5日放送、テレビ朝日「報道ステーション」では、福岡ソフトバンクホークスの甲斐拓也にインタビュー。育成時代に味わった挫折と、乗り越える助けとなった母親の存在を語った。

兄の影響で野球を始め、小学1年生から本格的に取り組むようになった甲斐は、「他人と変わったことをしたかった」と、独特なポジションである捕手に憧れた。

高校入学後に本格的に捕手の道に進むと、2010年に育成ドラフト6位でソフトバンクへの入団を果たす。だが、背番号は「130」。育成選手は1軍の試合にでも出られない。

「最初はユニフォームを着られるだけで幸せ、十分」と思っていた甲斐だが、背番号に恥ずかしさ、悔しさを感じるようになる。「育成はプロ野球選手じゃない」とも言われ、「ユニフォームを着ているだけじゃ意味がない」と、悔しい思いをするようになった。

そんな育成時代、2軍の試合に1イニングだけ出場したことがある。2失点したが、チームは勝利した。だが、試合後にトイレの個室にいた甲斐は、それを知らずに入ってきた年上の投手が「めちゃくちゃ投げにくかった」と話すのを耳にしてしまう。

先輩からの批判に、甲斐は「捕手として無理なんだろう」と思ったという。「小さくて投げにくかったと言われて、それはどうにもできない。背丈を大きくすることはできないですし、『二度と組みたくない』と言われたのは、やっぱり涙が出ますよね」と振り返った。

野球をあきらめようかとくじけそうになった甲斐を支えたのは、母の存在だ。母子家庭で育った甲斐は、母親と「友達のようになんでも話す」という。「一番の味方」という母親に、「ダメかもしれん」と戦力外になるかもしれないと伝えたそうだ。

すると、「私がずっと味方でいるから、何でも話しなさない」という母親からは、「ダメだったら帰ってきたらいいから」と励まされた。これで甲斐は「帰る場所があるんだから、やる以上、思い切ってやろう」と奮起。入団から3年後、支配下登録に入り、背番号も二桁の62番になった。

そんな母親への一番の恩返しを問われると、甲斐は「まだできてないんじゃないですかね。まだその途中だし、僕も満足していない」「ずっとこれから喜ばせていきたい。まだまだそういう意味では(恩返しを)できていない」と答えている。

「野球が好き。好きだからできた。好きじゃなかったらとっくにやめていた」と、生まれ変わっても野球選手になりたいという甲斐。また捕手をやるかとの質問には、「ちょっと考えますね」と笑ったが、最後は「やっぱり捕手が好きかな。そのおかげで今の自分がある。捕手を選ぶんじゃないですかね、たぶん」と締めくくった。