「中身で判断してほしい」という就活中のワカモノへ/増沢 隆太
1.イケてない学生生活
自分でイケてない系の見た目、オタクっぽいと思ってる人。君らの親と同世代の私ですが、もっとイケてなかった点に自信満々です。若き頃、あるヨーロッパ系銀行丸の内支店に外為で振込するため白ランニングシャツと短パンで入店した経験もあります。よくつまみ出されなかった、いやアブなすぎてそっとしておいてくれただけかもですが。
自分がそうだったから今も皆そうなのかはわかりませんが、当時私はこう思っていました。「見た目のチャラいやつより自分の方が中身がある」「その中身を見られない・評価できない方に問題がある」と。
私がその後サラリーマンになり、社会人として30年以上過ごして、ちょっとだけ進化したなと思うのは見た目です。ファッションへの興味もセンスも絶無だった私に、社会は優しかったのです。特に男性には「スーツ」という唯一無二の正解がありました。これさえ着ていれば廃棄物を見るような目で見られたり、マンガのように背中をつままれて外に放り出されることはないのです。すっごく便利です、社会人って。
「スーツを着たおとなになりたくない」的な歌詞は昔から捨てるほどありますが、逆だよ逆。若者が全員ファッションセンスがあって、見た目整ってると思うなよとずっと耐えてきました。スーツある方がはるかに楽だから。
2.外見より中身で判断してほしい
という声を聞きます、特に男子学生。だいたい見た目にも優位性のなさそうな子が多いように思います。実は同じことを言っている、中年世代の男性もいるのです。
中年になり、家庭も持った社会人経験もそれなりに積んだ男性なのに、「カノジョ欲しい」とか思ってる不届きなヤカラもいるらしいのです。友人たちの名誉のために、私の周囲の直接の知り合いには一人たりともいないのですが、どうやらそんなこと思ったり言ったりしてるオッサンはけっこういると、複数ジョシから聞いております。
そんな不届き者の中には若いイケメンさんに見た目で対抗できず、「素の自分を見てほしい」などと言ってくる者もいるとか。見た目でもお金でもなく、ハートで勝負というのはどうなんでしょう。自分が若いおねいちゃんと付き合いたいのは、多分にその見た目に惹かれているからなのに、自分は見た目ではない所で評価してほしいとは虫が良すぎます。こうして「素のままの自分」で勝負してもなかなか思いは叶わず、社会も家庭も平和という結末になります。めでたしめでたし。
3.「素のままで評価」されることは無い
相手には外見の良さを求めるのに、自分のことは「中身を見て」では矛盾しています。自分の外見に優位性がないのなら、その分を補正するお金だったり権力だったり、何らかのメリットで説得する必要があります。
就活するワカモノも同じです。「素のままの自分」で評価されることはまず無理です。幸い就活では顔の造形で採否が決まることはまずないので、見た目といっても十分対応は可能なのです。服装や身だしなみは当然として、それ以外にもマナーなど身に着けておけば就活において著しい不利は避けることが出来ます。
マナーが必要なのは礼儀作法の達人を求めているからではなく、企業社会という空間のルールに沿えるかどうかが評価されるからであって、自分のやり方を通したいなら会社という器を使わず自分一人で起業すればよいのです。ある程度髪を整え、皺がよっていないシャツを着て、清潔感のあるスーツを着るだけで、それ以上の化粧も高価なブランド品も必要ありません。
しかし実際の面接にはYシャツやネクタイ、スーツがよれよれという学生も現れます。そんな素で採用されることは無いでしょう。フケやら鼻毛やら、身だしなみもできない人間に任せられる仕事はないのです。それは会社という社会が求める要素だからです。会社という働く場を求める以上は、果たさなければならない義務だと割り切って、しっかり準備はしましょう。