『ビートたけしと北野武』タモリ派の著者がクールに掘り起こすたけしにたけし派の俺が思ったこと

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俺がいちばん、たけしを好きだ。“たけし派”は皆、そう思っている。たけしを分析する書籍は数多あるのだが、結局そのほとんどはたけしへのラブレターでしかない。データを元に客観的に分析しようと試みたものの、どこかに必ず恋文の匂いが漂ってきてしまう。

2015年に出版された『タモリと戦後ニッポン』にて一躍名を馳せた近藤正高氏が、今月新たに発表した本のタイトルは『ビートたけしと北野武』。


私は著者と微かながらも親交があるのだが、彼は生粋の“タモリ派”である。私とは一学年しか違わなく、そしてこの世代でタモリの方へ“付く”タイプは実は極めて珍しい。我々が自我を作り上げるためスポンジのごとく文化を吸収していた中高生時代、今振り返るとタモリは紛れもなく“暗黒期”に差し掛かっていた(この辺は『タモリと戦後ニッポン』を参照していただきたい)。だからこそ、氏の嗜好は余計に生粋なのだ。

そんな彼が手掛けた“たけし本”。その語り口は、極めてクールである。そして、よく切れるナイフを見るような気持ち良さがあった。

シンパをエクスタシーさせる「たけし」と「大久保清」の対比


繰り返すが、今回の本のタイトルは『ビートたけしと北野武』。要するに、たけしが持つ二面性に迫る一冊である。「振り子の理論」を事あるごとに唱えるたけしを知る我々からすると、非常に腑に落ちる観点だ。
今回、たけしの人物像を掘り起こす材料として用いられたのは、彼が演じてきた現実の人物や事件を題材とするドラマ等の映像作品。

パッと頭に浮かぶのは大久保清や金嬉老であるが、立川談志や三億円事件犯人といった近年の作品における役柄も同書では触れられている。
中でもまず最初に取り上げられたのは、やはり大久保清であった。

ベレー帽をかぶり、大久保清を演じるたけしの姿形を、筆者は「どうにも滑稽だ」と断じている。とは言っても含みもなく「格好悪い」と揶揄しているのではなく、それっぽいアイテムで芸術家を気取る浅はかさを指して「滑稽だ」と評すのだ。
ツービートの漫才が「ブス」や「田舎者」を攻撃するものであることはおなじみだが、そこには“下品さ”を忌み嫌うたけしの性質が含まれている。言ってしまうと、コンプレックスの裏返しで芸術家になりすましてしまった“大久保清的なるもの”がツービートの攻撃対象であった。そして、この性質がたけしを役者活動、ないしは映画製作に駆り立てたと著者は指摘している。その語り口は、至極クール。
負け惜しみではないが、“たけし派”がこの観点に全く気付いていなかったわけではない。無意識にもやっと把握していたイズムを順序立てて言語化し、再認識させてくれる著者の文章。極めて明瞭に提示されると、膝を打ち、そしてエクスタシーを覚えてしまう。「皆まで言わなくても、あの人のことはわかっている」という態度で済ませがちなフリークスからすると、ひょっとしたら手を付けにくい仕事だったかもしれない。

ちなみに『戦場のメリークリスマス』における観客の反応が気になったたけしは、実際に映画館へ足を運んでファンのリアクションをリサーチしたという。結果、自分が出るシーンに笑いが漏れる館内。漫才師のたけしがシリアスな芝居をこなす事実にファンの側が免疫を持たなかったためだが、大久保清を演じるたけしの芝居には笑みの一つも許さない迫力がある。どうしてもシャイがこぼれ落ちてしまう昨今のたけしの演技が印象深い方々にとってはかなり新鮮に映るはずなので、何らかの手段を使って一度ご覧になっていただきたい。タイトルは『昭和四十六年 大久保清の犯罪』だ。

たけしの抱えるコンプレックスが、ある役柄へと向かわせた


1991年、たけしはフジテレビの単発ドラマ『実録犯罪史 金(キム)の戦争』で金嬉老を演じている。金役を務めることは、たけし自身からの提案だったらしい。なぜ、たけしは金に興味を持ったのか? 在日韓国人二世である金が受けてきた差別と自身の境遇を重ね合わせていたと、著者は推測する。

たしかに、たけしは昔からよく捨て台詞の中に「足立区」というワードを多用していた(例えば「足立区の子どもだって喜ばないよ、こんなの!」など)。我々の世代からするともはや足立区は特別な地域ではなく、たけしの発するトークや文章を媒介に「どうやら、昔の足立区(特に梅田、島根辺り)はすごかったらしい」という事実を知らされることとなる。

ただ、町内で最も早くテレビを導入したのは北野家であるというエピソードはファンには有名で「たけしが家は貧乏だと口にするたび、重一(北野家の長男)からは本当の貧乏はこんなものじゃないと怒られた」(同書から)という記述からも、たけしが語る幼少期の貧乏話には誇張があると察することができる。
たけしが“差別”だと受け取り、それがコンプレックスへとつながっていったのは、家が「ペンキ屋」だという育ちである。この境遇が「ビートたけし」を形成し、金嬉老への興味に向かわせたと著者は指摘している。

写真週刊誌廃刊に自殺がよぎる鬼瓦権造


たけしの歴史は、すなわち80年代以降の芸能史、同時に社会史でもある。

1985年、テレビ朝日『アフタヌーンショー』によるやらせ問題は社会全体で物議をかもした。それを、現実と演出の境目をあいまいにさせた『元気が出るテレビ』(番組開始は1985年)につなげる著者の視点には、納得せざるを得ない。
そういえば、同番組の「8月のペンギン」なる企画VTRを観て爆笑しつつ、番組視聴後に「今のって、ニュースで流れるかなあ?」と無邪気に両親へ質問した幼き日の記憶が私にはある。もちろん時代性も影響しているが、そこまで思い込ませるスレスレな要素がビートたけしの手法には含まれていたということか。もちろん、私が幼稚だったのもあるが。

1986年、内田裕也が主演・監督を務めた映画『コミック雑誌なんかいらない!』に、たけしは豊田商事の永野一男会長刺殺事件の主犯を思わせる男役として出演。一方、同作で内田が演じた役どころは芸能リポーターである。当時、写真週刊誌はブームのさなかにあったが(「フォーカス」「フライデー」「フラッシュ」の頭文字を取り「FF現象」と呼ばれた)、この時代背景が同作には反映されている。そしてFF現象の終焉は、たけしによる「フライデー事件」であったと著者は指摘する。
そういえば、フジテレビのバラエティ番組『たけし・さんまの有名人の集まる店』にて、たけし扮する鬼瓦権造が「おれはエンマがなくなった時、自殺しそうになったんだよ!」とスキャンダル大好きなおじさんを演じていた姿は、個人的に何度も思い出しても吹き出してしまう。「フォーカス」ではなく「エンマ」というチョイスが、なんとも絶妙ではないか。

教祖が教祖を演じる


父・菊次郎との会話がほとんどなかったというたけしは、弟子を集めて「たけし軍団」を結成。また、信者が“押しかけ弟子志願”となり、その多くの者をたけしは受け入れている。
この構造と、たけしが演じた千石イエスによる「イエスの方舟」の共通点も、同書では指摘されている。

まさに“現代の教祖”たるポジションに自覚的であったたけしだが、彼はこのポジションになぜ疲弊しなかったのか?(吉田拓郎や尾崎豊といったカリスマらは、様々な形で“教祖”の座を自ら降りている)
その理由を推測し、筆者が導き出した答えは脱帽ものであった。「なるほど!」と。

その答えを知りたい方は是非とも書籍を手にとっていただきたいのだが、一つのヒントとして以下の文章を引用したい。ビートたけしの弟子である水道橋博士が雑誌「東京人」(2011年3月号)に寄稿したエッセイの一部である。
「ビートたけしは、常に『この間、ウケなくてさあ……』と、自らを笑い飛ばしていた。要するに、お笑いはウケなくても、それをまたネタに転化、まさに笑転(しょうてん)できるのだ。どんな仕事も失敗すれば袋小路に入るが、お笑いはどっちに転んだって笑殺して職業として成立させることができる。それは、なんと最強なことか!」

そして著者が導き出した答えを携え、同書はそのまま「フライデー事件」に触れてみせる。大塚署へ連行される道中、「おまえらのことは一生、面倒見るからよ」とたけしが軍団へ語りかけた有名な場面が関連付けられるのだ。
考察のもとに着地点を発見し、無理なく腑に落ちる形でまとめ上げていく著者の視野の広さには驚くほかない。

フリークスが愛する“あやふや”を上書きするリアル


このように『ビートたけしと北野武』は、たけしが映像作品で演じてきた“実在の人物”とたけし自身を逐一関連付け、考察していく形で進んでいく。そのどれもが無理なく着地しており、たけしを深く知る読者ほど驚かざるをえないはず。

個人的には、TBSの単発ドラマ『説得』(1993年)の項が印象深かった。エホバの証人信者とたけし本人を関連付けるくだりは完全に盲点だったので、ショックを受けたほどである。
また、たけしが唱える「振り子の理論」と、たけしが属する「団塊の世代」を結びつける流れも大正解だと言わざるをえない。反論の余地は皆無。

そして終章では、唐突にたけしと関係深いある作家の名前が登場し、“たけし派”ならばしびれてしまうはずだ。そして、フリークスにとってお馴染みだった伝説や思い描いてたであろう風景が荒々しく引っぺがされ、様々な証言や状況証拠をもとにリアルが上書きされてしまう様は心が痛くなるほどであった。

時と場合によっては話を“つくり”、そして“盛る”ことを全くいとわないビートたけし。彼の人物像を掘り下げるにあたり、著者が背負った苦労は計り知れない。虚と実すべてを受け入れ、結果的にあやふやな状態を良しとしてきた我々の代わりに偉大なる仕事をやってのけてくれたという思いがある。最大級の感謝を送りたい。
(寺西ジャジューカ)