ボブ・ディラン氏のアルバム「追憶のハイウェイ61」(1965年)

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「ロックは芸術ではなかったのか」――。米ミュージシャンで作詞家のボブ・ディラン氏(75)がノーベル文学賞の受賞者に決まったことを報じた、日本経済新聞の記事の「見出し」がインターネット上で物議を醸している。

音楽ファンの反感を買うことになったのは、日経が見出しに掲げた「ロックを芸術に高めた」という表現だ。ツイッターでは「アカデミズムの優位性を前提とした物言いがいらつく」「『高めた』という表現の時点で間違っている」などの反発が広がっている。

「ロックを芸術に高めた」

2016年のノーベル文学賞にディラン氏が選ばれたと発表されたのは、2016年10月13日20時過ぎ(日本時間)のこと。いまネットで物議を醸している日経新聞の記事は、発表からわずか十数分後に日経電子版で配信された。

「ロックを芸術に高めた ボブ・ディランノーベル賞」。こんな見出しを掲げた記事の内容は、ミュージシャンとして初めての偉業を成し遂げたディラン氏を称えるもの。その足跡を「詩人」という視点から辿りつつ、

「ロックに言葉を与え、ロックを芸術のひとつに高めた。その功績を含めての文学賞といっていいだろう」

とまとめている。この記事は翌14日の朝刊2面にも「ロックを芸術に昇華」という見出しで掲載された。

だが、ディラン氏の受賞決定を祝福したこの記事に対し、一部の音楽ファンの間で「意外な反発」が生まれた。見出しにある「ロックを芸術に高めた(昇華)」という表現をめぐり、ツイッターやネット掲示板に、

「意味が分からん。ロックは別に芸術の下にあるもんとちゃう」
「『高めた』という表現の時点で間違っているし、ロックを舐めている」
「アカデミズムの優位性を前提とした物言いがいらつく」
「潜在意識レベルで『文学はロックより高等な芸術』みたいに思ってる」

といった批判的な投稿が数多く寄せられたのだ。

なかでも、ポピュラー音楽研究を専門とする大阪市立大文学部の増田聡准教授は13日のツイッターで、

「ディランにしろジョンレノンにしろ『ロックは芸術の域に達した。すばらしい』とか言いたがる連中とこそ闘ってきたわけです。それくらい常識で知っとけよ...」

と、別の評価をしている。

ディラン本人は「受賞」に触れず

ただ、寄せられた批判の中には「ロックを芸術に高めた」という表現の意味を取り違えていると思われる投稿もあった。

記事の本文では「ディラン氏の功績がロックを芸術にした」という意味で使われている表現を、「ノーベル文学賞がロックを芸術にした」と取り違えた読者が出たようなのだ。実際、記事に対しては「なるほどこれは納得」など、好意的な意見もネット上に寄せられていた。

J-CASTニュースは14日、このような表現を用いた理由について日経新聞広報室に取材したが、回答はなかった。

今回の日経記事をはじめ、国内メディアでは13日夜から14日にかけて、ディラン氏の文学賞受賞を称賛する報道が目立つ。経済紙の日経新聞ですら、14日の朝刊では4個面にわたってノーベル文学賞に関する記事を掲載した。

しかし、当のディラン氏本人はノーベル賞の受賞発表を意に介さぬ、ということなのか、NHKなどの報道によれば、受賞が決まった後に行われた14日正午(日本時間)のライブでも、ノーベル文学賞について一切言及しなかったという。