選挙戦の模様を伝える朝日新聞・新潟県版(昭和24年1月18日付)には、次のような記述がある。
 「あせり気味の候補者四人が、小千谷から片貝へ向かった。三人は風に雪におびえ中止。勇敢な一人が線路沿いに歩いて行ったら、鉄橋の真ん中で向こうから列車が進行してきた。“南無三”と橋ゲタにぶら下がって急場を助かり、辛くも演説会に間に合った…」。その「勇敢な一人」が田中であったことは、この辺りでは定着した話になっている。

 一方、演説会では、田中は「小菅報告」に重点を置き、弁明にこれ努めた。「エー、解散してからの一日は十日ぐれェに長く感じたものであります! 獄にいて感じたことが一つあるッ。それは、同じように収容されているシベリアの未帰還の兵隊さんのことであります。この経験を生かし、私は大いに頑張って帰還運動に努力するつもりであるッ」。
 自らの「獄中」を「未帰還兵のシベリア」と置き換えるのだから論理のスリ替えもはなはだしく、田中の苦戦、あせりぶりが知れたのであった。(以下、次号)

小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。