イノベーションを妨げる日本社会の低いリスク許容度/日沖 博道
弊社が日々クライアント企業と様々な新製品もしくは新サービスの仮説を議論・検証している中で、首をかしげてしまう規制や社会的慣習というものが日本にはまだまだ少なくないことを実感することが往々にしてある。
先日も、某クライアント企業が持つ独自技術を応用し、街角を行く人々をモニターしてマーケティング的に生かそうというサービス仮説を議論し始めたところ、担当者から「あっ、その適用は少し前に別件検討の際に法務に相談しましたが、難しいと言われました」と即応されてしまった。要は個人情報保護法に引っ掛かる可能性があるというのだ。
このサービス仮説には個人を特定する狙いはないが、公道において一般人の顔と姿形をデジタル画像認識するため、そこで得られた画像データの使い方によっては個人が特定できてしまうというのだ。つまり、ある個人が特定の時刻に特定の場所にいたことが特定できてしまうし、その企業に勤める一般人がそのデータにアクセスできる可能性があるわけだ。
ちょっと以前だったら防犯カメラの精度が低かったし、画像認識技術もそれを補うことが難しかったので、そもそも心配すら必要なかったのだが、今や両方の技術レベルが急速に向上したため、皮肉なことにこうした新しい懸念が急速に浮上しているのだ。
日本でこの個人情報保護法上の懸念を回避するためには、大変ややこしい条件(割愛する)を克服しないと違反で摘発されかねないし、仮にそれらの条件を満たしても行政から画像カメラの設置許可が下りないかも知れないという(住民などに「これは誰がどんな権限で許可したのか」とクレームが出ることを自治体は嫌がるため)。
大手民間企業はそうした状況判断の下、先回りして自主規制(つまり断念か、大幅にエッジをそぎ落とした内容に変更)してしまうことが少なくない。さもなければ行政を巻き込んで大々的に実証実験を行うしかないが、この道は相当な手間とコストを覚悟しなければいけないため、「割に合わない」と上層部に却下される可能性も高い。
かくして日本社会ではまた一つイノベーションのネタが種火の段階で消され、社会的規制の緩い海外先進国や新興国での実証実験そしてサービス開始を待つことになる。こうした事態は新薬や金融サービスの開発に関し昔からよく指摘されていたが、最近はドローンや無人車運転など広範に散見されるようになっている。
日本でイノベーションがなかなか生まれないという議論がこの20年あまりずっとあるが、決して日本人の創造性が欠如しているためではなく、むしろ社会的にリスク許容度が足らないためと感じることが少なくない。
こうした先端技術を応用する分野で日本が世界での競争に後れを取らないためには、市民・行政・企業がよりオープンな場で議論し「ここまでは問題ない」と一歩ずつリスクを許容する態度を示すことが必要だと感じる。