草薙球場での歴史的対戦とは?静岡の高校野球の勢力図を読み解く!(静岡県)
多くの人の間ではイメージとしては静岡県のスポーツというとサッカーということになっている。確かに、Jリーグ創設時からの清水エスパルスとジュビロ磐田という有力チームが存在しているのは大きい。しかも、高校サッカーでも全国大会で上位の常連といわれるような学校が目白押しだ。事実、正月の高校選手権でも何度も全国制覇を果たしている。
2大伝統校、静岡と静岡商静岡商・見城 喜哉監督(中央)
しかし、高校野球でも戦前から有力校が多く活躍して、レベルの高い東海地区で愛知県勢や岐阜県勢と競いあってきた。その中心的な存在が、静岡中(現静岡高)と静岡商で、それに島田商を加えて3強を形成していた。
戦後になって島田商は低迷期に入るが、静岡高と静岡商はライバルとして競いあいながらレベルアップを果たしてきた。この両校の対決は「静岡の早慶戦」として人気が高く、毎年5月の連休前には伝統の定期戦が行われている。
県大会とはまた別の意味で、この試合の意義を高いものととらえているファンも多い。県内一番の進学校としての評価も高い静岡は地元では「静高(シズコウ)」と呼ばれる。これに対して静岡商は商店街などの人気が高い庶民派ということだが、地元では「静商(セイショウ)」と呼ばれてユニホームの胸文字も「SEISHO」と書かれている。ただ、商業校の常で男子生徒の不足などでやや低迷期となっていたが、04年夏には久々に静岡大会決勝進出。そして、06年夏には32年ぶりの復活を果たしてオールドファンを歓喜させた。
一方、静岡高の場合は一時の低迷を脱し、県を挙げての野球部強化支援という方針もあって、好素質の選手も多く集まってきて、名門校としての地位を保っている。99年に春夏出場を果たし、03年夏に出場。ややブランクがあったが、11年夏に8年ぶりに出場を果たす。そして、14年夏からは3季連続の出場を果たすなど、完全復活を果たしている。毎年のように、スケールの大きな迫力ある攻撃型のチームを作り上げており、今や他校にとっては最大の的となっている。
この2大伝統校、両雄が復活するまでの間は群雄割拠の様相を呈した静岡県である。その時期に戦後長らく低迷していた島田商が1998(平成10)年春に51年振りに甲子園に戻ってきて、長老たちに感激の涙を流させた。
[page_break:3地区の勢力図]3地区の勢力図公立商業校といえば浜松商も伝統を維持しようと頑張っている。甲子園初出場は戦後すぐの1950(昭和25)年だが、以来コンスタントに実績を残してきた。甲子園で披露される洗練された応援スタイルは、県大会から見事である。そのメリハリのよさは、昭和の高校野球の美しい部分を継承しているともいえる。女子生徒の声が一つになっていて、まさに応援の基本というような感じである。
静岡県の応援は派手さはなくても、全体的に昭和40〜50年代に多く見られた高校野球の基本的なスタイルを踏襲しているところが多いが、浜松商はその典型でもある。そういうスタンダードさも見る者にとっては嬉しい光景の一つでもある。
静岡県の場合は地形からも大きく東部、中部、西部に分けられる。そして、高校野球では常に静岡高と静岡商という2大勢力が突出していた時代から、中部地区がリードしていた。それを浜松商や掛川西などの西部勢が追いかけていた。
これに対してやや遅れ気味だった東部勢としては、91年夏の市立沼津、92年春の御殿場西、夏の桐陽、95年夏の韮山などが出場を果たす。
ベンチ前で森下 知幸監督の指示を聞く常葉菊川ナイン
沼津学園から校名変更した飛龍は桐陽の系列校だ。日大三島も89年夏に出場を果たしている。さらには富士宮西や富士宮北などが台頭してきていた。韮山はかつて、50年春に全国制覇を果たした実績がある名門校だ。また、県内で一大学園を形成している常葉学園グループの常葉菊川と常葉橘の躍進もあった。ことに常葉菊川は07年春の全国優勝、08年夏の準優勝と衝撃的といえるくらいの強さを示した。追うようにして、09年夏、10年夏、12年夏に常葉橘が甲子園出場、13年は常葉菊川が春夏連続出場を果たす。こうして、常葉勢が中心となっていった中で、再び静岡が浮上してきて今に至っている。
他には、東海大一と東海大工が統合してパワーアップしたのが東海大翔洋で04年夏には甲子園出場を果たし、力強さを示した。
[page_break:草薙球場での歴史的対戦]草薙球場での歴史的対戦草薙運動公園球場前の像
もう一つ、静岡県の特徴として、「静高・静商」定期戦だけではなく、同市内の学校が定期戦を組み、応援団も動員して学校対抗という学生スポーツの原点に忠実だという姿勢もある。浜松北と浜松商、浜松商と浜松工、沼津東と沼津商、焼津中央と焼津水産という定期戦もある。
静岡県の高校野球のメッカは静岡市内の草薙運動公園にある野球場だ。実は、この場所はある意味では日本の野球にとって、今日の繁栄をもたらす要因となった貴重な場だったということがいえるのである。というのも、1934(昭和9)年11月20日にこの草薙球場で全日本チームが、べーブ・ルースやゲーリックなどの全米オールスターと対戦。当時、京都商(現京都学園)を中退したすぐの沢村 栄治が好投し1失点に抑えた。
試合には負けたものの、この沢村の好投は日本にとって野球が根づく一つの切っ掛けになったのではないだろうか。もし、ここで滅多打ちにあっていたら、「やっぱり日本人の野球は駄目だ」という意識になってしまっていたかもしれない。
そういう意味では、野球文化と普及という点からも草薙球場は野球界にとっては、別の意味で聖地といってもいいくらいのスポットである。実は静岡県は日本の野球の普及の原点でもあるのだ。だからこそ、やはり静岡の野球はある程度は強くあってほしいものである。
静岡がリードし常葉勢と日大三島らと伝統商業校が追うというのが現勢力構図だが、新しいところでは背景の企業母体がしっかりとしていて甲子園出場実績もある静清(旧静清工)にドラフト一位でプロに進んだ鈴木 翔太(中日)を輩出した聖隷クリストファーや浜松学院(旧興誠)、浜松修学舎、藤枝明誠、磐田東などもいる。東部勢では三島から校名変更した知徳と、近年は関東遠征などで力をつけてきて充実している富士市立(旧吉原商)あたりも注目を浴びる存在となってきた。甲子園経験のある静岡学園と静岡市立も忘れてはいけないだろう。
(文:手束 仁)