中国人女性が使用後にトイレの水を流さず、トイレットペーパーの塊を便器の中に捨て、係員が注意したけれど、無視して去ってしまった、というようなトラブルも報道されています。言語だけでなく、さまざまな文化や生活習慣を背景に持つ観光客に対して、どのようにマナーを喚起するか。それについては世界中が試行錯誤を続けている最中です。

ここで祇園の花見小路に関して、“看板以外の”創造的な解決策を考えてみましょう。それは例えば「花見小路レーン」の設置です。花見小路の半分を仕切り、そこに芸妓、舞妓、置屋、お茶屋さんら、地元の花柳界や飲食店の関係者しか歩けない歩道を設けてはいかがでしょうか。

「花見小路レーン」は歩行者天国ではなく、あくまで「地元民天国」。地元民にはパスを発行し、パスを持っていない人は歩けない。花見小路に並ぶお店に接近できるのも、予約のある客だけ。レーン設置の時間帯を芸妓さん、舞妓さんたちが出勤する夕方に限定すれば、大きな支障も出ません。これを実行したら、観光公害に悩む京都が行った“英断”として、世界的なニュースになるかもしれません。

もう1つ、入り口に「マナーゲート」を設ける方法も考えられます。ゲートを通過できるのは、事前にマナー講座を受けた人だけ。それらの受講者には特別なパスが発行され、特権的にゲートを通ることができるようにするのです。

ゲートの設置は花見小路だけではありません。清水寺、二条城、金閣寺、銀閣寺……。混雑を極めるあらゆる観光名所に「マナーゲート」を設けましょう。もちろんマナー講座は外国人だけに用意するのでなく、日本人観光客にも受けてもらいます。

「日本人にもマナー講座を」というと、ブラックジョークにも聞こえるかもしれませんが、要は観光をするにあたって最低限の常識を観光客に持ってもらうことがいかに大切か、ということです。

そろそろ日本も「大人の対応」を

最後の手段として、罰金もあるでしょう。実際にフィレンツェなどでは、悪質なマナー違反に対して罰金を科しています。

祇園では数の多い外国人観光客の蛮行が目立ちますが、実はそれと同じく困った人たちが、日本人によるパパラッチ行為です。観光客が舞妓さんに群がるときに、ここぞとばかりに便乗して、日本人の「変態パパラッチ」が盗撮や痴漢に近い行為を働く事例が聞こえてきています。


そこで「舞妓さんにタッチしたら10万円」という罰金条例を制定することにしたらどうでしょうか。蛮行1回10万円となれば、傍若無人な人でも少しは躊躇するはずです。

極端な案も含め、ここでいくつかのアイデアを記したのは、マナーコントロールの帰着点を「看板」にしないためです。

人は「看板」があるからマナーを改めるのではありません。「看板」を見て、それでマナーに注意を払えるような人は、そもそもマナー違反をしない人のはずです。来訪者を子ども扱いして、「これはダメ」「あれはダメ」「これをしろ」「あれをしろ」と、あらゆる行動を規制しようとすると、キリがありません。

マナー違反などがあまりに多い場合にはそれを防ぐ仕組みを導入する。看板については必要性を吟味し、必要がある場合は、デザインと位置に留意したうえで設置する。それ以上は、相手の常識に任せるしかないのです。
 
そして世界でも有数の著名な観光地を多く持ち、実際に世界各国から観光客を迎え入れなければならなくなった日本は、そろそろそのような成熟した「大人の対応」へとシフトするべき時代を迎えているのです。