本当に国民に主権はあるのか? 政治家を好き勝手にさせないためには
5月3日に施行70周年を迎えた日本国憲法。改正されていない現行憲法としては、世界最古として知られているものの、たびたび改憲の議論が巻き起こっている。
日本国憲法の3本の柱といえば「基本的人権の尊重」「平和主義」、そして「国民主権」だ。しかし、果たして国民の意志が政治に反映されているかと言われると、疑問に思ってしまう人は少なくないのではないか。
では、「国民主権」を達成するために国民は一体何をすべきなのか?
日常の事柄から憲法の条文を結び付けて分かりやすく解説した『憲法って、どこにあるの? みんなの疑問から学ぶ日本国憲法』(集英社刊)の著者で、大阪国際大学准教授の谷口真由美さんにお話をうかがった。
(新刊JP編集部/金井元貴)
■国民主権のキモ「国会における代表者を通じて行動」の意味
――憲法について話をするときに、基本的人権の尊重や平和主義は話題にあがりやすいですが、国民主権は議論があまりなされていないように思います。そこで今回は、「国民主権とは何なのか」という話を伺いたいのですが。
谷口:そうなんですよ。国会議員を叩いたり、「野党はあかん、でも与党もダメ」と言っている人たちは全員、日本国憲法の前文の一文目を読んでほしいです。そこには「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と書かれているはずです。
これが国民主権です。私たちは選挙で選んだ代表者を通じて行動をせなあかんということです。でも、実際は選挙で誰に入れたか忘れてしまっている。自分が選んだ議員が何委員会に所属していて、どんな意見を言っているのか、誰もウォッチしていないんです。
だから、政治家にとってこんなにやりやすい国はないですよ。少なくとも、自分が誰に投票したのか、誰を選んだのかくらいは覚えておきましょう。もし忘れているとするならば、政治家が悪さをしても、それは国民にも非がある。ちゃんとウォッチしてなければ、やりたい放題やるものですから。
――憲法12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とありますが、国民が努力しなければ自由が失われていくということですよね。
谷口:それもあっさりと。99条と関わってきますが、歴史を見てみても権力は放っておくと暴走します。それをどのようにプロテクションすべきか。そのためには不断の努力が必要なんですね。
ではどんな努力をすべきかというと、一番分かりやすいのが、自分が選んだ代表者が一体何をしているのか知るということです。不断の努力は、「普段」の努力でもある。普段からちゃんとウォッチしておくことが大事なんですね。
歴史的に見ても、必ずしも国家を守ることが民衆を守るということにつながるわけではありません。国家間の戦争で犠牲になるのは民衆ですし、国家にとって都合の良いルールで振り回されるのも国民です。だから、疑いの目を持ちながら、自分にとって厄介な国家かどうかという視点で見てみるといいですね。
現行憲法は国民を権力から守るものであり、権力から自由を遠ざけるためのものでもあるんです。これを知らないとまず話にならない。
――ただ、今の憲法を知らない人が圧倒的に多いです。それは何故なんでしょうか。
谷口:教育の問題は大きいでしょうね。何で知らんのやろと思うけれど、よく考えてみたら私も大学に入るまで(憲法について)知らなかったですから。
――教育といえば、選挙権が18歳に下げられ、高校生も選挙に参加できるようになりましたよね。そういうところで何かが変わるのではないかとも感じますが。
谷口:どうでしょう。お祭りみたいに見られていますし、勝ち負けが存在しますからね。選挙って自分にとっての勝負でもあって、自分が投票した人が勝ったら嬉しいじゃないですか。特に若い子は強い人やヒーロー的な人が好きですから、強そうな人に入れたくなる心情は分かります。
――でも、大人でも強い存在に依りかかる人は多くないですか?
谷口:特に普段の生活で何かに「負けている感」がある人はそうなりがちではないでしょうか。勝てる気分を味わいたい。自分の応援している人に乗っかることができますから、討論で言い負かしたら自分が相手を倒したような気分に浸れます。
でも、それは自分がないってことですよね。勝ち馬に乗っかっているだけだし、もちろん責任も取らない。もし自分の選んだ人が失敗しても「やっぱアイツあかんかったな」と言って終わりです。それで新しい勝ち馬に乗る。
改憲の議論もそうですけど、「一億総評論家社会」なんて必要ないんですよ。国民主権は自分が主体ではないと達成できないんです。「私」が中心にあって考えないといけないわけですね。
――今後、改憲の議論は進んでいくと思います。その中で、私たちはどのような視点で日本国憲法を見ればいいのか、改憲の議論をウォッチすればいいのか、アドバイスをお願いします。
谷口:まず、憲法改正とは国の形、あり方が変わるということを認識した上で、改憲草案でどのような国の形が思い描かれているのかちゃんと見据えるべきでしょう。
また、改憲の議論は現行の憲法のもとに進みます。ここで肝に銘じなければいけないのは、私たちは前文にあるように「代表者を通して行動」するということです。改正に賛成するのはいいけれど、どの条文をどのように改正すべきかを自分なりに考えないと、自分が不利になってしまうかもしれない。行動するのは私たちですから。
――行動せずに人任せにしていると、マイナスの部分が出てきたら犠牲者になるかもしれない。
谷口:そうです。でも行動を続けていればいくらでもアクションが取れるじゃないですか。日本は議院内閣制ですから、代表者を自分たちで決められるんです。選んだ人が暴走したとしたら、それは私たちが行動しなかったからです。
改憲の議論で俎上にのぼりやすい9条なんかは、例えてみればもう仮面夫婦みたいな状態になっている側面があります。でも、仮面夫婦でも続けているほうが良いという考え方もありますよね。いろんな事情があって、続けていく決意をしている夫婦もいるわけですし、それを他者が批判する必要もない。どうしていくかを考えるのは、当事者同士です。つまり、国民主権のある者同士なら考えないといけないわけです。続けていたら、修復する可能性だってあるけれど、解消してしまったらもう元に戻れないということもあります。いろんな思いが行ったり来たりして、そんなにスッキリサッパリとはいかないはずなんですよ、改憲の議論って。でも、そこまで悩んだり苦しんだりしている改憲議論は、ほとんど見かけたことがありません。
一人ひとりが考えて本当に良いと思える道を進んでいくために、まずは「私」という存在を通して、日本国憲法を考えてみることから始めてほしいですね。
(了)
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では、「国民主権」を達成するために国民は一体何をすべきなのか?
日常の事柄から憲法の条文を結び付けて分かりやすく解説した『憲法って、どこにあるの? みんなの疑問から学ぶ日本国憲法』(集英社刊)の著者で、大阪国際大学准教授の谷口真由美さんにお話をうかがった。
(新刊JP編集部/金井元貴)
――憲法について話をするときに、基本的人権の尊重や平和主義は話題にあがりやすいですが、国民主権は議論があまりなされていないように思います。そこで今回は、「国民主権とは何なのか」という話を伺いたいのですが。
谷口:そうなんですよ。国会議員を叩いたり、「野党はあかん、でも与党もダメ」と言っている人たちは全員、日本国憲法の前文の一文目を読んでほしいです。そこには「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」と書かれているはずです。
これが国民主権です。私たちは選挙で選んだ代表者を通じて行動をせなあかんということです。でも、実際は選挙で誰に入れたか忘れてしまっている。自分が選んだ議員が何委員会に所属していて、どんな意見を言っているのか、誰もウォッチしていないんです。
だから、政治家にとってこんなにやりやすい国はないですよ。少なくとも、自分が誰に投票したのか、誰を選んだのかくらいは覚えておきましょう。もし忘れているとするならば、政治家が悪さをしても、それは国民にも非がある。ちゃんとウォッチしてなければ、やりたい放題やるものですから。
――憲法12条で「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とありますが、国民が努力しなければ自由が失われていくということですよね。
谷口:それもあっさりと。99条と関わってきますが、歴史を見てみても権力は放っておくと暴走します。それをどのようにプロテクションすべきか。そのためには不断の努力が必要なんですね。
ではどんな努力をすべきかというと、一番分かりやすいのが、自分が選んだ代表者が一体何をしているのか知るということです。不断の努力は、「普段」の努力でもある。普段からちゃんとウォッチしておくことが大事なんですね。
歴史的に見ても、必ずしも国家を守ることが民衆を守るということにつながるわけではありません。国家間の戦争で犠牲になるのは民衆ですし、国家にとって都合の良いルールで振り回されるのも国民です。だから、疑いの目を持ちながら、自分にとって厄介な国家かどうかという視点で見てみるといいですね。
現行憲法は国民を権力から守るものであり、権力から自由を遠ざけるためのものでもあるんです。これを知らないとまず話にならない。
――ただ、今の憲法を知らない人が圧倒的に多いです。それは何故なんでしょうか。
谷口:教育の問題は大きいでしょうね。何で知らんのやろと思うけれど、よく考えてみたら私も大学に入るまで(憲法について)知らなかったですから。
――教育といえば、選挙権が18歳に下げられ、高校生も選挙に参加できるようになりましたよね。そういうところで何かが変わるのではないかとも感じますが。
谷口:どうでしょう。お祭りみたいに見られていますし、勝ち負けが存在しますからね。選挙って自分にとっての勝負でもあって、自分が投票した人が勝ったら嬉しいじゃないですか。特に若い子は強い人やヒーロー的な人が好きですから、強そうな人に入れたくなる心情は分かります。
――でも、大人でも強い存在に依りかかる人は多くないですか?
谷口:特に普段の生活で何かに「負けている感」がある人はそうなりがちではないでしょうか。勝てる気分を味わいたい。自分の応援している人に乗っかることができますから、討論で言い負かしたら自分が相手を倒したような気分に浸れます。
でも、それは自分がないってことですよね。勝ち馬に乗っかっているだけだし、もちろん責任も取らない。もし自分の選んだ人が失敗しても「やっぱアイツあかんかったな」と言って終わりです。それで新しい勝ち馬に乗る。
改憲の議論もそうですけど、「一億総評論家社会」なんて必要ないんですよ。国民主権は自分が主体ではないと達成できないんです。「私」が中心にあって考えないといけないわけですね。
――今後、改憲の議論は進んでいくと思います。その中で、私たちはどのような視点で日本国憲法を見ればいいのか、改憲の議論をウォッチすればいいのか、アドバイスをお願いします。
谷口:まず、憲法改正とは国の形、あり方が変わるということを認識した上で、改憲草案でどのような国の形が思い描かれているのかちゃんと見据えるべきでしょう。
また、改憲の議論は現行の憲法のもとに進みます。ここで肝に銘じなければいけないのは、私たちは前文にあるように「代表者を通して行動」するということです。改正に賛成するのはいいけれど、どの条文をどのように改正すべきかを自分なりに考えないと、自分が不利になってしまうかもしれない。行動するのは私たちですから。
――行動せずに人任せにしていると、マイナスの部分が出てきたら犠牲者になるかもしれない。
谷口:そうです。でも行動を続けていればいくらでもアクションが取れるじゃないですか。日本は議院内閣制ですから、代表者を自分たちで決められるんです。選んだ人が暴走したとしたら、それは私たちが行動しなかったからです。
改憲の議論で俎上にのぼりやすい9条なんかは、例えてみればもう仮面夫婦みたいな状態になっている側面があります。でも、仮面夫婦でも続けているほうが良いという考え方もありますよね。いろんな事情があって、続けていく決意をしている夫婦もいるわけですし、それを他者が批判する必要もない。どうしていくかを考えるのは、当事者同士です。つまり、国民主権のある者同士なら考えないといけないわけです。続けていたら、修復する可能性だってあるけれど、解消してしまったらもう元に戻れないということもあります。いろんな思いが行ったり来たりして、そんなにスッキリサッパリとはいかないはずなんですよ、改憲の議論って。でも、そこまで悩んだり苦しんだりしている改憲議論は、ほとんど見かけたことがありません。
一人ひとりが考えて本当に良いと思える道を進んでいくために、まずは「私」という存在を通して、日本国憲法を考えてみることから始めてほしいですね。
(了)
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