1991年、大野豊氏とWストッパーの予定だった津田恒実が脳腫瘍で離脱した元広島投手の大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)は22年間の現役時代に先発も中継ぎも抑えもすべて経験した。その役割は首脳陣の判断によるものだったが、1度だけ自ら配置転換をお願いしたことがあったという。プロ14年目の1990年シーズン中、山本浩二監督に「リリーフに回してもらえないでしょうか」と直訴した。先発としての自身の働きに納得できなくなっ
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1991年、大野豊氏とWストッパーの予定だった津田恒実が脳腫瘍で離脱した元広島投手の大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)は22年間の現役時代に先発も中継ぎも抑えもすべて経験した。その役割は首脳陣の判断によるものだったが、1度だけ自ら配置転換をお願いしたことがあったという。プロ14年目の1990年シーズン中、山本浩二監督に「リリーフに回してもらえないでしょうか」と直訴した。先発としての自身の働きに納得できなくなっ