サニブラウン・ハキーム【写真:Getty Images】

写真拡大

日本選手権圧倒V、専門家が語る怪物の凄さ…「9秒台」と「9秒5」を狙う思考の差

 陸上の世界選手権(ロンドン)が4日に開幕する。日本勢にとって注目の一人は、男子短距離のサニブラウン・ハキーム(東京陸協)だ。6月に行われた日本選手権で自己ベストを更新する10秒05で優勝。ケンブリッジ飛鳥(ナイキ)、桐生祥秀(東洋大)、多田修平(関学大)、山縣亮太(セイコーHD)ら、空前のハイレベルとなった頂上決戦で圧勝し、世陸切符を掴んだ。

 前評判は決して高いとは言えなかった18歳は、なぜライバルを圧倒できたのか。専門家に聞くと、未完の大器の底知れぬポテンシャルが浮かび上がってきた。

「戦前の報道を見ると『4強』と言われていて、その中にサニブラウン選手の名前は入っていなかった。今年は桐生選手、山縣選手、ケンブリッジ選手に多田選手が食い込んできて、4人の誰かが勝つという見方でした。私自身の頭にもなかったです」

 そう語ったのは、アテネ五輪1600メートルリレー代表で、ランニング指導のプロ組織「0.01」を主催する伊藤友広氏だ。その理由について、直前の大会で200メートルが21秒台と平凡な記録に終わっていたことを挙げる。

「それを考えると、100メートルの10秒0台は考えられなかった。でも、反対に見ると調整が抜群にうまくいったということ。肉体的な調子のバイオリズムはもちろん、技術的にも精神的にも日本選手権にしっかりと合わせてきたと言えるのではないでしょうか」

 抜群の調整力で優勝。結果的に2位にケンブリッジ、3位に多田が入り、期待の大きかった桐生は4着で100メートルの世陸切符を逃した。サニブラウンは予選、準決勝で従来の自己ベストを更新する10秒06の好タイムを出し、レース前から下剋上の予感はあった。

レース後の表情に表れたスケールの違い「9秒5を目指す人にとって10秒0台は通過点」

「各選手が彼に惑わされたという印象です。彼が良い記録を出したことによって、彼を意識するあまり、いつもの自分と違う走りになってしまった。そういう結果ではないでしょうか」

 一方、伊藤氏とともに「0.01」でJリーガー、プロ野球の現役アスリートを指導する200メートル障害日本最高記録保持者の秋本真吾氏も「9秒台を最初にマークするのはサニブラウン選手が一番と思っていたけど、あんなに早く突き抜けるとは思わなかった。予想以上でした」と舌を巻いた。

 特に、注目したのは、レース後のリアクションだった。

「ガッツポーズもないし、笑顔もない。日本選手権の優勝は普通でしかない。彼には最終的に世界記録を出すと会見でも言っていました。あの激戦で過去最高のハイレベルの100メートルの決勝で優勝となれば、『ヨッシャー』と喜びを爆発させるのかなと思いましたが、『これは想定内のタイムでしょ』というメンタルだった時点で、ほかの選手とは違う。注目されたレースでしたが、いい意味で、彼が一番何も考えていなかったのではないかと思います」

 伊藤氏も18歳のポテンシャルを称賛する。

「スケールの違いを見た感じがしました。肉体的にもそうですが、思考的に、です。9秒5を目指している人にとって10秒0台は通過点でしかない。『9秒台もそのうち出るよ』と自分の能力を疑っている様子もない。10秒0台の選手が10秒00をいかに切るかという考え方をするとお、そらく日常の延長線上で物事を考えていくと思いますが、9秒5を見ている人にとってはまた違うのだろうなと。いろんな考え方や行動などが変わってくるんだろうなという印象です」

 その裏で、進化も見て取れたという。

名指導者との出会いで走りも進化「ここを直せば良くなる、を本当に直してしまった」

「彼のコーチが今、世界で一番といえるほど人気のあるコーチ。最先端のトレーニング、調整法を取り入れていると聞きます。いいコーチについた影響も感じています」

 サニブラウンが師事しているのは、レナ・レイダー氏。名指導者との出会いによって、秋本氏によれば、走りに変化が生じたという。

「顕著に変わったところが多いです。スタートもそうだし、通常の走りもそう。特徴的だった体のねじりがなくなった。ここを直せば早くなると言われていたところを本当に直してしまったという印象。これは意外に難しいこと。でも、実際に直してきてタイムで表した。しかも短期間でやってきたところに凄さを感じます」

 誰も想像のつかないペースで進化を遂げているサニブラウン・ハキーム、18歳。ロンドンの地で、世界を驚かせる可能性は十分ある。

◇伊藤 友広(いとう・ともひろ)

 高校時代に国体少年男子A400m優勝。アジアジュニア選手権の日本代表に選出され、400m5位、4×400mリレーではアンカーを務めて優勝。国体成年男子400m優勝。アテネ五輪では4×400mに出場。第3走者として日本過去最高順位の4位入賞に貢献。国際陸上競技連盟公認指導者資格(キッズ・ユース対象)を取得。現在は秋本真吾氏らと「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。

◇秋本 真吾(あきもと・しんご)

 2012年まで400mハードルの陸上選手として活躍。五輪強化指定選手選出。200mハードルアジア最高記録、日本最高記録、学生最高記録保持者。2013年からスプリントコーチとしてプロ野球球団、Jリーグクラブ、アメフト、ラグビーなど多くのスポーツ選手に走り方の指導を展開。地元、福島・大熊町のため被災地支援団体「ARIGATO OKUMA」を立ち上げ、大熊町の子供たちへのスポーツ支援、キャリア支援を行う。2015年にNIKE RUNNING EXPERT / NIKE RUNNING COACHに就任。現在は伊藤友広氏らと「0.01 SPRINT PROJECT」を立ち上げ、ジュニア世代からトップアスリートまで指導を行っている。