比屋根 渉外野手(沖縄尚学−東京ヤクルトスワローズ)「次の成功へ導く『闘争心の塊』」
2015年、セントラル・リーグを14年ぶりに制した東京ヤクルトスワローズ。その1番・中堅手としてチームの躍動感を演出したのが、城西大を経て、社会人・日本製紙石巻から入団4年目を終えた比屋根 渉である。
俊足をさらに引き立てる野性味あふれたプレーで神宮球場を沸かせる彼は沖縄尚学(沖縄)高でも甲子園出場を果たした俊英。そこで今回は当時、指揮官を務め、現在は高知中央(高知)高で進路部長を務める角田 篤敏さんに、比屋根 渉のルーツを語ってもらった。
高知中央進路部長・角田 篤敏氏
僕は2003年4月、金城 孝夫監督(現:長崎日大<長崎>高監督)がいらっしゃる中で、新チームから監督に就任する流れで関西(岡山)監督からコーチとして比屋根と同時に沖縄尚学にやってきたんです。ですから最初に彼を見たのは東風平町(現:八重瀬町)立東風平中の時。投手をしていて脚力もあるし肩も強いので投手として注目していたことを覚えています。
コーチ就任後、1、2年生が甲子園出場を果たした夏までは、基礎を比屋根含む1年生たちに教えたのですが、そこでまず彼に感じたのは吸収力の高さと周囲に溶け込みやすい人間性。僕もやりやすかったです。
そして夏の後は僕が新監督に就任したんですが、これまで金城監督の指導を受けられていた2年生も協力してくれて、いい雰囲気を作ってくれました。1年生も試合に出られない中でもよく努力してくれていました。甲子園には出られませんでしたが、いいチームでした。
そして比屋根たちが最高学年になった時のことです。僕はずっと続けていることがあって、新チームのスタートは部員全員に投手をさせて、そこからポジションを組み直す。その中で投手の補欠だった比屋根にこう言ったんです。「お前は脚と肩があるから、外野手で使えるよ」と。内心は悔しさもあったでしょうが、ここで人間性が活きたんです。素直に受け入れて外野手をしてくれたことで、彼の俊足を利した守備範囲と肩の強さが際立つようになりました。
対してバッティングは真っ直ぐに強い反面、変化球には弱い。2年の秋季九州大会決勝で対戦した柳ヶ浦(大分)の山口 俊(現:横浜DeNAベイスターズ)や3年春のセンバツ準々決勝で敗れた神村学園(鹿児島)の野上 亮磨(現:埼玉西武ライオンズ)からもストレートには振り負けていなかった。「ヒットか三振」。そんな選手でした。
[page_break:暴走しても同じ失敗を繰り返さない / 全てを闘争心に変え、失敗を成功に導く姿を続けてほしい]暴走しても同じ失敗を繰り返さない比屋根 渉外野手(東京ヤクルトスワローズ)
足はとにかく速かったので、比屋根が塁に出た時はノーサインで二盗はさせていました。ところが彼は三盗も勝手にしてアウトになる。当時の別名は「暴走族」です。それでも彼はもう一度同じことをすると、今度はセーフになる。「自分で行ける」と確信したら平気でチャレンジできる。ここはプロ向きの性格だと思いました。彼の結婚式でもこの話をして「結婚生活は暴走するな」と話はしましたけど(笑)。
このプレースタイルがチームを救ったこともあります。2005年・3年夏の甲子園初戦、松商学園(長野)戦です。試合前の取材時間で記者の方に「試合のポイントは何ですか?」と聞かれた時、僕は何となしに「今日は走塁で勝つと思います」と答えたんです。「変なことを言ったな」と思ったら3番の彼が3回に先制2点適時打、7回には一塁走者で4番の松田 規誉(明治大卒)が打った投手ゴロで三塁への進塁を仕掛け、その送球が暴投になって沖縄尚学は勝つことができたんですよ。
彼の度胸で相手にプレッシャーをかけ、4番・松田、5番・比嘉 将太(西濃運輸−元四国アイランドリーグplus・愛媛マンダリンパイレーツ)が得点する。1、2、3、6、7番に足が速い選手を組む中で、比屋根は間違いなくチームキーマンになっていました。
この学年はいろいろとやりましたね。水泳トレーニングやサーキットトレーニング、相撲部の監督を呼んで股割りや四股。夏前の個人ノック。でも彼らは「悔しかったらやってみい」と言ったら本当にやってくれたし、挟殺プレーなど細かい野球もマスターしてくれた。1学年下で高校時代からプロに行けると思っていた伊志嶺 翔大(東海大−現:千葉ロッテマリーンズ)を使いたくても最終的に使えなかったくらいです。
あ、そういえば僕は比屋根の担任も勤めていました。勉強は普通ですが僕の授業はよく聞いていましたし、礼儀もきちんとしていましたね。
全てを闘争心に変え、失敗を成功に導く姿を続けてほしい卒業後は城西大に進んでキャプテンもしましたが、当時はプロになる予感は正直、なかったです。肩と脚はプロ級だとは思っていましたけど、「攻・走・守」がないとやはりプロ野球選手にはなれないので、打撃が伸びないと難しいと思いました。その点で日本製紙石巻での1年目からホームランを打つなど活躍できたことがプロ入りにつながったと思います。努力してくれたと思います。
沖縄尚学時代、比屋根よりいい選手は何人かいたんですよ。でも、そこから逆転したのは比屋根。その要因を振り返ってみると、彼はしんどいことをするし、しんどいことで一番になりたいタイプだったんです。何事に対しても闘争心に変えていく。監督泣かせですが、一度失敗しても成功に導く。そんな選手でした。ですから、今を見ているとバッティングもずいぶんよくなっているし、彼が頑張っている姿は僕にとっても励みになります。
坂口 智隆・鵜久森 淳志が入って東京ヤクルトスワローズの外野手競争は2016年、いっそう激しくなるでしょうが、比屋根には高校時代のように欲を持って、闘争心を出していっそう頑張ってもらいたい。「比屋根がおるから勝てた。比屋根で勝てた」。そんな試合をいっぱい作ってもらいたいですね。
沖縄尚学で3年間指揮を執った角田 篤敏さんは後に作陽(岡山)、高知中央(高知)でも監督を歴任。高知中央では田川 賢吾投手(2012年インタビュー)を高卒で比屋根 渉と同じく東京ヤクルトスワローズに送り出している。田川が投げ、比屋根が打ち、2人がお立ち台でニッコリ笑う。その日を夢見て「教え子が活躍して、みんなに自慢できればいいですね」と角田さんは最後にニッコリ笑った。2016年はセントラル・リーグ連覇と2015年は叶わなかった日本一達成へとひた走る東京ヤクルトスワローズ。私たちは同時にそんな「角田チルドレン」たちの活躍にも期待したい。
(取材・文:寺下 友徳)
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