野球は「確率のスポーツ」とよく言われる。確かに野球というゲームには、何というかサイコロを振り続けて進行していくようなギャンブル的エッセンスがある。ピッチングにしてもバッティングにしても、一流選手であれば常に素晴らしいプレーで結果を出せるというものではない。バッターは3割打てば一流と言われるが、それはすなわち10回中7回の失敗は当たり前ということであり、ピッチャーだってたとえR.ハラデイやJ.バーランダーといえども25勝0敗は有り得ない。一流プレイヤーといえども、せいぜいサイコロの6の目が出る確率が人より少し多いくらいのものであって、1や2が出ることもある。そういうゲームだ。


 2012.05.21 vs Seattle Mariners


 開幕から怒濤の勢いで勝ち続け、オールスター出場はおろか名誉ある先発のチャンスも?とまで囁かれているダルビッシュであるが、昨日は"King"ことF.ヘルナンデスとのマッチアップに完敗。4イニングを96球、フォアボールを6つだし5失点と、渡米後最悪のアウティングだったといっていい。デビュー戦同様マリナーズ相手に苦戦し、日本のマスメディアは「イチローの威圧感か」などと相変わらず煽っているが、たまたま運悪くサイコロの1が出てしまったに過ぎない。「まあこんな日もある」という、それ以上でも以下でもない話だ。


 ダルビッシュは4回終了後、ダグアウトに戻るとワシントン監督に呼ばれた。ワシントン監督は、本調子でない中既に96球を投げていたダルビッシュをここで代えようと考えたため、交代の理由を本人に説明するためにダルビッシュに声をかけた。ダルビッシュ本人がそれだけ多くの球数を要していることに気付いていないと考えたようだ。

 これに対しダルビッシュは、ワシントン監督からの説明を聞くより先に「(スターターとしての役割を果たせず)申し訳ない」と謝ったという。そしてこれに対して、ワシントン監督は「そういうときもあるから、謝らなくていい。絶対に謝るな」と熱く返したという。

 以下、この件に関するワシントン監督のゲーム後のコメントを一部抜粋。


"That was a lot of pitches in a short period of time. I just tried to get him to understand that you have nights like this and we need him for the whole year, not just tonight. He said 'He's sorry' but he didn't have to apologize. He expected more."


Darvish struggles with control in loss to Seattle



 このワシントン監督とダルビッシュの会話が多くの米メディアでクローズアップされて取り上げられたことからもわかるように、ダルビッシュの謝罪はアメリカのファンにはやや奇異に映った。ワシントンの発言通り、誰しも上手くいかない日はあるし、そしてチームは一夜の勝利ではなくシーズンの勝利を見据えて戦わなければいけない。つまり、たかが1試合乱調したくらいで謝るというのは、メジャーリーグ的感覚からするとパーフェクショニストにも程が過ぎるのだ(もちろん、ダルビッシュのこういう姿勢をワシントン監督が大いに気に入っていることは言うまでもない)。

 実際、乱調でゲームを壊してしまったことを律儀に謝る選手なんてほどんどいない。というかむしろ、ダグアウトに戻るやいなやグラブを叩き付けて誰かのバットで壁を殴り怒りをぶちまける奴の方が圧倒的に多い。自分が打たれたのにも関わらず、だ。中には、キャッチャーの配球が悪かったせいだとキャッチャーを罵り始め試合中にも関わらずチーム内乱闘をはじめる暴君もいる。まあこれは極端な例ではあるが、とにかくプレイヤーは自身のベストを尽くしたのであれば、その結果に対して謝罪などする必要はないのだ。謝罪が必要なのは、たとえばクラブハウスで試合中ビールを飲んでいたりとか、仮病で試合をサボったとか、DUI(飲酒運転)で捕まったとか、そういうケースだ。


 逆にMLBでは、監督から選手への「説明責任」が問われる。ワシントン監督がダルビッシュに降板理由を説明したように、監督は選手に「なぜこのような扱いをするのか」を説明して本人に理解してもらわなければならない。たとえば選手をマイナーに落としたりするケースなどでもそうだ。どういう理由でマイナーに落とす判断を下したのか、本人に説明し理解してもらわなければならない。

 メジャーリーガーはプロフェッショナルの個人事業主であり、悪く言えばワガママとプライドの塊だ。言われたことを忠実にやるサラリーマンではない。曖昧な理由で不遇な扱いを受けるなど、納得できるわけがない。だから監督やコーチ、フロントは、選手にしっかりと自分達の考えを説明してお互い納得できるよう努める義務がある。日本の某球団のように、運悪く女性スキャンダルを起こしてしまった選手に「少し自分を見つめ直して欲しい」などという訳のわからない理由で無期限2軍に落とすなどという舐めくさった真似は有り得ない。そしてこれに何の自己主張もなく従う選手もダメだ。もし単なるペナルティとして2軍降格を命じられたのであれば、本人は「スキャンダル(プライベート)と野球のパフォーマンス(仕事)には何の関係もない」と主張すべきである。完全に上の言いなりのNPBんぽ選手達は、プロフェッショナルの自覚がないというか、高校野球で培われた兵隊体質が身体に染み付いている。


 監督と選手のパワーバランスは、MLBに限らずアメリカと日本のスポーツカルチャーの大きな違いのひとつである。ざっくり言うと、日本では監督がヒトラーの如く絶対的権力を行使するのが割と当たり前なのに対し、アメリカでは監督は選手達の能力を最大限引き出す「引き立て役」に過ぎないという感覚が強い。あくまで主役は選手であって、監督ではないのだ。アメリカ型個人主義を反映したものとも考えられるし、スポーツビジネスやセイバーメトリックスの発展に伴う必然の流れともいえる。


 ときにコカインを嗜んじゃったりもするお茶目なワシントン監督であるが、彼は常に選手をリスペクトし、円滑なコミュニケーションを図りながら強いチームを作っていく、文句なしに有能な監督だ。



halvish