料理、芸術、民間信仰…。日本では芸達者すぎる魚「ナマズ」のあれこれ

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前回は、中世までの日本人とナマズの関わりについて紹介しましたが、今回は近世から現代までのナマズにまつわるお話を紹介致します。近世以降、特に江戸時代はナマズに関係する文化が非常に盛んでした。

食用に薬用!西洋人医師も興味深く観察した江戸期のナマズ食

江戸時代は、南蛮貿易やキリスト教徒の影響もあって家畜の肉を食べた戦国時代と異なり、魚料理が非常に栄えた時代でした。それはナマズも同じで、中世のように煮る以外にも杉焼や練り物、鍋焼などバリエーションが豊富になります。現代と同様に、かば焼きで賞味することも始まっていました。

「ほね抜どぞう なまづ おなんぎ 大家破焼」無款

しかし、元禄10年(1697年)にまとめられた『本朝食鑑』と言う書物では食味の良さを褒めつつも、蒲鉾の原料になったり、膾にするくらいしか使い道がないと記されています。また、地域によっては神聖視されて捕獲と食用がタブーとなる事もあり、熊本県の阿蘇神社などが有名です。

一方、幕末に来日したドイツ人の医学者・シーボルトによる『日本動物誌』では、ナマズは食用より薬用として用いられていたとする記述があります。好んで食べる人もいれば、神の使いとして崇める人もいて、かつ外国人の視点から見れば薬用生物だったナマズは、まさに捉えどころのない魚です。

世相を描き出した鯰絵とは?

江戸時代のナマズ文化を語るに欠かせないのが、鯰絵です。これはナマズを題材にした錦絵の事で、地震や噴火を起こす妖怪として描かれたものから、それに関する様々な社会事情を描いています。

なぜナマズが災害を起こす怪物のように扱われたかというと、地震などが起こる前兆として音や振動に敏感なナマズが不穏な動きをするのが理由とされます。そのために鯰絵では鹿島神宮の神様に押さえつけられた妖怪ナマズが描かれることもありました。

「地震小咄」無款

ナマズは地震や噴火を予測してくれているにもかかわらず、不安がって動いたために悪者とされ、少々可哀想な扱いを受けていました。一方で災害から人を救う善なるものとしてナマズが登場する鯰絵や、前回紹介した『瓢鮎図』にも近い構図で猿がナマズを瓢箪で捕まえようとする『大津絵』など、外見通りに愛嬌たっぷりな作品も決して少なくはないのです。

ウナギにかわる土用の主役は…ナマズ?

近代化以降、技術の進歩と共に様々な食材が私たち日本人の食卓に上るようになると、ナマズは郷土料理など特別な場合を除くと食べられる頻度も少なくなり、すっかり地味になってしまいました。しかし、そんなナマズにも脚光を浴びる時が到来しつつあります。それが、土用の丑の日です。

ウナギが絶滅危惧種認定されたニュースは記憶に新しいですが、その代用としてナマズが注目されるようになっています。近畿大学が土用の丑の日にかば焼きにできるナマズの開発に乗り出し、日本なまず生産株式会社が立ちあげられたり、販路が拡大されるなどの活動が広がっています。

「鯰の料理」無款

筆者は未体験ですが、ナマズはずんぐりした外見に反し、ローカロリーであっさりした風味の白身魚として好むファンも少なからずいます。土用の日に懐具合を気にせずかば焼きを堪能したい方は、お手頃価格のナマズを試してみる価値はあるかもしれませんね。