「野党はいつも何だかんだ言っておるが、気にしなくてもいいんですよ。まぁ、アレは三味線みたいなもんだ。子供が1人、2人ならいいけど、3人、4人おると、中にはうるさいのもいるもんですよ。ねぇ、おっかさん。そうでしょう!(哄笑)」(昭和53年10月、立合演説会)

 「私が総理のときですがね。東京都議会で自民党が3分の1ではマズイと思ったんです。暑かったが、頑張りましたよ。田中を、アイツは選挙が大好きなんだという奴がいるが、冗談じゃないねぇ。たんぼの草取りみたいに頭下げて、ゴマすって歩くのを誰が好きかッ。まぁ、美濃部都政を倒そうと思っただけです。ところが、マゴマゴしているうちに、田中の方がひっくり返ったッ(注・タンが喉に詰まって、一時、呼吸困難になったこと)。戦争に負けて35年ッ。東京の道路整備は遅れた。交通マヒで物価も上がった。“物価のミノベ”だ? 冗談言うんじゃねぇ! 皆さんッ、評判悪くても自民党がずっとやっているのはなぜか。まぁ、酒グセは悪いが、働き者だから亭主を代えないと思うおっかさんの気持ちと同じだねぇ(爆笑)」(昭和55年9月、越山会大会)

 かくて越山会と田中角栄は強かった。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。