「紅白」演出批判に対して吉田沙保里がみせた「人間の大きさ」
この指摘自体については、吉田沙保里さんに関する当該記事筆者の認識不足と、発言の意図を汲み取れていない当該記事筆者の理解力不足が多分にあるために、一般論としては肯定できる部分を含みつつも各論としては的を射ないものとなっています。
まず吉田さんはかねてより強い結婚願望を抱いていることを明らかにしています。吉田さんに対して結婚の話題を問い掛けること自体は多くのテレビ出演・イベント出演で頻繁に行なわれてきていることであり、吉田さん自身もタレント業におけるキャラクター性として「結婚願望」を活かしています。
また、当該記事の筆者はりゅうちぇるさんの発言について、「女の子らしさを押しつける」ものと認識していますが、発言の主旨を取り違えています。りゅうちぇるさんの発言の核となるのは「努力しなくていいと思う」であり、「女の子らしいからすぐできる」の部分は結婚に結びつきやすい特徴の一例を挙げただけに過ぎません。「女の子らしいから」の部分は「お金持ちだから」でも「イケメンだから」でも「優しいから」でも「強いから」でも何でもいいのです。もっと言えば、りゅうちぇるさんは「女の子らしい」とはどういう特徴を指すものかについては言及していません。「レスリングが強い=女の子らしい」かもしれませんし、どんな特徴をも推奨したり否定したりする発言ではないのです。あくまでも核となるのは「努力しなくていいと思う」です。
これが「女の子らしくないからダメなんだ」とか「女の子らしくすればできると思う」であれば、「女らしさ」なるものを押しつける抑圧と言えるのかもしれませんが、発言をただ額面通りに聞いても「女らしさ」を押しつけるものでないことは明らかです。さらに、りゅうちぇるさん自身が一般的な「男らしさ」から脱却した人物であることを下敷きに考えればなおのこと、「男らしさ」「女らしさ」を押しつけるような意図がないことは明らか。
当該記事の筆者は「こういう『女らしく』とか『男らしく』とか、抑圧の言葉なんだよ。ほら、『逃げ恥』で石田ゆり子も言ってたじゃん。『私たちの周りには、たくさんの呪いがある』って。呪いの言葉なんだよ」としていますが、誰も何の呪いなど掛けていない場面まで勝手に「呪い認定」しているという意味で、持論を主張するために吉田さんやりゅうちぇるさんを無理やりに利用しているとしか言えない記事となっているのです。