ドラマがヒント 「母子密着」「母が重い、しんどい」の4つの解決方法とは?/内藤 由貴子
「母子密着」、「母が重い」…という言葉
何度かドラマに見る心理相談とのつながりを書いてきました。
1〜3月のドラマの枠で、NHKのドラマ10(金曜10時〜)の「お母さん、娘をやめていいですか?」は、そういう意味で、なかなか興味深く拝聴しました。
最近、「母が重い」なんて言葉も聞きますが、斉藤由貴さんの母親役 顕子が、娘をコントロールして縛っていく姿に驚いて、「あんなお母さんいるのかな?」とのコメントも見たことがあります。
でも現実には、番組の掲示板には、ドラマを見た視聴者からの共感の声がとても多く載っています。
(番組が改編される時期なので、いつまで見られるか、わかりませんが)
さらに、娘の美月役の波瑠さんは、あの朝ドラ「あさが来た」では親の言うことをおとなしく聞くようなキャラではなかったのですが
ドラマ開始時は、母親に自分がコントロールされていることも、気づかなかったくらい、母親を無二の親友だと思って母と仲の良い主人公を演じています。
それが、彼氏となるハウスメーカーの松島(柳楽優弥さん)と出会ってから、自分が母と不自然な関係だと気づき始めます。
そんなところがイントロでした。
さて、時々、ご相談者さんのお話の中で、お母さんの存在が大きいと感じることは多いです。
多くは、お母さんの見えないコントロールがあるのに、気づいていない様子です。
いろいろなケースがありましたが、ディープな内容も多くありました。
多くは、経済的にも娘に依存していて、娘の結婚に難色を示す場合もありましたし
母親が娘の行動をすべてコントロールしているようなケースもありました。
それらの要素のほとんどが、このドラマでかなりカバーされていますが、
そのような場合、 母と娘が「共依存」と言う関係にあることが多いのです。
ドラマでは、母親は経済的に娘に依存はしていませんが、精神的に依存しています。
実際、娘がいなくなったら、母親はパニックになっていました。
娘が生きがいと言えば、聞こえはいいのですが、実は、この依存は、自分が望むように支配して縛る形で表れているのです。
一方、娘は母に寄りかかっているという感じはしません。母の期待に応えそれを実現することに、自分の存在意味を持っているかのようです。
つまり、母の期待に応え、支えることに、自分の役割を見出しているのです。
ここは、よくわかりにくいかもしれませんが…
母が娘に寄りかかって、娘はその寄りかかりを必死に支えている…
人という字のように。実はそんな図になっています。
だから、ここで母は、あの手この手で娘が自分から離れないよう、コントロールします。
娘が離れようとすると、体調が悪くなることが多い。実は自分で具合が悪くなろうと思ってはいないのかもしれません。でも、倒れてしまいます。
そんな母を置いていくなら、娘は、罪悪感を感じます。かつて美月はそれで留学を断念しています。
彼氏と付き合い始めると、表向きは賛成しながらも、尾行し心理操作も交えて、彼と別れさせようとします。
実際にこうした母子密着の場合、たいてい母親が娘の結婚を壊します。
私がかつて出会った相談者さんは、結果として、50歳過ぎても結婚できず、70歳を超えた母親に恨みをぶつけている女性もいました。
別の例では、かなりのキャリアのある女性でしたが、そのキャリアへの努力も、実は母親に認められたいという動機が大きかったのです。
ここまで書くとお気づきでしょうか。
なぜ、そんなに娘をコントロールしようとするのか。
実は「精神的な依存」の意味は、愛の供給源を娘に求めているのです。
だから、娘が離れようとすると「裏切り」という言葉になります。
娘の美月は、そんな母との関係のいびつさに窮屈さを感じ始め、その支配から逃げるために、家を出ます。
逃げた先は、彼氏である松島の家ですが、顕子はそこまで追いかけてきて、留守の間に入り込みます。美月は高校の先生ですが、職場の学校にまで押しかけてきます。
こんな愛情を押し付けを「重い」とドラマでも表現されていますが、この重さはなぜ起こるのでしょうか。
こうしたケースの場合、母親が、娘は別の人格だという感覚がほとんどありません。
自分の一部か、持ち物のようです。
顕子が趣味で作っている人形を娘に見立てているのが、その象徴です。
べったりとした関係には、分離がありません。
そして、夫との関係が希薄。これも、パターンです。
本来、夫からの愛を十分に得ていたら、娘にここまで愛を求めることはないでしょう。
その少し前まで、夫は母娘の関係を見ないようにしてきた仕事人間でした。
彼が、リストラ候補者が集まる部署に異動になってから、少し様子が変わってくるのですが…
実際、このドラマでも最終的に解決のカギを握るのは、夫(父親)でした。
この件は、後ほど。
愛が足りないわけ
さて、なぜ、愛が足りないのでしょうか。確かに夫とのコミュニケーションが足りないことは、原因としては大きいです。
しかし、ここで大切なのは、彼女自身の自己肯定感が低いということです。
つまり、自分で自分を愛することが難しく、自分を満たすために、娘という存在が必要なのです。
このドラマの場合、顕子は、自身の母、美月の祖母に認めてもらえなかったという思いが描かれています。
いつもそして最期にも「あんたは、ダメな子ね」が母親の顕子への言葉でした。
顕子の母が亡くなった時、「とうとう褒められなかった…」という思いを抱えて、ひどく混乱します。
相手に対して、「〜しなさい」「〜すべきだ」の言葉を多く使う人は、自分を肯定できていない可能性があります。このことは、私が代表をしているフラワーフォトセラピー協会でも教えています。
そして、対応策として「自分を愛せるようになる写真を使うこと」をお勧めしています。
今回は、タイトルの写真として使わせていただきました。ほかにも、(根拠のない)罪悪感を癒す、愛を受け取れるようになる写真などが必要なことが多いです。(チェックしたい方はこちら)
なぜ、自己肯定感が低い、健全な自己愛が足りないと、相手を支配やコントロールをするのでしょうか。
「自分はいい親をやっている」感が高まり、自己評価が上がります。
また、相手=子供がそれに従うことで、自我は満足します。言い換えれば、子供に愛されている感覚が高まります。自分を承認してもらえます。
小さい子供は、親に愛してほしいからこそ、従ってきます。母親は、この満足をずっと得ようと大人になっても、子供から離れられなくなり、子供を離すまいとします。
さらに、このドラマの母親の顕子のように、自分の理想を娘に実現させるようコントロールしています。
娘に自分の理想を投影して、実現してくれる存在として描かれています。
母親自身がなりたかった学校の先生になる期待に応え、美月はそれを実現しています。
この関係は仲良い母娘のようで、決して健全とは言えません。母親も娘が必死で合わせているとは気づいていません。
「重い母」との関係はどうしたら変わるのでしょうか?
では、こうした母と娘の関係に、何か対応策はあるのでしょうか。
1つは、母親に自分を愛せるようになってもらうこと
2つめは、父親がもっと母に関わること 妻である彼女に夫として向き合い、理解をすること
が、まず、考えられます。
ですが、そんなに簡単には行きません。
3つめは、ドラマ同様、娘は自立のため、母から離れるしかありません。できれば、遠くに。
依存状態の母親は、精神的支えを失いますので、倒れます。
でも、冷たいようですが、自分で「自立」していただくしかありません。
私はアドラー派ではありませんが、同時期にやっていたドラマ「嫌われる勇気」風に言えば、「それは、私の問題ではありません」ということです。
本来は、母親の依存が問題なのです。だから、こんな場合、追う母に対し、娘さんは、ゆめゆめ罪悪感などを持ちませんように…
そして、それはお母さんのためでもあるのです。
なぜなら、娘が離れることで、母も長い間果たせなかった自立の機会を得られ、自分の人生を生きられるのですから。
遠くというのは、海外も含みます。
実際、国際結婚カップルには、そんな例も結構いらっしゃると聞いたことがあります。
本当に大切な対応が、もう一つあります
もう一つ、大切なことがあります。案外、語られていない方法なのですが。
4つめは、なぜ、親がそこまでコントロールするのか、娘側からも母を客観的に理解することです。
私は、何度もお伝えしてきましたが「相手を理解することは、愛を与えること」と同じです。
まず、娘が「母親と自分は別の存在である」と、二人の間に境界線を引く意識が大切です。
その距離をとった状態で、なぜ母がそんなに自分をコントロールするのか、理解を試みてください。
この時、母親よりも、視点を高くもって、客観的に大人の目線で観察する感じです。
もちろん、上から目線という意味ではありません。
これは、一人では難しいかもしれません。必要があれば、セラピストの力を借りるのはお勧めです。
以前お会いした相談者さんは、母の過干渉があまりに過ぎるので、たまらずに高校卒業と同時に家を飛び出したそうです。
ここまでは、3つめに書いたように、間違っていません。
ただ、10年以上もたち、自分が幼児だった頃の母の年齢を越えても、彼女は「そんな母が許せない」と相談の時に言っていました。それは、18歳の時の感情そのままでした。
そこで「なぜお母さんが、そんなに過干渉になったのか」想像していただきました。
彼女の母親が「嫁いだ土地は、知り合いがおらず、彼女が生まれたころは、父親も忙しくて、孤独だっただろうということ。」を確認し、
「そこに誕生した赤ちゃんは、お母さんにとって、いったいどんな存在だったのだろう?」と想像をしてもらいました。
彼女は、母親の立場に初めて立ってみて、涙を流しました。
そして、母の気持ちが少しわかったと言って、それまでの怒りは消え、しばらくたってから「母を許せた」と言ってくれました。
この相談者さんは、その後、母への理解によって少しずつ関係が変わったそうです。
このドラマの美月の場合も、母親は「あなたのことを一番わかっているのは、私だから」と言うのですが、その内容が自分の実際と違います。
それでは「自分がどんな人間で、本当に望んでいるのは何なのか、何を考えているのか」理解されていないことと同じです。「理解は愛」です。誤った理解を押し付けられても、愛として伝わりません。
ようやく美月は、母の愛が本当の愛とは異なることに気づき、束縛から自由になろうとしたのです。
でも、もう一度言いますが、娘側からも、母親がなぜそうなったのか、理解してみてください。
その理解は、愛として自ずと相手に伝わるはずです。たとえ言葉にしなくても。
これだけで、多くのケースで、母と娘の緊張関係が緩みます。
実はドラマでは、彼氏の松島が、子供の彼を置いて家を出た母に、会って話を聴き許すシーンがあります。そこに観月は立ち会ったのを機会に、母、顕子と向き合い、理解しようとしたようです。
「自分が好きなものは、本当はこういうもの、私は本当はこうしたかった」と思い切って自分の気持ちを訴える美月は、自分をただ、母の犠牲者にする語り口とは、どこか違って感じられました。
最後は、取っ組み合いのような感じで、本音をぶつけるのですが。
実は、自分を親の犠牲者にしないで、親を超えた視点を持つことは、大切なことです。多くは親の犠牲者、被害者になったまま、親を許せず、膠着状態の人も少なくはありません。
だから、母子密着や母が重い、しんどい、までは、言葉として許せますが、
私は「毒母」「毒親」という言葉は、決して使いたくありません。
このドラマには、娘に手を挙げる美月の生徒の母親も出てきますが、一見「毒」のようで、これも根っこは同じ、自己否定感が強いからなのです。
「母の悲しみ」のような感情に理解が届いた時、寄り添えた時、何かが変わります。
そこから、母からも娘への理解が届くはずですから…
ようやくお互いの人生を尊重でき、別個の存在として自立と成長がなされていきます。
ドラマでは、「私が、先にママをやめます」って!
ネタバレでごめんなさい。
美月の父、つまり顕子の夫は、顕子の束縛から美月が自立しようとすることに
早くから理解を示し、何とか間に入ろうとしていました。
そこで、解決策の 2つめが、効いてきます。
ドラマは、なかなか良い結末でした。顕子の夫が新しい仕事でインドネシアに行くことになり。
一緒にやり直そう、と顕子に言ったことで、状況が変わっていったのです。
そんな大切なことを相談せず決めた彼に対し、怒って離婚届まで書く一方で、
娘の本音をぶちまけられて、少なからずショックを受けるのですが…
結局、顕子の方から「自分が先にママをやめる」と言うのです。
そして、インドネシアに行って、二人でやり直すことを選択したのです。
その結果、まるで憑き物が落ちたように、新しい人生を選べた彼女の眼は、
娘という過去を見るのではなく、すっぱりと未来を見ていたことです。
そのことは、美月にとっても、本当に母から独立できた瞬間でした。
良いドラマだと思いましたが、ドラマのように現実が行かない時、
私たちのようなセラピストを使うことも手です。
別の機会に書ければ…と思いますが、親子関係の密着は、少なからず、恋愛関係にも影響します。
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まずは、この記事が参考になれば幸いです。