「青森山田と前橋育英が輩出した5名の日本代表」
第95回全国高等学校サッカー選手権大会の決勝は青森山田(青森)と前橋育英(群馬)の対戦となった。
両校とも高校サッカー界では言わずと知れた名門校であるが、共に最高成績は準優勝でどちらが勝っても初優勝となる。
決勝戦は9日14時5分にキックオフ、試合は埼玉スタジアム2002で行われる。
さて、両校は過去に数多くのJリーガーを輩出しており、その中には日本代表にまで上り詰めた者もいる。その選手とは?また、その数はどちらが多いのだろうか?
山口素弘
出身校:前橋育英(1984-1987)
日本代表58試合4得点(1995-1998)
現所属:引退
群馬県高崎市の出身で、1984年に前橋育英に入学した山口。
当時の群馬県は前橋商が県内一の強豪校であったが、山口は主将を務め、母校を高3の冬に初めて全国大会へと導いた。
高校卒業後は東海大学を経て全日空へ入社し、Jリーグ開幕後はフリューゲルスの主将としてチームを牽引。1995年1月、加茂周監督によって日本代表へ初選出され、前橋育英の卒業生で最初の代表選手となった。
その後、韓国戦での「伝説のループシュート」など代表でも主力となった彼は、日本が初めて出場した1998年ワールドカップでレギュラーを務めている。
母校を全国大会へ、母国をワールドカップへ導いた彼は、前橋育英の先駆者的な存在と言えるのかもしれない。
松田直樹
出身校:前橋育英(1992-1994)
日本代表40試合1得点(2000-2005)
松本山雅に在籍中の2014年8月、練習中に倒れ34歳で帰らぬ人となった松田直樹。
彼は中学時代までFWだったが、前橋育英に入学して以降DFに転向し、3年連続で選手権に出場。井原正巳、小村徳男らに憧れて1995年にマリノス入りを果たした。
その後の英雄的な活躍はご存知の通りで、中田英寿らと共にトルシエジャパン不動のレギュラーとして2002年ワールドカップに出場し、マリノスへの在籍は16年にも及んだ。
彼のプレーは猛々しく人間的にも不器用な一面があったが、いつまでもサッカー少年のような純粋さを持ち合わせ、サポーターから愛された。日本代表での出場は40試合だが、潜在能力では日本歴代でも有数のセンターバックであったといえるだろう。
青木剛
出身校:前橋育英(1998-2000)
日本代表2試合0得点(2008-2009)
現所属:サガン鳥栖
鹿島アントラーズで15季プレーし、昨年途中サガン鳥栖へ移籍した青木。
彼は山口素弘と同じ群馬県高崎市の出身で、1998年に前橋育英に入学。1年先輩に佐藤正美、岩丸史也、茂原岳人、1年後輩に大谷昌司、坪内秀介、相川進也、2年後輩に吉田正樹、小暮直樹と後のJ経験者がずらり。高校2年の時に全国大会でベスト4を成し遂げている。
若い頃はボランチのイメージが強い彼であるが、当時のチームでは松下、茂原が中盤を務めていたため、現在と同じセンターバックでの出場であった。
その彼は2008年にイビチャ・オシム体制の日本代表へ招集されデビューを果たしている。
細貝萌
出身校:前橋育英(2002-2004)
日本代表29試合1得点(2010-2013)
現所属:シュトゥットガルト(ドイツ)
海外で7シーズン目を迎える細貝も、前橋育英高校の出身だ。
プロ入り後、センターバック、サイドバックでもプレーしながら最終的に守備的MFへと落ち着いた彼であるが、高校時代は意外にも司令塔。同期の青山直晃(現ムアントン・ユナイテッド)、1歳下の田中亜土夢(現HJKヘルシンキ)と、3人が揃って海外でプレーしているのも面白い。
細貝は山口、青木と同じボランチで、彼の武器でもある球際の強さは松田を彷彿とさせるものがある。これが前橋育英のカラーということだろうか。
※訂正:「細貝萌は前橋育英が輩出した最後の日本代表」と記述しましたが、同校出身の皆川佑介(広島)が2014年のキリンカップに出場しておりました。お詫びして訂正申し上げます。
※茂原岳人、青山直晃は日本代表への招集経験を持つが、試合に出場していないため除外
柴崎岳
出身校:青森山田(2008-2010)
日本代表13試合3得点(2014〜)
現所属:鹿島アントラーズ
昨年末に開催されたクラブワールドカップでレアル・マドリーから2ゴールを決め、一躍時の人となった柴崎。
青森山田での彼は1年生時に「10番」を与えられれるなど破格の扱いを受け、在学中は3年連続で選手権に出場した。ただ最高成績は高2の時の準優勝止まりで、悔しさを残したままプロ入りしている。
その後、2012年にザッケローニ体制で日本代表に初招集されたが、デビューはハビエル・アギーレ監督に代わる2014年までお預けに。2015年1月に開催されたアジアカップのUAE戦で一時は日本の危機を救う値千金の同点弾を決めた。
ちなみに彼は宇佐美貴史(現アウクスブルク)、宮市亮(現ザンクトパウリ)らと同じ「プラチナ世代」の一人で、U-17日本代表でボランチのコンビを組んだのが今回の決勝で対戦する前橋育英出身の小島秀仁(現愛媛FC)であった。二人は今回の対戦をどのように感じているのだろうか。
以上、柴崎は青森山田が輩出した最初にして唯一の日本代表で、数字で比較すると5対1で前橋育英が圧勝となった。ただ、昨年ブラジルのリオで開催された五輪には青森山田出身の櫛引政敏、室屋成が出場しており、今後は形勢に変化がみられるかもしれない。