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 21日付の日本経済新聞は金融庁が検査局を廃止し、金融機関との対話を重視する姿勢へ転換することを伝えている。金融機関の安定が社会経済の安定的な継続の重要な条件であるとの認識により、昭和初期の金融恐慌やバブル経済の崩壊による金融危機なども教訓にしながら、金融機関への強権的な検査・監督姿勢は大蔵省から金融庁へ引き継がれていても変わることはなかった。

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 数年ごとに行われる金融検査は、金融機関の資産査定のウエイトを時代によって変化させつつも、大きなインパクトを持って行われた。バブル期に話題になった“モフ担”という部署も、次の金融検査の傾向や重点項目、何時になるのかといった重要関心事を事前に把握して検査の準備を行いたい、という金融機関の僅かな望みを形にしたものであった。

 なにしろ金融検査は抜き打ちで、規模の大小にかかわらずほとんど同一内容の調査表の提出を厳格な期日設定の下に求められる。遅れることは許されないという強迫観念に駆られて、早朝までの整備作業を不眠不休で何日も続けることが当たり前だった。あの時代に“過労死”と言う概念があったら大蔵省か金融庁が処罰されたのだろうか?

 金融機関の職員にとっての怨嗟の対象であった検査局が廃止となり、対話を重視するというのであるから、金融庁も大きな変身を遂げるものだとシミジミ時代の変化を感じていたら末尾に、「来年夏から立ち入り検査は監督局と総合政策局の担当官がチームを組んで行う計画」だとある。3月17日の「金融モニタリング有識者会議報告書」を見てみると、今後の検査・監督の重点領域として、(1)ベスト・プラクティスの追求に向けた対話 (2)持続的な健全性を確保するための動的な監督 (3)顧客との共通価値の創造、と格調高く謳われている。検査局の担当分野が監督局と総合政策局の担当に変化しただけではないのだろうが、看板の架け替え程の意味があるとは思えない。

 金融機関には今までの金融検査のトラウマがある。地検特捜部の取り調べを受けるいわれはないが、歴戦の支店長が検査担当官とのやり取りを通して憔悴を深めていく過程はまるで取り調べだったのではないか。当時の資産査定の様子を見つめていた目が、金融庁のどこが変化したのかを静かに観察するだろう。金融庁が本当に変わったと認識される日はいつになるのか?