日本サッカーは本当に走っているのか。オシムが指摘するメッシにあって日本にない決定的なもの
「走る」。
現代サッカーにおいて、欠かすことのできない資質であり、多くの日本人選手がドイツなどの欧州リーグで活躍したとき、その献身的なプレースタイルを含めて「日本人選手、チームはよく走る」と評価されるとおり、日本サッカーの代名詞ともいえるものだ。
日本において「走る」ことの重要性をもっとも強く説いたのが、ジェフユナイテッド市原(当時)の監督に就任したイビチャ・オシム氏であった。
しかしそんなオシム氏は、2年ぶりに刊行されたオシム氏の書籍『急いてはいけない』(ベスト新書)のなかで、日本に足りないものを「走ること」だと指摘している。
「私はこれまで、走ることの重要性を強調してきた。だが、それは、ただ単に走ればいいというのではない。走りの質が問題で、大事なのはタイミングだ。いつ、どうして、どこに走るのか。
よくいるのは、走りすぎるぐらいに走るが、肝心なときに走らない選手だ。肝心なときとは、相手を混乱に陥れるときだ。走るために走るのでは意味がない。芸術のための芸術と同じで、何の役にも立たない。
よくいるだろう。タッチラインと割ろうとするボールにスライディングをして、観客の拍手を受ける選手が。旺盛なファイティングスピリットを見せることで、彼らは賞賛を受けている。悪いことではないが、ハリウッド的なサーカスともいえる」
ジェフ、日本代表とオシム氏が率いたチームは、その走力で他チームを圧倒してきた。ときにそれが弱点ともなり得たが、スペクタルなサッカーに多くのファンばかりでなく、プレーする選手たちまでもが魅了された。
「走る」ことが代名詞であるはずの日本サッカーは、ではなぜ、あのとき程の熱狂を生むことができないのであろうか。「走る」ことの意味を突き詰めることで、その一端(ほんの一端だた)を垣間見ることができるのではないだろうか。
オシム氏はこうも言う。
「タイミングよく走るための嗅覚――普通に走るのはいつで、スプリントするのはいつなのかを、的確に判断できる能力。いつドリブルをすればいいのか。ピッチ上の状況を正確に理解して、いつプレーを加速化するのか、とりわけいつスプリントするのかを的確に判断する。
この能力はなにより重要である。
メッシを見ればわかる。彼がスプリントするときはつねに危険だ。相手は必ず彼の後を追いかけることになる。つまり彼はやろうとしていることを、うまくやっているわけだ。スタンドから見て、彼が意味なく走っているように見えても、彼は相手の注意を惹きつけている。敵は彼の後を走り、別の味方がその恩恵を受ける。彼のおかげでフリーになった味方が、そのチャンスを生かしてゴールを決める。
そんなふうにしてうまくやるべきなのだが、日本には同じようなプレーをする選手が誰もいない。
他人のために走り、スペースや時間を作る選手が」
日本サッカーはもう一度、「走る」ことの意味を問い直すべきではないか。当たり前となったその自分たちの武器を再び磨くために。
オシム氏の新刊『急いてはいけない』にはそのヒントが詰まっている。
『急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは』
イビチャ・オシム著 田村修一訳
KKベストセラーズ/800円(税別)
重版出来! サッカー関係者から多くの反響を呼ぶ一冊。阿部勇樹(浦和レッズ)、中村憲剛(川崎フロンターレ)、佐藤勇人(ジェフユナイテッド千葉)、羽生直剛(FC東京)、水野晃樹(ベガルタ仙台)、柏木陽介(浦和レッズ)といった現役サッカー選手や、ジャーナリスト、一般の読者などから質問を募り()、それに対してオシムが答えていく、といういっぷう変わった構成になった一冊は、相変わらずのオシム節が健在で、新しい発見に満ちている。
現代サッカーにおいて、欠かすことのできない資質であり、多くの日本人選手がドイツなどの欧州リーグで活躍したとき、その献身的なプレースタイルを含めて「日本人選手、チームはよく走る」と評価されるとおり、日本サッカーの代名詞ともいえるものだ。
日本において「走る」ことの重要性をもっとも強く説いたのが、ジェフユナイテッド市原(当時)の監督に就任したイビチャ・オシム氏であった。
しかしそんなオシム氏は、2年ぶりに刊行されたオシム氏の書籍『急いてはいけない』(ベスト新書)のなかで、日本に足りないものを「走ること」だと指摘している。
「私はこれまで、走ることの重要性を強調してきた。だが、それは、ただ単に走ればいいというのではない。走りの質が問題で、大事なのはタイミングだ。いつ、どうして、どこに走るのか。
よくいるのは、走りすぎるぐらいに走るが、肝心なときに走らない選手だ。肝心なときとは、相手を混乱に陥れるときだ。走るために走るのでは意味がない。芸術のための芸術と同じで、何の役にも立たない。
よくいるだろう。タッチラインと割ろうとするボールにスライディングをして、観客の拍手を受ける選手が。旺盛なファイティングスピリットを見せることで、彼らは賞賛を受けている。悪いことではないが、ハリウッド的なサーカスともいえる」
ジェフ、日本代表とオシム氏が率いたチームは、その走力で他チームを圧倒してきた。ときにそれが弱点ともなり得たが、スペクタルなサッカーに多くのファンばかりでなく、プレーする選手たちまでもが魅了された。
「走る」ことが代名詞であるはずの日本サッカーは、ではなぜ、あのとき程の熱狂を生むことができないのであろうか。「走る」ことの意味を突き詰めることで、その一端(ほんの一端だた)を垣間見ることができるのではないだろうか。
オシム氏はこうも言う。
「タイミングよく走るための嗅覚――普通に走るのはいつで、スプリントするのはいつなのかを、的確に判断できる能力。いつドリブルをすればいいのか。ピッチ上の状況を正確に理解して、いつプレーを加速化するのか、とりわけいつスプリントするのかを的確に判断する。
この能力はなにより重要である。
メッシを見ればわかる。彼がスプリントするときはつねに危険だ。相手は必ず彼の後を追いかけることになる。つまり彼はやろうとしていることを、うまくやっているわけだ。スタンドから見て、彼が意味なく走っているように見えても、彼は相手の注意を惹きつけている。敵は彼の後を走り、別の味方がその恩恵を受ける。彼のおかげでフリーになった味方が、そのチャンスを生かしてゴールを決める。
そんなふうにしてうまくやるべきなのだが、日本には同じようなプレーをする選手が誰もいない。
他人のために走り、スペースや時間を作る選手が」
日本サッカーはもう一度、「走る」ことの意味を問い直すべきではないか。当たり前となったその自分たちの武器を再び磨くために。
『急いてはいけない 加速する時代の「知性」とは』
イビチャ・オシム著 田村修一訳
KKベストセラーズ/800円(税別)
重版出来! サッカー関係者から多くの反響を呼ぶ一冊。阿部勇樹(浦和レッズ)、中村憲剛(川崎フロンターレ)、佐藤勇人(ジェフユナイテッド千葉)、羽生直剛(FC東京)、水野晃樹(ベガルタ仙台)、柏木陽介(浦和レッズ)といった現役サッカー選手や、ジャーナリスト、一般の読者などから質問を募り()、それに対してオシムが答えていく、といういっぷう変わった構成になった一冊は、相変わらずのオシム節が健在で、新しい発見に満ちている。